第20話 5月1日(3) 事情ー真一の場合ー


「僕は両親を知らない。だけど多少、色魔の血が入ってるんだって」

 直哉はポカンとした。遺伝などで女しかいないものだと思っていたのだ。

「男でもいるのか、色魔って」

「そりゃいるよ。でも僕は少し外れてるかも。親が分からないからはっきりしたことも分からないけどさ」

 どんな悪魔でも人の欲求や弱みに付け込むのは不思議ではない。あえて言うなら色欲に特化している、というのが色魔と呼ばれている。

「肩に番号があるってことはどういうことかわかる?」

 答えづらかったが「奴隷」という回答。真一は頷く。

「物心ついたときは足に鎖つけられて、僕はどこかの戦団の奴隷だった。そこで生まれたのか、他所で買われたのかもわからないけど、団員の世話をしたり、防御の盾にされたり、体の相手をさせるための道具として持っていたんだろうね」


 悪魔の世界では、商品とされた者の体に番号が刻まれる。

「戦いの勝ち負けとか売買で主人がかわっちゃう。だから本当の自分の名前は知らないんだ。

 11歳の時にいた戦団が負けた時ね、激しい攻撃で奴隷が盾にされて、何人も目の前で死んだけど僕は生き残った。逃げるのは考たことあるけど、死にたいとは思わなかったんだよ。毎日死体も見て、痛い目にも怖い目にも遭ったのに。今考えたら生きる方が辛そうなのに、自分でも不思議なくらい死にたくないって……」

 そんな状況ですら諦めない精神。生きるものの本能、としか言えない。


「結局売られて、どうせまた他の団で同じ生活するんだろうなあって思ってたら、お金持ちの人が買ってくれたんだ。それで大きいお屋敷で暮らすようになって、文字も計算も教わった。とってもいいとこだったな」

「どうしてそこにずっといなかったんだ?」

「他の悪魔に襲われたんだよ。屋敷の主人が反逆者だって」

「スパイかなんか? もしかして」

「ちがうよ、直哉は聞いたことない? ”グレー”の存在」

 真一は少し声をひそめた。きっと今までの癖なのだろう。存在を口外することはタブーとされていたに違いない。

「ほんとにいるの?」

「いや、僕もよくわからない。主人は自分の事は全然教えてくれないし聞いても答えてくれなくて、そうなのかな、って思う程度……じゃなきゃ、そんな疑いかからないと思うな」




 いまや悪魔と成り変わってしまっているが、人間が誕生してしばらく経った頃に天界から分かれた、初期の「人間のための神」の意思を忠実に守る一握りのことを「グレー」と呼んでいる。

 ただ大体が今や悪魔に激しい弾圧をうけ滅びるか、意思を捨てるかして消滅してしまった。今残っている者も、自分たちの国を持たず表面は悪魔を取り繕い地下組織で活動している“らしい”と言う話を聞いたことがある。

 そんな噂でしか聞いたことのない「グレー」も、目の前で話をされると信じてしまう。


「なんでかその主人は僕のこと絶対守るって言ってくれて、一緒に暮らしてた人たちも僕のことを世話してくれたんだ。普段は使用人として働いてて、遊びも勉強も、掃除とかお料理とか色々教えてくれて。僕は何もできないのに。

 でも僕がここへ逃げる直前、皆がどうなったかわからないんだ。殺されてるかもしれないし、捕まったかもしれない。僕だけ逃げちゃった……。皆の方が能力も高くて何でもできるのに。奴隷出の自分なんか、それこそ何の価値もないのに……」

 沈んだ声になった。彼もまた自分のせいで安否が分からぬ人の為に苦悩しているようだ。


「グレーだってどうして思われたんだ?」

「よく顔を隠したマントの人が出入りしてたんだけど、絶対表から出入りしないんだ。出入口がない裏庭から来てて、秘密の通路があるんじゃないかなって。僕も裏庭だけには入るなって言われてたから……。

 それに客がいても挨拶しちゃダメだって。覚える必要ない、無視していいって。変でしょ。あと主人がとっても優しかったね。優しいからって悪魔じゃないってことはないけど」

 直哉は初めて知るあちら側の世界の話に聞き入っていた。


「どうしてお前を守るように言われてたの? 特別不思議な力があるとか、魔法が使えるとか。武器とか法具の属性が特殊とか」

 真一は首を横に振る。

「できることって……これだけかな」

 そう言って右手のひらを上に向けると、小さな薄紫の光が散らばる。あっという間に数が増え集まると、横の棒が短い十字の形をしたものが出現した。長い方は腕と同じくらい。一端は持ち手、もう一旦は少し長めで鋭い槍の先端をしていた。特に強力な武器という印象はない。特殊な魔法が使えそうでもない。短い横軸には何か親指の太さ程の紐が巻き付いて……


「うわっ!」


 直哉が驚いてのけぞる。紐がぬるっと動いた。先端に細くて小さいが顔が…… 蛇だ!

「なにそれ!」

 咬まれたら大変と引け腰のまま聞く。

「僕の使い魔みたいな子。咬まないよ。よく見ると可愛いし滅多に僕から離れないから」

「かわいいって……でも蛇だろ……」

「大丈夫だよ。ピロっていうんだ」

 なんで蛇にそんな可愛らしい名前をつけたんだ。恐る恐る覗く。

「お屋敷でメイドをしてた女の子に、勝手に名前つけられちゃったんだ」

 物憂げな表情で蛇の頭をつんつんつつく真一。名の通り舌をぴろぴろさせているし、目もくりくりだ。が、メタリックなダークグレーの鱗がうねる体はどうも抵抗がある。 

「あとは治癒力が高いことくらいかな」

「ちゆ?」

「色魔は快楽に陥れるなんて言われてるけど、僕のはちょっと違うんだよね。痛い箇所にキスするだけで痛みがなくなるんだよ。もちろん治ってないよ。痛みを忘れて、また同じ間違いを繰り返す。ダメと分かってて麻薬みたいにやめられない」

 ちょっと自嘲気味に表現してくれた。これも聞いたことがある。悪魔のキスってやつか、と直哉もうっすら思い出した。怪我や病気の実質的な痛みの他、物事の記憶にも効果が発揮される。この悪魔と契約した場合、自制が利かなくなり、後悔や反省を忘れ、禁じられていることに対し中毒症状を起こすまでになるとか……。


「でもどうして同じ世界に来たんだろうね。同じ時に外へ出たからかな」

 直哉もきっとそれが原因だろうと同調した。別々の世界から来たのに目的地が同じ。偶然にしてはものすごい確率だ。

「何かの運命なのかもね」

 蛇ごと十字槍を消し、優しい表情でこちらに視線を向けた。確かに「運命」という言葉しか浮かばない。

 



 就寝時間。直哉は布団にくるまって先程の会話を反芻していた。その中で「真一は悪魔だけど敵じゃない」という認識に変わっていた。

 あいつはきっと自分よりもつらい目に合ってるに違いない。誰にでも従順で敵意を見せないのは、生き残る術だったのだろう。そうでなければ奴隷ごとき、すぐに殺されるか捨てられるかだ。

 不当な扱いを受けながらも本能で生き残ろうとした生命に対しての、敬意のような感情を抱いた。


 目をつぶると嫌な場面が浮かんだ。横たわる体を前に何度も生命力を抜けと命令された。相手はボロボロの姿で何か言おうと口を動かし、胸部が動き呼吸して――生きて――いるのが分かった。躊躇して、怒鳴られて、殴られて、言う通りにするしかなく初めて奪った命が、まさに悪魔の世界から連れられてきた「奴隷」だった。肩の番号も確かにあった。もし少しでも運命が狂っていたら真一を殺していたのかもしれない。

「畜生……」

 嫌な感覚が耳と手先に甦る。布団を頭まで引き寄せて被り、記憶が再生されないよう、暗闇の中目を開けていた。

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