番外編1

ぶんがくせいの相違

 「…うん、やはり良いなあ……」


 パタン、と紙の重なる音を立ててシュリーズは優しく手元の本を閉じた。


 「幸薄き身の上の姫君、かつて卑しからぬ身分であった少年はその境遇を思いやって正体を隠しつつ身を案じ、手紙による交流を重ねる…やがて互いへの思慕は恋情に変わり、身姿を知らずに恋に落ち…姫はいつしか汚い政略に巻き込まれて望まぬ婚姻を強いられる…だが少年はそうと知って姫を救うためにかつて捨てた身分と剣を取り!……そして少女を救いに駆けつけるのだ………!ああ、たまらん!!私にもいつかそんな存在が………っっっ!!!」


 嫋やかな文学少女然とした所作はいつの間にか妄想の赴くまま我が身を掻き抱く仕草に取って代わり、紅潮した顔を振る姿はおよそ他人が見たらドン引きすること間違い無い。


 「…そうだ、そんなことが起きたら大変なことになる。今のうちに我が身に想いを寄せそうな良き人を探しておかねば……誰にしようか?……うーん…」


 そんなことが起きたら全然違う意味で大変なことになりそうなことを真剣に考えるシュリーズ。


 「アミーリェティリェンの末弟は…性格は申し分無いが少しゴツすぎるしな。彼の者はむしろ見た目に性格を合わせれば良いのだ。ミテリェリリゥの警護隊長…あれで私より背が高ければ完璧なのになあ…気高い性格と剣の腕前に似合わない華奢な風体だというのに、全く勿体ない。そうだ、最近話に聞くモルトゥレリェンタの見習いの書記はほぼ完璧な美少年だというが…ああ、確かあれで賭け事に夢中だという話であったな…惜しい、実に惜しい…というか、大貴族の書記がそれでいいのか?」


 ちなみに今シュリーズの挙げた人物の全て、妻帯者であったり婚約者がいたりする。妄想が実現したら一族まとめて大騒ぎになりかねないのだが、全くお構いなしだった。


 「あとは、アリェシトゥアの長兄殿か。物腰も爽やかだし見た目も流石というべきなのだろうが……うーん…アリェシトゥアだからなあ……」


 まあ所詮は妄想止まりである。それを実行に移すだけの度胸はシュリーズには無い。迷惑を考えてというよりも単に自分のことに関してはヘタレなだけだからなのだが。


 「こうしてみると我が身の周りにはろくな男がいないのだな。それでも昔は我が心を焦がせる見事な男子も数多かったように思うのだが…ふむ、これはアレか。我が身も一端の女として成長した証というものだろーか」

 「ぬゎぁに勝手なことを言っているのかアンタわぁっ!!」


 人の往来の自由な昼間のテラスである。いくらそれなりの身分であるシュリーズが憩っているとはいえ、いちいち近くを通りかかった程度で声を掛けてくる者もいない。

 正確には、本を手にして妄想暴走中のシュリーズには関わるんじゃない、という不文律が徹底されているだけとも言うが。

 だから、神妙な面持ちでぶつぶつ言っているシュリーズに怒鳴り込むよーな酔狂な輩は数が知れている。


 そして、その一人であるところのヴィリヤドリューチェ・ラチェートゥングァリュス・アリェシトゥアもまた、ある意味シュリーズと同様の危険人物扱いされているのではあった。


 「なんだ、ラチェッタ。昼日中に怒声と共に現れるとははしたない。年頃の娘らしくもう少し落ち着きを持ったらどうだ」

 「ああ?!昼日中から傍迷惑な妄想に身もだえしているアンタに言われたかないわよっ!」

 「下品なことを言うな!これは高尚な思索に耽っていると言うべきだろうが」

 「あの男がいいこの男は駄目だとか聞こえるように呟くののどこが高尚だ!それも二人三人でやってりゃ微笑ましいでしょーけど、あんたの場合一人でやってるから不気味だっつーのよ!妄想の対象にされる相手の身にもなってみんさいよ!つーかウチの兄貴の名前まで挙がってたじゃないのさ!」

 「ああ、聞こえていたのか。いやな、ベリルーシュリィス殿はまあ良い男だとは思うが、何せお前の兄というところがな…」

 「あんた如きがうちの兄貴をどうこう言うんじゃねーってのよ!妄想する以前の問題だわ!」


 反駁を片っ端からたたき伏せて、ラチェートゥングゥアリュス…愛称ラチェッタは大きく肩を上下させて息を継いだ。


 「はぁ、はぁー……ちょっとこれ貰うわよ」

 「別に構わないが、飲みさしだぞ…座ったらどうか?」

 「…あー、そうさせてもらうわ……ちょっとー、私にも同じのちょうだい。…結構美味しいわね、なにこれ」


 シュリーズの飲みかけを奪って一息であおると、ラチェッタは向かいに腰掛け、常駐している給仕を呼び止めて飲み物を要求した。


 「最近読んだものの中に、こちらのものでも代用出来そうな飲み物があったからな。試しに作らせてみた」

 「あんた相変わらず妙なことにばかり研究熱心ねえ…」


 と、ラチェッタは空になったグラスを掲げて覗き込みながら感心した。溶けた氷と混ざった薄い茶色が、飲み干した飲料の存在をうかがわせている。


 「こおひい、とかいうらしい。炙った豆を砕いて煎じている。そのままだと苦いので甘みをつけてはいるが」

 「ふぅん、聞いたことあるかも…って、そうじゃないわ、探していたわよ。今回入った本の中に頼んでおいたものが無いじゃ無いのよ!」

 「ああ、訳の手が足りなかったのでな、後回しにした。大体お主の趣味は賛同者が少なくて…」

 「あんった、前回も同じこと言ってたじゃないの!私の趣味がどーのこーのじゃなくて嫌がらせしてるとしか思えないわ!」

 「僻みというものだろう、それは。読むものに困っているのであればどうだ?この本は割と薦められるぞ?」

 「そんな子供じみた話にいつまでもハマってんじゃねーわよ、いい加減成長したらどうなのさ」

 「なっ、言うに事欠いて子供じみたとはどういうことだ!王道の物語はいつの世も普遍の読む喜びをもたらしてくれるというのに」

 「王道っていつの話よ。あんたが収集始めてからだから十年そこそこじゃないの」

 「彼の地では長きに渡って親しまれているのだ。お前こそ基本を忘れて頓狂な物語に拘泥しているだけではないか!大体、女の身で男同士が愛し合う話なんぞに興味が沸くなどと信じられん」

 「はっ、これだからお子様は。いいこと?男と男が愛し合う…それは禁忌に縛られた世界からの解放を誓う崇高な関係なのよ?願いなのよ?抑圧され、それがために一層熱を増した二人が心から求め合う様は正に至高!これこそが…っ、究極の愛、よ!!!」


 どーん。


 立ち上がって熱弁を振るうラチェッタの背後に、シュリーズは波濤の飛沫を見た気がした。


 「…お、お前それでよく私のことを傍迷惑だのなんだの言えるな…心から引いたぞ。大体、最近では読むに飽き足らず身近な男性までその無駄な想像力の犠牲にしているらしいじゃないか。ベル殿がどうにかしてくれと先日相談に来ていたぞ」

 「兄貴が?困ったものね。折角至高の愛に身を窶す姿を描いてあげたというのに」

 「絵にまでしたのか…何というか、酷いな……。ベル殿に心から同情するぞ」

 「ちなみに相手は父親だったわ!」

 「聞いとらんわっ!」

 「……あ、あの…ご注文のものです……お好みに合わせてこちらをお入れください……」


 給仕の少女が怯えながらグラスを置いていった。あれだけ大声で騒いでいれば内容は全て耳に入っていただろう。これでまた悪い噂が蔓延することは間違いあるまい。


 「あら、ありがと。ふ~…なかなか落ち着く香りね。シュリーズあんたいっそこっちに専念した方が良いんじゃないの?異世界の飲食で世界を奪るのも悪くないんじゃないかしら」

 「残念だが私にはそういう才能は無いようでな。発想は持ち込めても形にすることが出来ん」


 遠目にこちらをうかがう、先程の給仕を目で追いやってからシュリーズは深い溜息をついた。


 憧憬がある。

 幼い頃に触れ、憧れた世界。現実に存在するそこへ、いつか行ってみたいとも思うし、しかし自分の身分でそれが叶うとも思えない。

 周りは妄想だのなんだのと言うが、シュリーズにとっては手の届かない世界を想って何が悪いというのだ。

 竜の娘として祀りあげられる存在である我が身を煩わしいとも、厭わしいとも思ったことは無い。だが、あまりにも許されないことが多い生き方に窮屈さを覚えることも確かなのだ。

 この血の連なりからいつか解放される日が来るのだろうか。来るのだとして、この餓える心が満たされることがあるのだろうか。


 「…うん、いっぱい飲むとまた味わいもひとしおだわ。ねえシュリーズ、こういうのもっと無いの?材料が要るなら手伝ってあげるからさ、いろいろ作ってみない?」

 「……お前は呑気で良いな…」


 まあ、今のところは理解し難き友人と気の置けない会話を楽しむくらいが自分に許された自由か。そう思えば、この目の前の変態の所業も認められるような気がする。


 「で、さ。兄貴と親父の絡みを絵にしたらしばらく家に戻ってくるなって追い出されてしまったのよねー。あのさ、しばらくあんたんトコで匿ってくんない?」

 「出来るわけあるかこのアホっ!我が家にまで被害が及んだらたまったものではないわ!大人しく謝って来いっ!!」


 …認めたくないものだな変態の過ちなど、と微かに痛む頭を抑えながら、シュリーズは思うのだった。

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