第13話 4月19日(1) 湧かない実感

 ついに直哉の退院の日。今井をはじめ看護士らが見送ってくれた。元気で頑張ってねと花をくれた。文字が読めないのを気遣い、カードに自分たちの笑った似顔絵を描いてくれた。

 一言世話になった礼を告げ頭を下げる。迎えに来た福島と病院を後にした。

「あっさりしてるねぇ」

「今の子なんてあんなもんでしょ」

 今井はちょっとだけ寂しさを感じた。心から笑った顔は最後まで見られなかったな、と。


 眼鏡店に寄り、フレーム選びから視力を測定、オプションの確認など一通り行う。仕上がりまでは時間がかかるので、後ほど福島が引き取ることにして店を後にする。

「悪いね、俺すぐまた出なきゃいけないから家の中まで案内できないんだ。直子さんが玄関に来るから、あそこのドアの前で待ってて」

 福島は直哉を門の前で降ろすとププッとクラクションを鳴らし、すぐに車を発車させた。

 知らない家が今日から自分の家だと言われても、緊張が先に走る。門をくぐり、家に近づく。

 クラクションの音に気付き、直子がすぐ顔を出して迎え入れてくれた。




「今日からここが直哉の家だからね」

「はあ……」

 靴を脱ぎ、指定された棚へ入れる。そして食堂へ案内される。そこには先にこの家に来ていた真一が座っていた。お互い会うことはわかっているのに、あっというような顔をした。

「お昼作るね、ちょっと待ってて」

 直子はキッチンへ入ってしまった。また会話に困る2人。視線を合わせづらい。しばらく沈黙ののち、真一が先に声を発した。

「あ、あのね、部屋のことなんだけど」

 頑張って直哉の目を見て話す。直哉もちらちらとみる。

「1つの部屋が2つに区切られてて、入口に近い方と、遠い方とあるんだ。直哉がきてからどっちを使うか決めようと思ってたんだ。後で部屋に行ったらどっちが良いか言って」

「うん」

 初めて名前を呼んでみた。何の反応もなかったが、たったこれだけの会話でもまだ慣れずドキドキと心臓が高鳴っていた。

 ……また沈黙。

 何か話そうかと考えていると、直子が2人を呼び食堂へ皿を運ぶのを手伝うよう告げた。

 

 直子、直哉、真一の3人だけの昼食が始まった。

「それでは、直哉のお帰りなさいの意味も込めて。頂きまーす!」

 直子が手を合わせて声を出す。真一は数日ここにいて慣れてきたので、手を合わせて直子と同じ動作をした。

 しかし直哉には初めての光景なので、見よう見まねで手を合わせ、聞き慣れない言葉に「……ます」とだけ言うのが精一杯だった。

 今日のお昼はチャーハン。昨日の夕飯の残り物だと言うが、野菜の彩りも良く余りモノ料理とは思えない見かけと美味しさだった。

「直哉、味大丈夫? まずくない?」

「おいしいです」

 淡々と機械的な答えでも、手を止めず食べているなら口にあったのだろう。その様子を見て少し安心した。


 食後にお茶をもらい、食後の手伝いが一通り終わると、直子が真一に直哉を案内するように提案した。

「じゃあ、部屋に行こうか。もう生活の道具もあるんだよ」

 真一の後を付いていく。階段を上り、少々薄暗い廊下を曲がり、突き当たりのドアを開けると、明るい空間が目に飛び込んでくる。

「僕がドアの近くの部屋にしてるんだ。もう慣れたから僕奥にいこうか?」

「いい」

 真一はそのまま入口の近く、直哉は入り口から見て左側のスペースに決まった。奥へ行くと直哉も同様に驚いた。

 本当に新しい生活が今ここから始まろうとしている。立ち尽くしていると、真一が他の場所も案内するというので連れ立って部屋を出た。


 一通り家の中を巡ると、そろそろあの騒がしい軍団の帰宅時間が近づく。

「小学生の子たちが居ると一気ににぎやかだよ」

 真一は内心、2人きりでは気疲れするので、彼らがいてくれた方が助かると思っていた。勝手に喋ってくれるし人見知りをしない。それに誰とでも仲良くなれる人当たりの良い子だから、直哉のように見かけが違っていてもすぐなつくだろうと思った。


 その推測に間違いはなく、帰宅するや否や砂糖にたかるアリのごとく取り囲み質問攻めにした。

「直哉にーちゃんていうんだ!」

「どこから来たの? 外国? アメリカ?」

「すごーい、髪触らせて!」

「目が真っ赤!! うさぎさんみたーい」

 好奇心むき出しで接してくる。彼らには警戒心と言う物はないのだろうか。直哉もされるがまま、触られるがままだった。

 どこから来たのと言う質問には直哉も戸惑い、自分でもわからないと答えても、その回答では逃してくれない。

 しかし何度も「分からない」を繰り返していると次第に飽き、再び目や髪に興味を示す。髪の毛一本ちょーだい! という困ったお願いもされていた。

 見かねた直子が早めに出したおやつの登場でやっと直哉から離れた。


 福島が帰ってきた。直哉の眼鏡も引き取ってきた。

「はい、眼鏡もらってきたよ。一応かけて見て」

 渡された茶色いケースを恐る恐るあける。そこには細いフレームの真新しい眼鏡が入っていた。店の人に事前に教わった通り、ツルの部分を持ち装着してみる。

 目線をあげると世界が見違えるほど鮮明になっていた。

「……すごい、よく見える」

「うわーかっこいい! 頭よさそう!」

 ちびっこ達がまた興味を持ちだした。かけさせてーという隆明に福島がだめと制止すると、ちぇーと残念がった。

 眼鏡姿の自分がどんなか見たくなり、真一に洗面台へ連れて行ってもらった。

 そこに映る自分は、本当に今までの自分の姿とは違った。眼鏡をかけただけでこの世界の住人になれたような気分がした。でも何故か喜べない。


 自分は今「藤沢直哉」。

 ここが自分の家。

 ここが帰る場所。

 自分の姿に向けて何度も言い聞かせる。

 しばらく眺めていたが、また食堂へ戻った。




 中学生組も帰ってきて、直哉を見て驚く。小学生のような騒ぎ方はしないものの、階段を上りながらすげぇすげぇと繰り返しているのが聞こえる。

 各々部屋に鞄を置いて着替えると食堂へ集結した。

「はじめましてー、俺孝太郎。すごいね髪、地毛?」

 大人数に囲まれるとなおさら硬い表情になってしまう。

「うん」

「ほんと奇麗、肌も白いし羨ましいなあ」

 美穂がじっと顔を見ながらつぶやく。みどりも小学生と同じく、外国から来たの?と尋ねた。

「ええ? 日本にいたんでしょ? 日本語わかるし喋ってんじゃん」

 直哉が口を開く前に優二が答えてくれたので、何も言わずに済んだ。でも読み書きできないことは自分の口から答えた。

「真一も同じなんだし一緒に頑張ってけばいいじゃん」

 孝太郎が励ます。

 

 積極的に話してくれる子は受け皿が広い。まだ数人話してない子供もいるが、きっと悪い子ではないだろうと真一も思っていた。

 ただやはり警戒しているのか、何人かは真一の時のように寄ってこなかった。空飛に至っては泣かれてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る