第16話 4月23日 初登校(1)

「いってきまーす!」

 小学生組の挨拶が玄関に響く。拓は無言。続いて中学生組が一斉に家を出る。

 今日は朝から雨。まだ松葉杖の直哉と真一が登校初日、一緒に園長も学校へいくため、福島が特別にマイクロバスで皆を乗せていく。

「ああ~いつも車ならなぁ」

「コラコラ甘えんなよ」

 孝太郎の言葉に福島が笑いながら答える。


 学校に到着すると、真一と直哉は園長と職員室へ、他は自分のクラスへ向かう。

 校長室に入ると黒革張りでクッションがふかふかの長ソファに通された。ガラス板の机を挟んだ向かい、左から初老の校長・女性の教頭、その脇に3人の教師が立って並んだ。


 2人のために説明が行われた。

 今日の朝礼紹介から始まり、授業のこと。体育の時間や給食の時間、朝の課外活動、ホームルームなど、一部の授業や活動は所属するクラスにて行うが、それ以外は専属教師が日本語の読み書きメインの授業を暫く行う。クラブ活動の強制はしない。生活や精神面においての困りごとは保健室のカウンセラーに相談できる、などなど一通り聞かされた。


 実感がなく右から左の2人に、大丈夫よと園長が声をかける。

 組分けは危惧していたCクラスに直哉が入る事態はなかったが、美穂とも優二とも一緒になれず、真一がC、直哉がDクラスと全員ばらばらという結果になってしまった。

 

 続けて教師を紹介された。立っている左端から、C組担任の小倉という中年の男性、D組担任は黒崎という細身の若い男性、特殊授業は菊本という小柄の若い女性だった。

 それぞれ挨拶する。「教師」「先生」という言葉の響きだけで地位の高い存在のような気がして緊張した。



 朝礼は体育館で行われた。2人が壇上に上がり、転校生だと紹介されると全校生徒ざわついた。静かに! という教師の声も館内で反響する声でかき消された。

 2人はそれどころではない。こんな大人数の前で一段高い場所から、しかも挨拶をするなんて。よろしくお願いしますとお辞儀をするだけで頭が一杯だった。壇上で何をしたか記憶がない程ガチガチのまま降り、各組の担任と共に各クラスへ向かう。




 朝のホームルーム。CとD組から起こる大歓声が美穂や優二のクラスにも聞こえた。授業が始まるまで止まなかった。

 1時限目から2人は別クラスで、菊本から日本語を教わる。各組の学級委員が特別教室まで案内してくれた。

 廊下の一番端、元資料室だっただけあって急遽用意された感が残っている。黒板ではなくホワイトボード、壁側には急いで寄せたのか乱雑とした棚、机と椅子は掃除をした後のままで、机の上に乗っていた。


 真一が直哉の分の椅子も下ろし2人座る。学級委員が去ってまもなく菊本が入ってきた。

「授業始める前に」彼女は挨拶をまず教えた。

「私や他の先生が入ってきたらまず『起立』で椅子から立って『礼』でお辞儀。『着席』で椅子に座るの。やってみようか」

 菊本は起立と声をかける。二人は立ち上がると椅子を机の下にしまおうとした。風の子園で椅子から席を立つときはそうするよう言われたからだ。

「あ、椅子はしまわなくていいよ。それは最後に帰るとき。始めるときはそのままで」

 二人はお互いを見様見真似で椅子と机の間に立つ。

「礼」

 朝朝礼で挨拶するのに教わったのと同じ動作をする。

「着席」

 椅子に座り机に体を寄せる。これが各授業の始まる挨拶。終わるときにも同じことをする。ただ終わりには着席はないので、そのあと好きにして良いと伝えた。二人は真剣に聞いていた。


 菊本が冊子を配る。幼児~小学生向けのひらがな、カタカナ、漢字ドリルだ。読み書きできないと聞いていたので用意したのだが、心中では「まさか全く読めないことはないのでは」と思っていた。

 だが2人が興味津々で感嘆の声をもらすのを聞き予想は外れた。こうしてまず読み書きできるようになるための初歩的授業が始まった。




 この市では中学生も給食が出る。その時は自分のクラスで食事をする。

 D組に戻った直哉はこの教室での自席に座ると、隣の男子生徒が声をかけてきた。

「給食初めてだろ。俺原田っていうの。横井から聞いてるよ。陸上部勧められたんだって? 俺も陸上だからぜひ来てよ」

「うん」

 優二も心配して彼らに頼んでくれたのだろう。心の中で感謝した。 

 給食当番が食器や大きな深鍋を運んでくると、他の生徒たちが配膳されるために並びだした。

 2人が席を立つと別の1人が寄ってきた。

「ねーねー、俺も混ぜて」

 原田の友達の田中が、原田の肩に手をかけ笑顔で入ってきた。自分も陸上部だと教えてくれた。そしてまだ松葉杖の直哉を一緒に手助けしてくれた。

 皿やスプーンを受け取り、盛り付けされるのを順番に待つ。皆整然と並ぶのを見てすごい制度があるものだと感心した。


 食事を受け取っても、全員の配膳が終るまで待ち、揃っていただきますの声で始まる。規律が厳しい訳でもないのに皆それを守っている。学校とはなんと整った所なのだと感心しきりだった。

 いざ始まれば皆ワイワイ楽しく食べ始める。席は自由で、女子生徒は机を動かして向き合わせ、男子生徒は椅子だけ向きを変えて、談笑しながら食事をする。

 色々彼らに聞かれたが、あいまいな答えしか返せなかった。逆に、美穂や優二に聞いたことを質問してみた。

「1人で絶対に歩くなって言われたんだ。なんかあっても責任持てないから、絶対誰かといろって。そんなに危ないの?」

 二人は声を潜めて危ない危ないと即答した。

「お前Cじゃなくてよかったよ。杉村君だっけ? あの子なら多分大丈夫だと思うけど、厄介なのがいるんだ。3年にボスがいて、その手下がCに結構いるの。あいつら絡んでくるかもしれないぞ。マジ1人やばいよ」

 原田の席の近くで食事をしていた木村という男子生徒も入ってきた。

「入学してすぐB組のやつが絡まれてさ、入院したんだ。今もう元気だけどあいつ登校拒否だよな」

「あ、そういえば2、3回しか見てない」

 入院させられたなんて相当ひどい目にあったのだろう。気の毒に思った。とにかく1人でいるなと言われ、友達になろうと言ってくれた。彼らも「絶対陸上部に入れよ」と念をおした。今度部活がある日に見学に行くと約束した。


 その頃C組では、真一も囲まれていた。女子から興味を持たれ、派手な感じの女の子や、彼女らと仲の良い男の子たちが集まっていた。

「杉村君美形だよねー、読モになれるんじゃない?」

「可愛いし女の子みたい」

 話は女子が中心になって、杉村君は可愛い草食系、藤沢君はイケメン肉食系だの未知の言葉が飛び交った。

 男子は外からあきれ顔で、戸惑う真一に「ごめんなー、女子ってわかんないだろ。俺もわかんない」と冗談を言ってくれた。

 



 危惧していた事が起きた。ホームルーム後、帰り支度をしながら原田と話していると、突然原田が突き飛ばされた。

 一帯が静まる。目つきの悪い2人の男子生徒が直哉の前に立ちはだかった。

「おいてめえ、調子こいてんじゃねえぞ」

 開口一番、理解に苦しむ言葉を投げかけられた。

「転校生のくせに態度でけぇんだよ」

 向かって左にいた生徒に、突然胸ぐらをつかまれた。周りが一瞬凍りつく。直哉は冷静だった。なるほどこれが”ヤンキー”か。

「何とか言えよ挨拶がまだだろ」

 挨拶? あいさつ……そうか、いま日中だから……

「……こんにちは」

 直哉が返すと2人は逆上し「あぁ?なめとんのかコラァ!!」とすごんできた。

 正直困ってしまった。ちゃんと”あいさつ”したのに。

「どうすればいい?」

「とりあえずこっから消えろ目障りだてめえ!」

 胸ぐらをつかまれたまま揺さぶられた。

「……なら消してよ」

 目をそらさず抑揚ない声で言い放たれた予想外の返答に、相手は一瞬あっけにとられた。その直後

「何やってんの!」

と女性の声が2人の背後から飛んだ。声の主は菊本だ。

「アンタ達まだ懲りてないの?! 今度は本当に停学じゃすまないよ!」

 つかつかと教室へ入ってくる菊本を見て、相手は手を放した。

「マキちゃんこわ~~い」

 2人はそんな脅しは効かないとおどけて見せる。しかし面倒事は嫌なのだろう。そのまま出ていった。

 去り際「おいテメー後で顔かせ」と言い残す生徒に、菊本がもう一度声を荒げた。そのまま2人は走って逃げていく。

「大丈夫? びっくりしたでしょ、ちょっとでも手を出されたらすぐ言いな」

 菊本は明日の授業のことを伝えに来たところだった。お礼を言い身支度を続けた。直哉を心配し原田と田中が付き添ってくれた。

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