第6話 4月8日(1) 誕生日

 児童相談所から報告を受けていた「風の子園」の園長がセンターにやってきた。

 白髪で高齢ではあったが、背筋がピンとして品のある身なりをしており、話し方が穏やかな女性だ。

 数年前この市内で身元不明の乳児の置き去り事件があり、その時は市長が命名、市役所が戸籍登録手続きを行い、里親が見つかるまで園が引き取り育てた経緯がある。

 今回は乳児ではない。年齢で言ったら中学生なのに、不思議なほどに過去が見えない。警察がいくら捜査しても未だ手掛かりがなく、いつまでも身元不明にしておくわけにもいかないので、今回もその時の特例が適用されることとなった。

 教育委員会と今後話し合い、学校をどうするか考えていく。何より戸籍をつくらねば。

 こなさなければならない課題は山積だが、彼のことを優先して特例を考える、と市長や教育委員会が早急に動いてくれた。

 

 前回は当時の市長の苗字と、下の名前は園長の下の名前から一字とって名付けられた。

 今回もこれに則り、苗字は現市長の「藤沢」、下の名前は園の女性スタッフの一文字をとり「直哉」とされた。

 

「園長、お久しぶりです」

 杉村医師が挨拶しに来た。

「こんにちは。お忙しいでしょうから手短でいいですよ」

 ナースセンター長がすぐ後ろからやってきた。にこやかに挨拶をかわす。

「簡単に事情は杉村先生から伺ってます。警察からも聞きました。あれからやっぱり何も話しませんか?」

 園長も今回のケースは初めてだ。少しでも事前情報を知っておきたいのが本当のところだろう。

「ええ、何も言ってくれないし、警察でも調べてくれたんですけどね。記憶喪失っていうわけでもないんですよね。もう待っててもしょうがないから分かった時にまた考えればいいですよ。こちら、彼を担当してる今井です」

「始めまして、今井と申します」

 彼女の案内で、園長と一緒に”アカイ君”の病室へ向かう。


「これからはもう、直哉君て呼ばないとですね。私たち名前が無いもんだから、アカイ君て呼んでたんです。本人の前では言わないですけど」

「うふふふ。考えたわね」

「あの子、初めて見るものに対してすごい視線向けてきますけど、そういう癖みたいだから気にしないでください。私も結構怖かったです」

 そう言われて目つきの悪い子なのかと想像してしまった。たまにわざと大人に対して睨みつけるような顔をする子供がいる。それには慣れているつもりだ。


 今井が先に中にはいり、説明をしてくれた。そのあと呼ばれて中に入る。

「初めまして」

 その瞬間、赤い宝石が二つ刺さるように光った。それが彼の瞳の色と認識したとき、美しさと共に威圧感を覚えた。おもわず逸らしたくなったが、こちらが負けてはいけない。驚きも表情には絶対出さない。想像していた、反抗して睨み付けるような一方的な敵意の視線ではない。まるで攻撃に対して身構えているような姿勢を感じた。瞬きもしない。

「風の子園の園長の、原島です」

 間髪いれず、今井が話す。

「園長先生はね、すごいプレゼントを持ってきたの」

「プレゼント?」

 目線を今井に向けて聞き返す。

「そう。君の名前」

 ちょっと驚いたようで目が開いた。珍しくみせる人間らしい表情だ、と今井は心の中で嬉しくなった。

「そう。元気になったら、園長先生の家で他の子達と暮らすんだからね。名前が無いと学校にも行けないし」

 小さく頷く。ここで園長が近づいて、話を始めた。

「あなたの新しい名前は『ふじさわ なおや』っていうの。どうかな」

「『ふじさわ なおや』ですか?」

「そう。みんなから直哉君て呼ばれるようになるかしらね」

 少し視線を下に向け黙り込んでしまったので、顔を覗き込み

「いいかしら、気に入ってくれたかしらね」

と伺いを立ててみる。

「はい」

 事務的な返事で顔を上げ、首を縦にふるものの表情は変わらない。喜んでいるんだか嫌がっているんだかわからないが、首を縦に振ったなら彼なりに受け入れてくれたのだろう。そう思うことにした。


 今井がベッド上の名前枠に、漢字とカタカナで書かれた氏名の紙を貼ってくれた。

 少し首を反らせてその文字を見つめる。彼には上下逆さまに見えている。

「これ、俺の名前が書いてあるんですか?」

「そうだよ。藤沢直哉って」

「……難しそう」

 その言葉に思わず聞いてしまった。

「直哉君、もしかして文字、かけない?」

 彼は名前を見ながら頷く。二人は顔を見合わせてしまった。彼の前で曇った表情は絶対に見せなかったが、かなり動揺した。



「学校、行ってなかったとかいう次元じゃないですね、あの様子じゃあ……」

「これは普通の勉強は無理だって報告しないとね」

 園長は昔から市長や教育長など上の人たちとかなりのつながりがある。センター長の話では、風の子園はもともと市議会議員の夫が園長をやっており、地域の信頼も厚い人だったという。残念ながら数年前に亡くなられたため、妻が園長を引き継ぎ家を守っているのだ。

 今井は今更ながら偉大な存在なのだなあと思い知らされる。一言で市や教育長が動き、彼のための教育ができるようになるなら、今後のためにもなるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る