第29話・三番目の存在

 「はー…お腹いっぱい」

 「うむ、あと二皿はいけたな」

 「うむ、じゃねえよいっこも繋がってねえよ俺と正宗合わせたより食うとかどんな腹してんだよおめえはていうか財布が空じゃねえか今週いっぱい何食えばいいんだよ」

 「淀みないツッコミ、見事であるな家主殿」

 「おめーも冷静に追従述べとらんで主人の暴挙止めろよ!」


 用事ついでに真鍋さんの不動産屋に顔を出し(日曜日だというのに、こちらの用事のためにわざわざ開けておいてくれたのだ。頭の下がる話だった)、こちらが大人数であるにも関わらずお昼をご馳走してくれようとしたのを流石に丁重に辞退した。

 とはいえ、とてもいい中華料理の店、という話だったので、興味の赴くままに店の名前だけ教えてもらったまではよかったのだが。

 …店の名前と場所だけ調べて、値段を調べなかったのが敗因だった。


 住宅街の中にあるには相応しい店構えに反して、中身は本格的な中華料理屋であったため、歯止めの利かなくなったシュリーズを止める手立ても無く、気がつけば一週間分の食費を完全に食い潰された。

 くっそう…店に入った時の嫌な予感を素直に信じてりゃ良かったわ。真鍋さんもあんなたけぇ店に連れてってくれるつもりだったんか。ますます頭上がらんわ。ていうか、シュリーズを一緒せんで良かった。んなことになってたら頭でなくて顔が上がらん。申し訳なさでなくて恥ずかしさで。


 「…何を上手いこといってやった、みたいな顔してんの」


 む、顔に出ていたか。


 「小次郎どうだ。少し腹ごなしに歩かないか?」

 「おめーにゃそんなもんこなさないで今週ずっと今食ったのを腹にため込んでおいて欲しいところなんだがな!」


 そんな財布の葛藤も気にせずのーてんきに昼下がりの陽光に目を細めるシュリーズだった。


 「無茶を言う。しかしそんなにお前に言われるほどの量を食したつもりはないのだが…」

 「あー確かに量で言や恐れ入るほどじゃねーよ。せいぜい三人前てとこだもんな。問題は金額だよ金額!いくら味が良いからって一品千円越える料理を四品も頼みやがって…金額見てから頼めってんだ」

 「小次郎もいーかげん諦めたら?もう今週は母さんに言ってなるべく夕食はうちで食べさせてあげるよ」

 「……わりぃ、いくらなんでもそれは情けないので遠慮しとく」


 まあ確かに頼んだのはシュリーズだったが、俺も正宗も結構ぱくぱく食べていたのであんまりキツイことを言えたもんじゃない。増して、足りなかった分を正宗に出してもらった身としてはこれ以上世話になるわけにもいかん。


 「しばらくはモヤシと調味料の工夫でなんとかするしかねーなあ」

 「仕方あるまい。身から出たなんとやらだ。それに小次郎の作ってくれるものであれば、特に私に文句はない。安心して節制に励むがよい」

 「甲斐性無しの亭主の不始末を笑顔で引き受けるとは…なんと出来た嫁であろうが」

 「いろいろ前提条件間違ってんだよ反省の色がなさ過ぎんぞ!」

 「いふぁいいふぁい!わらひはいっふぁんへはふぁふて、らひふぁふぇふぁいっふぁのふぃ!!」

 「…えっと、いたいいたい、わたしがいったんではなくて、らじかせがいったのに!…うん、あたしにもなんとなく分かるようになったよ」


 もち肌の頬を思いっきり引っ張る間、被告の通訳を完璧に演じてみせる有能な正宗には惜しみない拍手を送った。両手が塞がっていたので心の中でだけどな。




 まあそのような次第で、腹持ちは悪くない中華料理であるからしてこのまま明日の朝まですら保たせたいところではあったが、退屈というやつは時に人間の足を運ばせるのに何よりも効果があると来やがる。

 買い物は後回しにしてとにかく、シュリーズは目に付いたものありとあらゆるものにあれやこれやと興味を示し、次から次へと俺と正宗を質問攻めにしていた。

 まー最初のうちはいちいち細かく応じてやってはいたのだが、そのうち面倒くさくなって正宗に押しつけ、その正宗もあしらいきれなくなってかこっちに助けを求めてくるに至って何故か通りすがりのおばちゃんに、来日したてで見るもの聞くもの全てが珍しい外国人、的な認識をされたためか大変に微笑ましい対応を受けているところを二人と一台でほっこり見守る羽目になったというのは、晴れた日曜の昼過ぎの娯楽としては果たして適切だったのだろうか。


 そして、どっちかっつーと教える欲を満足させた感のあるおばちゃんを見送って後、一頻り騒いで少し疲れも見せるシュリーズに今度は正宗が、先日の出来事について詳しいことを聞きたがってきた。

 というのも、だ。ちょうどここいらはラチェッタとかいうド迷惑なヤツに出会った場所に近く、その事を思い出して口にしたらそこんとこの真相についての憤慨がぶり返してきたらしかったのだ。

 そりゃま、シュリーズにとっては理不尽な目ではあろうけどさ、今更俺らが怒っても仕方が無いんじゃね?と宥めようとしたのだが、したらシュリーズのやつときたら、


 「…いや、正宗はひとりだけ除け者にされたようで面白くないのだと思うぞ」


 だとよ。そんな了簡の狭いヤツではないと思うんだがなあ。

 それでやむなく、俺が見たもの聞いたもの、そんでここであんなことがあっただのなんだのと話をしてやると、最後にラチェッタと立ち回りをした海岸に連れて行け、ときた。勘弁してくれよ…そりゃ話だけ聞きゃ面白いかもしれんけどよ、こっちは何度死にそうな目にあったことか、ってんだ。いやま、具体的にはシュリーズに抱えられて飛び跳ねた回数に限るんだけどさ。


 で、結局はただの砂浜に行っても別段面白くもなんともないこと、俺もシュリーズも、思い出して愉快とは言い難い出来事であったことを盾にして、その代わりにと隣接する海浜公園に来たのだったが…。


 「…寂しい場所だな」


 うららかな日の光に反してそこは人気の皆無な、むしろ薄寒さすら覚えるなんとも寂れた光景だった。


 「そこの団地ももう人住んでないしねー」


 正宗の言うとおり、公園の陸側に位置する鉄筋コンクリート製の建物はかつて団地として賑わっていたのだが、確か十年にもならないくらい前に最後の住民が退去して今は無人のはずである。

 この公園だって、その団地の住人向けに作られた施設のはずだったが、今となってはタコを模した滑り台の鮮やかだったと思われる赤い色も褪せて、ゴーストタウンっぷりを演出する一助にしかなっとらん。

 …とはいうもののな。


 「っかしいな。いくら何でも日曜の、しかも晴れた日にだーれもおらんってのも妙だ」

 「だよねえ…どしたんだろ」

 「こういうものではないのか?その、確かに寂寥としたものはあるが、風情、というのか?その中にも感じるものがあるとか、そういう感覚がこの国にはあると思ったのだが」

 「いやそんな難しい話じゃねえよ。そこの団地こそもう人は住んでないけどな、またそんな離れてもいないところが古い住宅街なんだよ。ってか、通ってきたじゃねーか」

 「家主殿、そうは言ってもこの暑さでは外を出歩くのを避ける、というのも当たり前の話なのでは?」


 暑い、といってもな…昼飯で朽ちた腹を抱えて歩くうちに、実のところ曇ってきてはいるから、ここらの誰もが外出を避ける、って程でもないと思うんだが。

 それに、休日となれば子供を遊ばせている親なんぞ珍しくもない場所なのである。そんなところに誰も居ないってのは…。


 …ラジカセに一つ目配せ。そこらをブラブラするように気のない振りで歩き出す。

 案の定、二人は他に気になるモンでもあるのか、ついてくる様子も無し。

 そして不自然でもない程の距離を置いたのを確認してから、ラジカセに声をかける。


 「おい、またお前らの仕業じゃないのか?いや、お前らでなくてもご同輩が何かやらかしてんじゃねーだろうな」


 そう、いつぞや感じた変な空気にも似たモンが、俺の肌にピリピリと来ている。といってあの時のようにシビアっつか不安をかき立てられるというよりは、なんか呑気な感じがするので、今ひとつ緊迫感には浸れんのだが。俺が慣れただけなのか?


 「ラチェッタ嬢のものとは違うな。いや、そもそも竜の娘の力かどうかすら分からんが」

 「…そういうのは分かるもんなのか?」


 ここまで、一応正宗には聞かれないようにしていたが、一際声を潜めて問う。いや、そんなんバレたらまたゴネられそうではあるけどな、ややこしいヤツが追加されるとなると、いちいち要らん気を回す必要もあるってわけだ。


 「細かいことを言えば、分からん。そもそも同じ竜の娘同士であっても、換える力を行使しているかどうかを判別出来ようはずもない。そのための換える力であるのだからな。ま、何事にも例外はあるが…」

 「理屈は分からんが、ともかくお前らがやっていることでもない、ってのは分かった。まあ危険があったらすぐに知らせろよ」


 比較的マジなトーンでここは念を押す。ラジカセが気付かない以上、能力やら存在やらの出所であるシュリーズだって気付いたりゃあしないはずだ。となると、あっちでタコの滑り台に興じているアホどもではこの能天気な空気の中で何かが進行しているとしても、やっぱり気付くこともあるまい。


 「…さて」


 ラジカセにはそれとなく二人を見守るよう言いつけて、こちらは一通り周囲を探索にあたる。いや、特に気になることがあるってワケじゃないが、なんとなく雰囲気で。

 午前中の強烈な太陽は影を潜め、海からの風はまあ良い具合に涼しさを運んでくる。

 腹はふくれてこれで何の懸念もなけりゃあ、木陰で昼寝の一つもキメたくなるような天気だ。

 …穏やかな海に夏の空。腹は満ちて、そこには無邪気な子供たち…は言い過ぎか。無軌道な娘ども。

 これで根拠も無くピリピリ出来るヤツがいるとしたら、そいつはスゲーひねくれ者に違いあるまい。


 「………」


 いかん、なんか気が緩んだらもよおしてきた。確かここの公園では見たことがあった気がするが…と、出入り口の陰に公衆トイレを発見。てか、古さ故に気持ち良く使えるかどうかには一抹の不安を抱くのだが…仕方あるまい。


 「あいつらは…と、おーい正宗!ちっとトイレ行って来るからそこ動くなよ!」


 タコの滑り台から鉄棒に興味の対象が移っとるようで、シュリーズは平均台のようにその上を歩いていた。使い方は間違っているがまた器用なこった。


 「そんなのいちいち断らなくてもいーよ!さっさと行けーっ!」


 流石にスカートで鉄棒というわけにもいかない正宗は、シュリーズを見上げていた顔をこちらに向けてどなり返してきた。

 ラジカセは、と見ると頼んだ通り正宗の足下にいる。辛うじて浮いているように見えるが、果たして誰かに目撃されたら目の錯覚で押し切れるかどうか、微妙な高度だった。


 「…ま、いいだろ」


 どうせ誰もいねーんだし、とこの時ばかりは人気の無さに感謝しながら、小走りでトイレに駆け込む。なんで尿意って気がついた途端に盛り上がるんだろうな。

 古いコンクリート製のソコは、まあ古いだけあっていろいろとアレな状態ではあったが、不潔過ぎて使用も躊躇われる、って程でもない。そりゃま、現役で子供も出入りする場所なんだからそーいうもんなのかもしれないが、こうまで古いトイレをそこそこキレイに維持する苦労ってのは俺なんかには想像もつかんだろうなあ。トイレ掃除はおろか、アパートのメンテも場合によっては自分でする身としてはなかなかに頭の下がる仕事だったりして、汚すのにも若干気後れがする。

 とはいったところで出るものは止められるはずもなく、なんとなく忍び足で便器の前に立ち用を足す。

 そうしていると、なんかこう尾籠びろうな話でなんだが、満たされたという開放感と、臭い抜きのためだか天井近くに広く空いた隙間から覗く青空が上手い具合にシンクロして、本日一の爽快感を味わえている。ちーとばかり暑くて臭いはこたえるが。


 「よっ…と」


 用足しが済み、鼻歌の一つでも出ようかという気分で天井を見上げる。


 「………」


 そしたら、黒髪の女がこちらを見下ろしていて、目が合った。

 うん、まあ美人だと思う。割と年上ではあるが、ただし表情というものが一切欠けているせいか、存在感的なものが全く感じられない。それがこっちをじ~~~っと見つめている様と言ったら、なんというかこう。


 「…………………で」


 チャックが閉まっていたのは幸いだったと、後から思った。


 「出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 その正体を考える間も無く、脱兎のように飛び出す。もちろん手を洗う暇なんぞない。


 「出た!お、お前ら出たぞ!」


 トイレを出ると一目散にシュリーズ、正宗の姿の元に駆け寄る。

 そして荒い息を整える間も無く見たアレのことを告げようとしたら、正宗に呆れたように言われる。


 「出た出たって、そりゃあお手洗いに行けば出るでしょーが。そんなこといちいち嬉しそうに報告しないでよ」

 「いやそうは言うがな正宗嬢。実はお手洗いで出す他に入れる方を専らとする者共もいると聞いたことがあるぞ」

 「ほう、となると小次郎は常日頃から入れる行為を好むということか。ところで入れるとは何を入れるのだ?」

 「アホかお前らは!俺を何だと思ってやがる。出たっつーのは…その、幽霊だ幽霊!」

 「「「…………」」」


 思いっくそドン引きした目で見られた。あ、いやラジカセには目は無いが。


 「……あのさあ小次郎。何で日曜の真っ昼間に幽霊が出るのよ。ここ最近寝不足でとーとー幻覚でも見るようになった?あ、でも今日は遅くまで寝てたよね」

 「そりゃ確かに幽霊は言い過ぎかもしれんけどよっ!トイレの外から女に覗き込まれるとか恐怖以外の何モンでもねーぞおい!」

 「女…?それは、噂に聞く痴女というものではないのか、家主殿」


 軽口の類かもしれんが、そのラジカセの感想は俺を余計にビビらせるだけである。


 「じょっ、冗談じゃねーわ!おい、さっさと逃げるぞ!こんなとこに居られるかっ!」

 「あ、うん。ゴメン余計なこと言ったかも。確かになんか気味悪いからどっか行った方がいいかもね」


 異論も無さそうな正宗が先に立って歩き出す。コイツはこういう時物わかりが良くて助かる。


 「幽霊だとっ!!!」


 …が、空気読まないもう一人が変なところに食いついた。


 「小次郎!是非見たいのだがっ!連れてきてくれ、いや私をその者のところに連れて行けっ!」

 「アホかおめーはっ、何を聞いていた!」

 「話に聞く幽霊というものをこの目で見るまたとない機会であろうがっ!」


 ダメだこりゃ。


 「…ああそうかい。まだそこいらにいるだろうから一人で勝手に探してろ!俺は逃げるからなっ!」


 こんな話でもなけりゃ呆れながらも付き合ってやるのに吝かではねーが、今回ばかりはちょっと我慢も出来ん。どーせ一人で居残りも出来んだろうから気前よくラジカセも付けてやるわ、とラジカセの把手を掴んでシュリーズに押しつけてやる。

 よっぽど俺が必死に見えたのか、シュリーズは意外そうな戸惑い顔でラジカセを受け取り、何か言い返そうと口を開きかけた。


 「取込中に済まんのだが」


 が、先に声を上げたのはラジカセの方だった。


 「現れたぞ」

 「…っ!」


 何が、などと問う必要もあるまい。

 俺は恥も外聞もなくシュリーズの背中に隠れて周囲を見渡す。背後から正宗の溜息が聞こえたような気もするがこの際構っていられない。

 シュリーズの方はそんな俺の様子を特に怪訝に思うようなことも無さそうで、一頻り周囲を警戒していたが、何も見つけられなかったようで、


 「誰もおらぬが」


 と、腕に抱えたラジカセに声をかける。


 「上だ、上」

 「うえ?」


 シュリーズと俺、揃って視線を上方に向ける。正面、何も無い。右、青い空しか目に入らない。左………その、なんというか、人影が、浮いていた…?


 「!あれだあれ!あの女…」

 「な…」


 絶句して見上げた先に、先程見かけた顔が、あった。

 さっきは長さまで分からなかったが、まとめる必要も無さそうな日本人形のようなおかっぱショートの黒髪は、印象を新たにすると無表情というよりは光に乏しい目と相まって余計に幽鬼じみた不気味な印象を覚える。

 ぱっと見で美人と言える顔立ちは、かえっておどろおどろしさを更に醸し出すことにしか役立っていない。

 そして何よりも、俺たちの頭の高さよりもずっと上につま先があるという状況は、これが真っ当な事態でないことを何よりもハッキリと示してる。


 「な、なにあれ……もしかしてさっき言ってた…ら、らちぇった?とかっていう人?」


 正宗も呆然とした声で疑問を投げかけている。

 けど、その内容は的を射てなかった。俺が初めて見る女の姿におののいているのを見て「だ、誰?」と呟いていた。

 そして、その答えは俺のすぐ目の前で姿を変貌させていくシュリーズが、与えた。


 「………どうして、あなたがここにいるのだ!マリャッスェールス殿!」

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