第18話・夕映えの静かな凱歌

 「……荒海や佐渡に横たふ天の川、ってか」

 「何だそれは?」

 「んー、三百年くらい前にこの辺りの眺めを見て詠まれた詩。荒海でもないし天の川も見えねーし、合ってるのは佐渡くらいか」


 厳密に言えば場所だって違うんだけどな。

 砂浜に座る俺の隣で、寝転がりながら聞いてきたシュリーズに適当な答えを返す。

 それでもなんとなく思い浮かんだ芭蕉の句を、意味もわからんだろうに口の中で繰り返し、ふっと柔らかくなった雰囲気の中で言った。


 「そうか。意味は分からんが音は綺麗だな。意味の方も教えてもらえないか?」

 「音が綺麗だと思ったんならそれでいいんじゃねーの。意味なんざそのうち理解出来るようになるだろ」


 まあ実際には教科書的な説明をするのも面倒だったので適当にそう流しただけだったのだが、どこが琴線に触れたのやら、うっすらと微笑んでそのまま眠るように目を閉ざしていた。

 そうして、時間だけが過ぎていく。や、実際にはそんなに経ったってこともないんだろうけど。


 「…おい、起きてるか?」

 「うん」


 ずうっとこうしているわけにもいくまいが、かといって急かしてこの場を後にするのも野暮に思えて、ふと思い出した疑問を幾つかぶつけてみるつもりになっていた。


 「さっき消えた鎧な、あれどういう仕組みになってんだ?」

 「……」


 帰ってきたのはいわゆる白い目というヤツだった。

 閉ざしていた瞼を重苦しそうに開け、つまらんことを聞くな、と言わんばかりに俺を見上げている。


 「しょーもないことを訊くのだな」


 というか口にしていた。


 「いやおまえらにしてみりゃどうでもいいことかもしれんけどさ、傍目には不思議極まりないぞ。まあ、この後の重大事の前に雰囲気を和らげておこうという意図もあるが」


 ふん、と鼻を鳴らしてシュリーズは目線を俺から切った。再びその先を空に戻して、呟くように口を開く。


 「…これは竜の娘が生まれながらに持っている力の一つだ。鎧に見えるものは竜の鱗と言い慣わされている。自分の意思で顕したり消したり出来る。用途はまあ、見たままだな。文字通りに鎧の役目を果たす」

 「んじゃラチェッタのアレもか」

 「そういうことだ。変態だと言ったわけがわかるだろう?あの破廉恥な格好が奴の本性を示しているということだ。鱗のとる形はおおよそ生まれ持ったものであるからな」


 ふふっ、とここは楽しそうに笑いながら言った。

 言葉は辛辣だが、あのビキニの水着みたいな形の鎧で立ち去った女を懐かしむような気色を隠そうともしていないところに、なんとなくホッとした。


 「んじゃあ、あの剣もか?」

 「あれは鱗の形を変えたものだが、鱗そのものとは違って自分の使いやすいように仕立てることが出来る」

 「またえらい都合の良いこったなあ」

 「そこは議論の分かれるところなのだがな。一説によれば鎧と剣では象徴となるものが違うが故にそのような差が生じている、と言われている。まあ別にお前が気にするようなことでもないだろう?」

 「そりゃそうなんだが」


 口籠もる俺。

 胡座をかいたまま、両手を後ろに下ろして体を反らすと自然に、空が目に入る。

 シュリーズと反対側の左手に何かが当たってチクリとした。砂をすくってそれを確かめると割れた貝殻で、そんなものに痛みを覚えたことに少し腹が立ち、無造作に海に向かって放る。波打ち際までにはまだ距離があったし、軽くて海からの風に押し戻されたのもあって海面には届かず、そのずっと手前に音も無く落ちた。


 「…ち」


 そんなことが面白くない、なんつーのも我ながらガキっぽい反応だとは思ったが、そういうもんを呑み込んでニコニコしていられる物わかりのいいのが大人の態度、ってえもんだとも思いたくもない。

 気分のわりぃことがあったらしかめっ面して舌打ちの一つくらいしたっていいじゃねえか。


 「……小次郎」


 そんな俺の胸中を察したのかそうでもないのか、リラックスした体勢でいながらどこか難い声色で、傍らのシュリーズが話しかけてきた。


 「いろいろと、訊きたいことはあるだろうと思う。だが、まず私の口から言わせてもらえないだろうか。その上で知りたいことがあるのなら、出来うる限り答えたい」


 横目で見ると、まだ天頂に真っ直ぐな視線を向ける、そのままの顔であった。

 何の気も無くその横顔を眺めていたら、首を巡らせてきて、目が合う。どうか?と問うように。


 「…話すんならよ、お前の言いたいことだけ言えばいいだろうさ。別に訊きたいことなんかねえよ、とは言わないがなんか訊くだけ無駄って気がしてきた」

 「あのな、そういう言い方は無いだろう?全く興味が無いと思われているようで、話をするにも張り合いというものがない」

 「って、どうせ興味があろうがなかろうがやるこた一緒だろ。今更追い出したりしねーから別に遠慮なんざることたねーよ」

 「小次郎」


 言ってしまってから、しまったなあ、と軽く思う言い草を、咎めるような色の無い穏やかな声が遮ってきた。


 「拗ねるな、というのも差し出がましいかもしれないが…お前はどうあれ私はお前に興味はあるのだぞ。面倒なことに巻き込まれても決して投げだそうとはせず、こちらが真摯に申し出たことはきちんと正面から受け止めてくれる。そんな男がくさっているところなど、見たくは無いのだ」


 そうかなあ、結構めんどくさがって放っておこうとしていたような気もするが…まあでも、そう言われて悪い気はしない。おだてられていいように扱われているのだとしても。

 ただ、一つだけ気にはなったので、一応突っ込んではおく。


 「面倒事を持ち込んだ張本人に言われてもなあ…」


 そういってやったら、シュリーズはうっ、と言葉に詰まり、身体ごと目を逸らしやがった。

 そのうち寝たふりでもしよかという態だったので、俺はくっくっくと小声で笑って冗談だということを伝えてやる。


 「…今更そんなこと気にしねーって。面倒なのは確かだけど、なんか面白いことになってきたなあ、と思わないこともない。心配すんなって」

 「あう…そ、そうか。それならば良い」


 こっちから見える耳は明らかに赤く染まっていた。けど姿勢は変えず、そのまま何かを考え込むように二度、三度唸ると、意を決したかのように起き上がって俺に向かって居住まいを正し、何度かドキリとさせられた柔らかい表情で口を開いた。


 「…改めて告げることになるが…私やラチェッタは、竜の娘という存在として故国に在った。その在り方は繰り返しになるから省くが、その中で狂戦士という、明らかに平時に起きてはならない変化を遂げた者が、いる。発生の原因は分からないし、病のようなものだとしても治癒に至った例も無い。今の私はそういう者だ」


 我が身に起きたこととしてはひどく難しいことだろうが、表情と変わらず穏やかな言い振りに、どこか覚悟に似たものを覚える。


 「狂戦士の最後は…ラチェッタにも語ったが、私には知らされていない。だから私の末がどのようであるのかなど想像もつかない。何度か自我を失いそうになる変化もあったが、今のところはただの人として暮らすことに不自由はないと思う。それすら出来なくなるとしたら、まあお前やマサムネの身を危うくするようなことだけはするまい、ということだけは約束する」

 「そんな心配はしちゃいねーよ。たった一日くらいの付き合いだけどよ、おめーがいろいろとズレたとこはあってもしっかりした矜持を持っているくらいのことは理解しているさ」

 「…う、うむ。多少引っかかるところはあるが…」


 正座のよーな座り方で、肩の辺りの髪を弄りながらそう口ごもる。若干複雑そうではあるが、俺は正直な感想を言っただけなんだけどな。何が気にくわなかったのやら。


 「で、だ。他に何か訊きたいことはあるか?興味が無いというのであればそれでも構わないが」

 「あー、そうだな……。今頃か?って感じもするが、結局『竜の娘』ってのは何者で、一体何が出来るんだ?跳んだり跳ねたりが人並み外れているってのは理解したけどよ」

 「ふむ、確かに説明が足りてはいなかったな」


 納得した様子で頷くと、シュリーズは立ち上がって少し離れたところにいたラジカセを呼び寄せた。


 「らじかせ。こっちに来い」

 「なんだ主。小っ恥ずかしい青春談義は終了したのか」


 手の届く範囲にいたのがヤツの不幸だった。にこやかに青筋を立てて、シュリーズは大きく振りかぶるとラジカセを上から砂浜に叩き落とした。んなこと言えばそうなるのは目に見えているだろうに、芸人気質の達者な無機物だ。


 「竜の娘の出自は先刻説明した通りだ。何が出来るのか、となると当然『異世界統合の意思』に対抗しうる、個の戦闘能力ということになるが、それ以外に大きなものが、認識の交換を出来る、というものだ」

 「認識の?交換?」

 「そうだな。簡単に言えば、例えばお前が円く見えるものを円く見えるままに、四角く見せる力、とでもいうところか」

 「…意味がわからん」

 「錯覚させたり無視させたりすることが出来る力、とでも理解しておけばいい。昨日小次郎が学校で人気の無いように感じていたことがあっただろう。あれや、人目を憚らずラチェッタが暴れても特に誰も気にとめる様子が無かったことを覚えているか。ああいうことを自分の意志で出来ることだ」


 ふむ、そういうことなら理解出来る。


 「もう一つ、他者の認識を自分を通すことで別の他者に形を変えて伝えることが出来る。本来はこちらが大事なのだが。分かりやすく言えば、異なる言語の間で会話を成立させられる、そうだな…通訳のようなものと言えば分かるか?」

 「ああ。けどそれが本来の力?ってのはどういうことだ?」

 「忘れたのか、小次郎。竜の娘は異世界統合の意思に対抗するための存在だ。異なる世界を一つにまとめようという力と対峙する限り、どうしても在り方の全く違う存在との交渉が必要になる。言葉も形も異なる意識と通じるためには、そのものの持つ認識を交換することが出来なければならないではないか」


 …なるほどな。


 「そして、らじかせだが…。おい、いい加減起きろ」

 「…もう少し慈悲溢れる扱いを求める」

 「その口を慎めばな」


 把手を掴んで持ち上げられながら軽口をたたけるなら、故障とかはしているまいて。


 「此奴がこの姿で顕現したのは、私が異界の門をくぐってからのことだ」

 「ん?最初っからいたわけじゃないと?」

 「というよりだな…私が狂戦士に堕したことが切っ掛けで、私から分離した」

 「分離…っつーと、コイツ、お前の一部だったということなのか?」

 「正確には竜の娘の力である、認識を換える力の通り道を担う部分が、だな」


 ………?


 「主、家主殿の理解が及んでおらん」

 「うん?あ、済まない。つまりだな、他者の認識を知覚し、整理し、換えて再び元に戻すなり違う者に遷すというのが『換える力』の大まかな働きなのだが、今の私には認識を換えることは出来ても、それ以外の認識を知覚すること、それから換えた認識を遷したり戻したりが出来ない。そこはらじかせに持って行かれた、とでもいうのか」

 「あー、つまり、今まで出来たことがラジカセ抜きでは出来ないと、いうことか」

 「そういうことになる。そしてこの世界に来た時にらじかせがこの形となったのはどうも本人に言わせれば…」

 「ヒトの声を聴き、遍く知らしめる力に相応しい姿を求めたらこうなった」

 「…ということらしい」


 恐れ入ったか、と言わんばかりに胸を張る主従。ただ俺にはどうしても、


 「何かのオチが付いたか罰ゲームでもしているようにしか見えん」


 のだったが。


 「むー…」


 そう言われて納得出来ないという風に膨れてみせる辺り、まあ自分達の力に誇りみたいなもんはあるのだろう。それはそれで好感を抱くのに吝かではないとして、俺には気になることがあった。


 「もう一つ聞いていいか?」

 「構わんぞ」


 問うという行為自体、相手に興味があるという証になるのだろう。少し機嫌は持ち直したのか、ゆっくりとシュリーズは頷いて先を促す。


 「他人の認識を換えるためにはその相手が何を思っているのか知る必要があるよな?他人が考えていることを勝手に知ったりとかも出来るのか?」


 今までの様子からしてそんなことをしているようには思えなかったが、結構他人様に言えないことを複数抱えている身としては、わきまえておかなければなるまい。

 で、ある意味穏便とは言い難い質問だろうとは思うが、これは確認しておかなければならないだろう。どっちかっつーと自分のためというよりも、その他大勢のため、という意味が大きいんだが。いや、言い訳でもなんでもなく。


 「………というと?」


 …などと、少なからず覚悟をキメた問いかけへの反応といえばすこぶる鈍く、シュリーズは一体何を言っているのか分からない、みたく首をかしげたままでいる。


 「…あのな、他人の考えていることを覗き見するような失敬な真似をしてるのかお前は、と訊いているんだが」


 …カチンときて苛立ちを隠せなかった。貶めるような言い方に今度はしっかり反応される。


 「…ほう。お前がさっき言った、しっかりした矜持を持ち合わせている私は、他人様の頭の中を勝手に覗き込んでほくそ笑むような良い趣味をしていると、そう言いたいのか。それならご期待に応えて今から小次郎の考えていることを…」

 「ストップ、待った。悪かった、知られたくないことがあると無駄に攻撃的になるもんな、今のは取り消す」

 「知られたくないこと?それはそれで興味は沸くが」


 余計なことを言った気がして、思わず両手で口を塞ぐ。いや、んな真似しても意味ないのは分かっているが。


 「…心配するな、そんなことは出来ない。知ることが出来るのはあくまでも、こちらに向く意識だけのことだ。見境無く考えていることを読み取れたりしたら、とっくの昔に我らなどヒトに滅ぼされているだろう」


 それはそれで物騒な話だが、あながち有り得ない話でもなさそうだった。


 「逆にそこまでのものでないからこそ、竜の娘の四家はヒトに祀られる存在として存続していたのだろう。される側にしてみれば時に迷惑な話でもあるのだがな」

 「…そうか、そういう立場でもあるんだな」

 「異世界統合の意思のことなど、とうに忘れられているのにな。何の役にも立たない力だというのに、執心する者はいつでもいるものだ。まあな、それでも役に立つ力ではある。さっき例えた通訳のようなもの、というのも実利的な力の用い方として家業みたいなものになっている。誤解の無い通詞というのはそれはそれで貴重なもの、というわけだ」


 さて、とシュリーズは時間を気にするように夕焼けの空を見上げた。

 まあ何だかんだあったが、腹も減ってきた。そろそろ帰った方がいいかもしれないのだが。


 「で、最後にもう一つ、いいか?」

 「なんだ、まだあるのか。どうでもいいようなことを言っていた割には好奇心には逆らえない、というところか?」

 「茶化すなよ」


 からかうように、楽しげに言う様には腹も立たない。

 けど、これを訊いてどういう顔をするのか。それはそれで興味深く、一方でこののんびりした空気を一変させる可能性もあって、口にする前に無意識に唇を一舐めする。


 「その力で、俺ん家に潜り込もうとかは…いや、別に俺ん家に限ったことじゃないな。ねぐらの確保だとか、とにかく都合良くここで生活することとかは、考えなかったのか?」


 シュリーズの眉がピクリと跳ね上がった。

 怒ったのか?と思って少し下から見上げるように、右肩を下げてみる。

 僅かに考え込んだように見えたのは言い訳を用意しようとしてのことか、怒りを表現する術を探っていたのか。

 だが、帰ってきたのは俺の予想を越えたものだった。


 「…これは言わずにおこうと思っていた、というか口止めされていたのだがな。まあもう大丈夫だろう。小次郎、お前に的を絞っていたのには理由がある。お前の父、トオシロウ殿の口添えがあったからだ」

 「……………はい?」


 おい。選りに選って親父の仕業かい。

 や、確かにあの極楽とんぼの仕込みじゃねーかと疑ったこともあったがまさか本当だったとは…嬉しくもなんともない的中だなァ、おい!


 「私がこの国に現れたのは、ここではない。トウキョウだった。そこで我らに相応しい邂逅を求めていた時に出会ったのがトオシロウ殿だ。細かい事情の説明など一切はしなかった。だが彼の御仁は、それだけで自分の家の場所と、お前の存在を教えてくれて路銀まで与えてくれた。どんな形でもいい、息子である小次郎を納得させれば住む場所を提供してくれると、そういう約束だった」


 おい。おいおいおいいいいい!


 「…えー、今俺の頭は怒りとかそーいう類のもので満たされているのだが、このやり場の無い感情を誰にぶつければいいんだ?」

 「知らん。お前とお前の父上との間に生じる葛藤など如何様にでもすればいいだろう」


 無関係っすか。いやまあ、確かにシュリーズに八つ当たりする問題ではないんだけどよ…。


 「約束ではあくまでも小次郎、お主を納得させる、ことであったから力を使うつもりは無かった。…もっともそんな約束など無くとも使うことは無かったがな」

 「そりゃなんでまた」

 「この世界に赴いたのは、私の選択によってであり、そうである以上この世界に私を受け入れさせることでしか、存在を許されないと思ったからだ。確かに竜の娘としての力は私自身のものだ。けれど、その力はこの世界のものではない。だから、力を行使してはいけない…あ、いや使いはしたが、直接小次郎をどーこうなどしてはいないぞ」

 「ん、まあ確かにその通りだとは思うが」


 とことん穿った見方をすれば、今俺がそう思っていることすらシュリーズの力によるものだとすら、言えるわけだが。

 ただ、やっぱり、そういう真似をするようなヤツじゃない、ってのは確信を持って言えるし、そんなことであって欲しくない、というのは俺自身の願いみてえなもんだったからな。


 「おーけー。分かったよ。親父の手の上で転がされていたってのがクソ面白くないが、それ以外は納得したよ。どうなるのか、どうすりゃいいのかなんて明日に考えることにするさ」

 「うん。まあ、誓った通りに私は私でいる限り小次郎と共にあるぞ。だから…」

 思えば昨日からこんなことやっていなかった。初めてのことだと思ったな。

 「よろしく、頼む」


 そう言って、シュリーズは右手を差し出してきた。こいつらの世界にそういう習慣があるのかは知らないが、人と人の繋がりを形として確かめるにこれ以上のものなんか無いんじゃないかなと思いながら、俺も右手でその手を握り返した。


 「うん」


 ほんの少しはにかむように笑うその顔を、今度は照れること無く真っ直ぐに見かえすことが出来た。


 「っさて、帰ろうぜ」

 「そうだな………って、そういえば何か忘れていた気がするのだが、小次郎」

 「あん?」

 「いや、何か引っかかるものが…」


 折角、悪い気分じゃねえ、と思っていたところにシュリーズが妙なことを言い出す。

 んなもん今どうでもいいことなんじゃね?とうっちゃってしまおうとした時、制服の内ポケットのスマホが『帝国のマーチ』を奏で始めた。そして、俺がこの曲を割り当てているただ一人の奴と言えば…。


 「………そおいえば正宗のことをすっっっかり忘れていた」

 「………なあ小次郎。それって凄く拙くないか?」

 「………かの娘の性格を鑑みるに、恐らくは怒りの矛先は家主殿に向くことは間違いなかろう」


 シュリーズとの会話の間、距離を置いていたラジカセが的確に嫌なことを言っていた。たった一日で無機物にまで見透かされる正宗の性格が恨めしい。


 「………出た方がいいか?」

 「………任せる」

 「………というより時間が経つほど怒りが募るのではないか?」


 ああそん通りだよちくしょう!

 俺は諦めとヤケクソが相半ばする勢いでスマホを取り出し、通話ボタンを押して耳に当てる。


 「………おかけになった電話番号は現在使われておりません。ピーッという発信音の後にご用件をお話しください」

 「………ヘタれたな」

 「………ヘタれおったな」


 背中から聞こえる外野の声。うっさいわ。


 『………………』

 「つっこめよ!寂しいだろうが!」

 『………二日続けて放置とはやってくれるわねぇ………』


 丑三つ時に神社の裏の林から聞こえてくるような声色だった。


 『………何か言い残すことはある?』

 「えっと…スマン」

 『そお…それが最後の言葉でいいのね』

 「いや、あのな?こっちも色々とあってだな?」

 『ええ、ええ。こっちも色々とありましたわよ。女の子が一人で二時間も待ちぼうけていると向けられる同情の視線とかお店の人のいかにも~な気遣いとか。なんであたしが振られたみたいに慰められてんのよ!』


 うわ正直その姿は見てみてえ、と背中越しに向こうの声を聞こうとにじり寄ってくる一人と一台を空いた手で遠ざけながら思った。いや、思っただけで言ったらいろいろと最後を迎えるのは分かりきっているから黙っていたが。


 『…今考えた失礼なことの中身を聞かせてもらいましょーか』


 というか思っただけでアウトだった。


 「失礼なこととは一体何だ!俺は今心底お前の境遇を不憫に思って心から反省しているところだぞ?!そんな俺に対して失礼とかそっちが失礼だろうが!」

 『知ってる?逆ギレって話を誤魔化そうとしているのがバレてると逆効果なんだよ?』

 「ハイ…スイマセン…」


 多分きっと、サラリーマンが上司に叱られている時ってこういう姿なんだろなあ、と思いながらペコペコした。なんか後ろでヒソヒソと話をしているのが聞こえる。くそ。

 そしてそのまま正宗の方はじっと黙っていた。

 こっちから電話を切るわけにもいかず、気まずい空気の中、次の言葉を待っているとわざとらしいくらい大きな溜息の後に言葉が続いた。


 『……まーいいわ。小次郎が理由も無く約束破るわけもないしね。今どこ?』

 「あー…海にいた」

 『はあ?!ひとのことほっといて海水浴?!』

 「んなわけあるか。そっちは何してんだ」

 『いい加減いたたまれなくなったから出てきたわよ。これから帰るからそっちもすぐに家に戻りなさいよ!晩ご飯の前に説教だからね!』


 フンッ、と一際荒い鼻息の後にプッツリと電話は切れた。これがスマホじゃなくて家電だったら間違い無くガラクタが一台生成されたことだろうて。


 「…済んだのか?」

 「おかげさんでな」


 通話の終わったスマホをじっと眺めていると、後背からシュリーズが怖ず怖ずと声をかけてきた。


 「みっともないとこ見せたな」

 「みっともない?何が」

 「いやその、女に逆ギレとか男としてありえねーんじゃね、とか」

 「…なんだ、そんなことか」


 どことなくホッとした様子のシュリーズを、正面から見据える気になれなくて背中越しの会話になる。

 声の調子でしか伺えないが、俺の話す言葉だけを聞いてさぞかしこっぴどく叱られたのではないかと案じていたのかもしれない。まあその心配は無用っつーか大体普段からこんな調子だからな。


 「マサムネを放ったらかしにしていたのは我らのせいでもあるからな。それで小次郎が怒られたというのは済まなく思う。それに、お前は素直に頭を下げていたではないか。女に謝れるのは好い男であるためには大事なことだと思うぞ。だから諸々含めて気にするな」

 「…先に自分のせいだと言われるとなあ。何も言えなくなるからずりぃよ」

 「それは悪かったな」


 スマホを懐に収めながら振り向くと、シュリーズがそう言って笑っていた。屈託の無い、気持ちの良い笑顔だった。

 そしてその横で浮いているラジカセ。まー擬人化したらニヤニヤと人の悪い笑い顔を浮かべている、ってえところだろうが、腹が立つよりも照れが先に立ってそっちの方には何も言えなかった。

 不意に、この一人と一台が並んでいる光景が止まって見える。

 日本海に沈む夕日照らされて赤と黄色の間の色に染まり、真っ直ぐに俺を見つめているシュリーズの眼差しがひどく眩しく感じる。


 「…小次郎?」


 黙ってじっとしていた俺を不思議に思ったのだろうか、一歩近付いてシュリーズが下から顔を覗きこもうとしてきた。


 「なんでもねーよ。これ以上正宗を怒らすのもヤバいからさっさと帰ろうぜ」

 「……そうだな」

 「うむ」


 一人先に立って海を背にする。後から続く気配はしたが、もう一度その姿を目にしておきたくなって振り向くと、ラジカセを上から抑え込んで手に持とうとしているところだった。


 「常々思っていたのだがな、主は忠勇の僕に対する扱いがなっていない」

 「言葉の意味は正しく使ってもらおうか。忠勇とかどの口がほざくか」

 「我、口は無いのだが」

 「そういうのを上げ足取りというのだ。口が無いなら黙っていろ」


 平和だな、と思わず苦笑が零れる。


 「なんだ小次郎」


 立ち止まった俺を見咎めて、シュリーズが口を尖らせていた。


 「そう微笑ましいものを見るような顔をするな。子供扱いされているようで落ち着かん」

 「実際微笑ましいんだからしょーがねーだろ。それをどう受け取るかはそっち次第」

 「むぅ」


 子供っぽいやりとりだったのは自覚があるのか、小さく唸って黙り込んだ。

 そんな顔が余計におかしくなったが、これ以上弄ると機嫌を損ねそうなのでふと思いついたことを告げる。


 「あとな、一つだけあらかじめいっとくがここであったこと全部、正宗に言うぞ。でないとアイツいつまでもゴネかねん」

 「それは別に構わないが。いちいち私に断ることでもないだろう?」

 「いや、多分すんっげー面倒なことにはなると思う」

 「?どういう意味だ」


 そん時になりゃ分かるよ、とだけ答えて首をひねっているシュリーズを促して歩き始めた。




 結論として、その晩は飯にありつけたのは日付も変わろうという時刻だった。

 シュリーズの境遇を聞かされた正宗が全方向に憤慨をまき散らしていたからである。

 その怒りが憐憫だとか同情だとかでなく、自分の友人の身を慮ってのことから生まれたものだということは、シュリーズにはよく分かっていたのだろう。巻き添えを食らって弾劾されている俺を弁護もせずにほっこりしていたのが、理不尽な目に遭ってうんざりしている俺には、少しく慰めになったのだ。

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