3章・惑いのカルテット
第19話・店子といえば隣のお姉さんも同然
「こ~じ~ろ~…」
「どわぁっ!!…って、心臓にわりぃ起こし方すんじゃねーこのドアホ!!」
寝覚めは最悪であった。これなら起きた瞬間に事態の把握のために脳がフルスロットルに入ったりしない分、「お兄ちゃん」とか呼ばれた方がまだマシである。
「…くっそ、時間通りなのは助かるが…昨夜寝た時間がアレだしまだ睡眠が足りねぇ…というか、お前どーやってこの部屋に入った」
貸しておいた鍵は回収したはずなのだが。
「鍵を正宗に借りた。朝来るからその時に返してくれと」
「あんにゃろはまた朝飯こっちでたかるつもりか…」
今朝は一応着替えてきたシュリーズを横目で見ながら立ち上がり、大きく伸びをする。
シュリーズに言った通り、昨夜は正宗の説教…という言い方はあまりにも事態を緩く捉えすぎている。アレは正確に言えば暴論が暴走してただけだ。
いやま、極端に感情的だったことを除けば言ってる内容は積極的に賛意を示して構わんのだが、乗っかっていたら何処まで行くのか分からん有様であったので、抑えに回ったのだ。
そのお陰で空腹が満たされた時間がとんでもないことになっていたことでお察しというものである。
「ああもう…おどろおどろしい声で起こされたもんだから体の方が目覚めに追いつかねぇや…ふわぁぁぁぁ…っと……」
どーにも脳の意図通りに動かない体を無理繰りに引きずるようにして体を起こす。
シュリーズは今朝はちゃんと着替えて来ていたが、こう、どうも女の衣服というものが分からん俺から見ても若干、着崩したというか満足に身だしなみを整えられていないというか、何かまとまっていない印象がある。
「…なっ、なんだ。あまり見るな」
俺の視線が不躾だったのか、若干腰が引けているシュリーズ。そこまでジロジロと見ていたつもりはなかったのだが。
「別にそんなつもりは無い。布団片付けて着替えるからほれ、出てけ」
「…むぅ。私も昨夜はよく寝られなかったのだ。あまり邪険にしないで欲しい」
「なんだ、意外と繊細なトコあんだな」
「そういう言い方をしなくともよいではないか。私にだって思い煩って寝付けない夜くらいある」
…ま、それもそうか、と昨日相当にややこしい事情を明かされてしまった身としては思わないでも無い。
ともあれ、シュリーズを追い出して布団を片し、とっとと着替えを済ます。まあ今日は珍しく一日フリーなので比較的のんびりしたものだが、俺も貧乏性なのかなんなのか、寝坊でもしてりゃあいいものをいつも通りに目が覚めないと気が済まない、っつーのも勿体ない話だよな。
『…小次郎、今日は休みだと聞いたが』
「んー?そういや昨夜話してあったっけ。何だよ、一日付き合えとかふざけた話じゃねーだろうな」
襖の向こうから聞こえてくるシュリーズの声。少し期待を込めたような物言いに思えるのは、俺の自意識過剰ってものだろうか。
『いや、少し相談に乗って欲しい。私の働き口のことでな』
「あー、そういやそんな話もしてたっけな。まあ俺もあたってはみたけど、どーもなあ…」
『難しそうか?』
まさか、おめーの性格と容姿を考えると安全な仕事が見つからない、などとはっきり言うワケにもいかないので、適当に茶を濁す。
「いや、なんとかなるだろ。いくらか入れてもらいたいのは確かだけどよ、あんま無理すんな」
『むぅ…』
あてにされてないのが面白くない、という響きだった。つくづく扱いの面倒なヤツではある。
ただ気持ちは分かる。後ろ盾の無い場所で、何の役にも立っていないと実感するのは妙に後ろめたいもんだしな。
『…せめて好きなものを買って食すくらいの収入は欲しいものだが』
「結局おめーはそれかい!」
襖を開け放つや否や、突っこむ俺だった。
「今日は小次郎も一日暇なんでしょ?それくらい付き合ってあげればいーじゃない」
「ひとんちの事情だからって気軽に言ってくれるじゃねーか、おい」
朝飯の仕度を始めると同時にやってきた正宗が、自分で失敗した目玉焼きの焦げたところを取り除きながら言っていた。
つーか、夏休みの日曜日、などという無意味なシロモノを少しでも意義あるものにするつもりがあるのなら、いつも通り隣の家に朝飯食いにきたりしなけりゃいいのになコイツも。意味が分からん。
「ひとんちの事情だなんて水くさい。シュリーズとあたしの仲だもん。小次郎のことなんか果てしなくどうでもいいし」
「さよけ。まあどっちでもいいけどよ、おめーが探してやるつもりなら俺は用無しだな。ごっそさん」
ちっと日差しはきついが、午前中のうちに裏庭の草むしりでもしておくか、と作業の段取りを考えつつ味噌汁を飲み干した。インスタントとはいえ、これからかく汗のことを考えると塩分補充としては、ちょうどいい。
「そう邪険にするものではないだろう、家主殿。せっかく我が主が珍しく…本っ当に珍しく、これはかつてないことであるが自分から働こうとしているのだ。ここは正しく更生の機会として導くのが…人の道というものであろう?」
「出現してまだ三日しか経ってない分際でほざくことか、貴様」
「…三日しか経ってないわりに見事なくらいに息が合ってると思うケド」
「だそうであるぞ?どうだ、主。ひとつ並んで舞台に立ち、世を笑いで明るく照らす道を選んでみぬか?」
「空飛ぶ無機物と漫才とかまた随分シュールな絵面になりそうだよな。まあ見てみたい気はするが」
そんな感じに、全く生産性のない会話で食後の時間を無駄にしていた時だった。
ぴん……ぽ~ん。
ボタンを押したときの「ぴん」と、離したときの「ぽーん」がやけにズレてる呼び鈴の押し方。
まああれだ、この界隈でそんな押し方をするヤツは一人しかいない。
「む、小次郎。来客か?」
「来客っつーか顧客ではあるわな、我が家の家計にとっては」
それを潮に、ちゃぶ台の上を片付け始めたシュリーズにあとを任せ、「もしかしてアナ姉?」とビミョーな顔をしてる正宗の声を背に俺は玄関に向かった。正直客としては頭に「招かれざる」をつけたくなる場面も多々あるが、まあ放置するわけにもいかない。
「うぉーい、今開ける。つかこんな時間に起きてるとか珍しいな」
扉を開けながら迎え入れると、相変わらず肌の露出の多いタンクトップにショーパンという出で立ちの女がいた。
「ハイ、小次郎ちゃん。ん?もしかして先客?」
玄関に並ぶ靴を見て、そんなことを訊いてくる。まあ招かれざる度であればおめーよりも上だよ、という誰にも喜ばれない感想をぐっと飲み込み答える。
「ありがてーことに先客っつぅより千客なんとやらだよ。何か用か?」
「あー、湯沸かし器の調子が今ひとつでねー。真夏だから急がないけど、後で見といてくんない?」
「ああ、そりゃ悪いな。ガス屋呼んどくわ…ってかおい、勝手に上がり込むなっつーの」
気易いにも程があるだろーが、と一応文句は言ったが、どーせ中にいるのが正宗だと踏んでいるのだろう、特に気にかけた様子も無く、ずかずか上がり込むヤツだった。
「あら、ムネの字だけかと思ったら新顔?」
「アナ姉、おはよ」
食器の撤去が済んでいたちゃぶ台を前に、慣れたようにどっかと腰を下ろしたヤツは、慣れたもんで正宗と朝のあいさつを交わすと「お茶!」と図々しい要求をかます。
「えっらいキレイな子じゃない。小次郎ちゃん、どこで拾ったの?大家さんの関係?」
そして説明が省けて助かることを言う。シュリーズのことだ。
すぐ後から部屋に入った俺が、まあそんなとこ、と適当に茶を濁していると、シュリーズの方はまたあたふたとした様子で俺と正宗、それからアナの方を見てこう言った。
「な…ないすちゅーみーちゅー?は…は、はばーないすでー」
初めて外国人と対面した中学一年生かおめーは。
…とでも突っこむべき場面なのだろうが、まあ無理もあるまい。
今し方闖入してきたこやつは、見た目はどっからどうみても白人女性なのだから。
名をアナスタシア・ベレズナヤといい、この棟の二階に住んでいる。というか部屋でいえばシュリーズの隣のはずなんだが、まだ顔を合わせてなかったんかな。まあ生活時間が一般人とかけ離れてるヤツだしなあ。
ロシア人の両親を持ち、ただ日本で生まれてずっと日本育ちであり、ロシア語より日本語の方が堪能なのだ。国籍も日本を選択しているため、言うなればロシア系日本人、というやつか。
二十六とか聞いた年齢相応に立派な体格をした、年甲斐のないソバカスと赤毛が特徴的なねーちゃんなのだった。
「アホ。こいつは日本語の方が話通じるし、普通でいい。ほれ、アナも自己紹介しとけ」
「はいはいー。なんか隣の部屋で人の気配すると思ったらあなたのことだったのね。隣の部屋の、アナスタシア・ベレズナヤよん」
「…あ、ああ。私は…ヴィリヤリュド・シュリーズェリュス・リュリェシクァという。どうか見知りおき願いたい。あと、呼び名はシュリーズと…」
「あいあい、シュリ子ね」
「しゅ、シュリ…子?」
いきなりハイペースで接してこられてついて行けない様子のシュリーズだった。
自分はマイペースのくせして、距離感無視してくる相手には弱いヤツだ。
「おい、アナ。メシ食ったのか?食ってなけりゃ何か出すか?」
まあそうしてあたふたしてるシュリーズを見てるのは割と面白いが、ニヤニヤしてて後で責められるのも面倒なので、助け船を出しておく。
「んー?これから寝るとこだし、遠慮しとく」
「これから…?」
「そ」
「あー、アナ姉はね、マンガ家のアシスタントしてるの。夜型の仕事だから、昼夜逆転なんて普通だしね」
と、これは台所と居間を往復している正宗。
まあマンガ家のアシスタントなる仕事がどういう内容のものか俺にはよーわからんのだが、あまり一般的でないことだけは間違いなかろうて。
「マンガ家…?アナスタシア殿、あなたはマンガを描いているのか?」
…のだが、シュリーズが食いついたのは意外だった。
「仕事でね。もちろん自分が好きでもあるんだけど」
「詳しく!…あ、い、いやその、どんなマンガを描いているのか?」
「あ、興味ある?仕事したのも同人で描いたのもあるけど。部屋にタンマリあるから貸してあげよーか?」
ふむ。アナの仕事内容に興味は無いが、この際面倒な居候をしばし預ける口実にはなるかもしれない。
「おい、アナ。わりーけどこいつの面倒しばらく見ててくれねーか?寝るんならマンガ貸しといてくれりゃいいし」
「小次郎…どーも私を厄介払いをしようとする意図を感じるのだが」
「そっちで勝手に時間潰してくれるんなら俺としても大助かりだ。家事をする必要もあるしな」
「わたしは別に構わないけど。寝てる間に勝手に読んでていいわよん。ああ仕事道具見られると困るから、読みたいヤツ部屋に持ってってちょうだい」
「助かる。つーわけだから、おめーはしばらく留守番しててくれ」
「留守番?というとどこか出かけるのか?」
「買い出しとかだな。そんなに時間はかからん」
実際、大分伸びた草むしりをするにも鎌が錆びて使い物にならんのだ。新しいものが欲しいところだったしな。
「あ、じゃああたしもついてく」
「要らんっつーの。お前こそシュリーズと一緒にいろ」
「なんでさ」
「こいつ一人にしといたら何をしでかすか分からん」
「小次郎。えらくご挨拶じゃないか」
「自覚のないアホほど扱いづらいものはねーよなー」
「なんだと?!おい、そこに直れ…叩っ斬ってやる!!」
いきり立つシュリーズ。俺も受けて立ってやるとばかりに立ち上がる。いやまあ、アナや正宗もいる場で抜いたりしねーだろうな、と高を括ってるからなのだが。
…抜かないよな?
「あーはいはい、小次郎ちゃんも煽らないの。可愛い女の子をからかうのが男の子の甲斐性なんてのは小学校低学年までの話なんだから」
「…アナスタシア殿、それはどういう意味なのか?」
「よーするに小次郎はガキだってこと」
「なるほど」
「なるほど、じゃねーよ」
正宗の解説で納得する一同だった。アナがいるので静かにしてるラジカセが笑うように震えてていた。あとで覚えてろ。
とはいうものの、話にオチのついたような空気は都合がいい。気を取り直した様子のシュリーズをアナに押しつけて、俺はさっさと出かけることにした。
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