第10話 4月12日 初対面


  退院日が先に決まったのは真一の方で、明日にはここを出ていく。直哉はまだもう少し経過観察が必要だった。

 手続きをしに来た園長が、同じ家に住むのだから二人会わせたいと言うので、真一を直哉のいる病室へ連れて行くことにした。


「こんにちは」

 園長が突然面会に来たので少々驚いた顔をした。こんにちはと挨拶を返す。

「真一くん、入って」

 後ろから恐る恐る入ってきたのは、この前廊下で見かけた黒髪の少年。話はちらりと昨日聞いていた。

「あなたと一緒に風の子園に入る子の話は聞いてるよね」

「はい」

「杉村真一くんよ。彼の方が先に退院しちゃうから、こんな形で挨拶になってごめんなさいね」

 そして真一にも「一緒の部屋になる藤沢直哉くん」と紹介する。

「あ……よろしく、お願いします……」

 恐る恐る頭を下げる。顔を上げた真一は、以前廊下ですれ違ったときよりはいい顔色だったが、表情は相変わらず不安げだった。直哉が怖いのか視線を泳がせている。

「はぁ……」

 直哉はそれ以上何も言わない。他の人との初対面とは違い、やや視線を下に落として相手の目を見ないようにしている。表情もこわばっている。


 ぎこちない挨拶が交わされたが、初対面でいきなり同居人ですと言われれば誰しもそうなるだろう。が、園長は全く心配しなかった。

「真一くんは明日退院するの。あなたももうすぐだからね。折角だし何かお話しなさいな」

 園長は医師と話をするからと、なんと二人を残して出て行ってしまった。一気に気まずい雰囲気になる。

 何を話せばいいのか。どう切り出したらいいのか。


 直哉は掛ふとんの端をギュッと掴んだまま、真一は左手の親指の爪を引っかきながら、一体どれくらいの沈黙が流れたのだろう。

 こういう時の時間の流れは10秒が1分くらいに感じるものだ。



 先に切り出したのは真一だった。

「あ……あの……」

 直哉はさらに視線をずらして真一の手を見ていた。

「よろしく」

「うん」

 再び沈黙。続かない会話。真一は何かないかと会話のきっかけを必死で探ろうとしている。


「話すことないなら、無理に考えるなよ」

 ゆっくりとした口調で直哉が言葉を発した。

「あ……うん」

 少ししょぼんとする真一。直哉には正直、何故そんなに他人と関わりたいのか、その感覚が分からない。

 そのまま数分が経った。本人たちには数十分に感じられただろう。

「ここいるとじゃま?」

 恐る恐る真一が尋ねる。

「邪魔じゃない」

 拍子抜けする答えが返ってきた。何の用もないのに居られたら落ち着く訳ないだろう、きっと自分に気を使って否定したんだ、と真一は申し訳なくなった。

「もう戻るね。またあっちで会おうね」

「うん」


 出ていく真一の背中をぼんやりと追う。

 廊下では誰かの話す声、ワゴンをガラガラと押す音、それに乗せられているのであろう金属がガチャガチャぶつかり合う音、誰かが点滴のポールを引きながらスリッパを引きずって歩く音、沢山の人の動く音でにぎやかだ。

 そんな中自分の手の届く範囲はなんて静寂なのだろう。音は自分のいる場所の外からしか聞こえない。真一の姿が消えても、まだ廊下への出入口を眺めていたが、そのうちふっと息を小さく吐き布団へ潜り込んだ。




―――これからどうやって生きていけばいいんだろう。人間は皆なんであんな簡単に言葉をやり取りすることができるんだろう。いつか自分も他人と話せるようになれるのか。話せるようになったらこの人たちに交じって、ここの人たちと同じように生きていいんだろうか。

 ……いや、自分にはその資格はない。そんなことできる身分でも立場でもない。自分にここで何をどうしろというんだろう。周りで生きる人間をみて、自分のしてきた罪の重さを再認識しろと言われているんだ―――


 直哉は考えるのをやめた。




 一方、真一は部屋に戻るとベッドの上に腰かけた。退院するといってもまとめる荷物など何もない。直哉とうまくやっていけるのだろうか。そればかり気になってしまう。

 あの通り会話ができない。愛想がないというのか、そっけないというか。もしかしてもう既に嫌われているのでは? せっかく同じ家になるのだからそれは寂しい。いやでもお互い知らない人だから薄い反応なのかもしれないし、お互いを知れば話もできるかもしれない。

 ならば、好き嫌い以前にまず接点を持つにはどうしたらよいのだろう……。


 ぐるぐる考えていると園長がやってきた。

「直哉君とはお話しできた?」

 真一は首を横に振る。園長の中では想定していた事だ。この二人、この社会の事すら良くわかっていないようだし、会話になる種もないだろう。それでも合わせたのはあの家に行ってもし、既に住んでいる子供たちとすぐなじめず、二人揃って疎外感を抱いたときにお互いを意識してほしかったからだ。

「時間がたてば普通の兄弟みたいになれるよ。心配しないで大丈夫。あの家はみんな家族だからね。困ったことがあったら何でも周りの人に相談しなさい」

「はい」

 また笑顔で答えてくれた。


 園長が返ってしまうと、完全に何もすることがなくなった。

 外は日中から夜の切り替わりの時間帯だった。晴れた西の空に日が沈もうとしている。低い位置に出ているわずかな雲が灰色く影になり、その輪郭だけオレンジに光っている。シルエットだけだった建物に次々明りがつき始め、規則的に並ぶ車のライトが縦横無尽に街を行き来する。街をせき止めるように遠くに山々が連なる。広がりはそこで止まっているが、眼下に見える範囲だけでも真一には無際限の都市に思えた。

 人が暮らし、生きる世界。

 食事が運ばれてくるまで我を忘れて見つめていた。

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