第17話・その身を救うもの、その名は
何を始めるのか、と俺たちが見守る中、ラチェッタはどこか幽然とも見える足取りで、シュリーズの元に歩み寄った。
「…ラチェッタ?」
それを警戒はしながら、けれど気安さも残っているような、戸惑った口振りのシュリーズ。
そうしているうちに、抱き寄せることも能う程の距離に重なる二人。ラチェッタは顔をシュリーズに寄せ、耳元で囁くような位置になっていた。
「おい、ラチェッタ…何を…?」
「…いい?シュリーズ。よぉく、聞いて」
そして実際に睦言の如きにどこか艶めかしい声色が、シュリーズの耳元に響く。俺の背筋に思わずゾクッと冷たいものが走るが、決してそれは嬉しいものでも官能的なものでもない。ただひたすらに、怖気を覚えるものだった。
「……なんだ」
「ちょっと待…」
常ならば、嫌な予感、なんてものを信じる気にはならない俺だ。だがそれでもこの時だけは、自分の勘を信じた方が、と思ったのだったが…。
「世界にはさ、あんた、要らないんだって」
「…!……ラチェッタ、貴様どこでそれを…ぐぅっ?!」
遅かった。
止めようとした俺の手の向こう、二人の立っていた位置では、胸元を押さえて膝から崩れ落ちるシュリーズと、どこか慌てた風に一歩、二歩とそれから後ずさっているラチェッタ、という図が展開され初めていた。
「お、おいラジカセ…一体何が起こるんだ、これ」
傍らにいるはずの空飛ぶガラクタに尋ねる。しかしそのまま膝を屈したシュリーズの姿に、返事を待つこともなく俺は近付こうとした。
「待て小次郎!…ラチェッタめ、よもやこの場で顕そうというつもりか…!」
「あん?どういうことだよ!」
が、聞き捨てならないラジカセの呟きに足が止まる。
「…小次郎よ、この先迂闊に踏み込まぬ方がいいぞ。それでも尚、というのであれば覚悟を決めて、成せ」
「………」
いきなり物騒な物言いをしてくれるじゃねーか。けどさっきの空中散歩に比べりゃなんてこたーねえよ。
開き直りにもなってないようなことを思いながら、躊躇わずシュリーズのもとに駆け寄る。
「おい!何があったか知らねーけど、どうした?!」
見ているだけでいられなくなり、その肩に手を掛けて助け起こそうとする。
「…離れろ……小次郎」
だが、右手で覆った顔をなんとか俺に向けて、助けを拒む。
そしてその右手の指の間から覗く瞳の色は。
「おま、目が黄色…いや金色……?」
「あ…そう、か…もうそんなに……。ラチェッタぁ……」
呻くように名前を呼んだ相手は、怯んだように後ずさっていた。
「おい、そりゃねえんじゃねえのか!」
「…な、なによ、大丈夫よそんなの…わたしの言葉くらいじゃ、そんな酷いことになるわけが…」
「こんな状況招いておいて巫山戯たこと言ってんじゃねえ!!いいからどうにかしろよ、テメエがやったことだろうが!」
頭に血が上り、言うべきでない言葉が口から出る。ああクソッ、んな言い方したらラチェッタだって意地になるだけじゃねえかっ!アホか俺は!
「う、うるっさいわねこのバカ!そいつだっていつかはそう『成る』んだから、早いか遅いかだけの問題で…」
「とんでもねえこと言ってんじゃねえよ、バカはそっちだ!」
「……最後など、まだ迎えてはおらん……!」
…え?と、傍らのシュリーズの伏せたままの横顔を見る。顔の表面は苦しみをにじませる汗で覆われ、そして片腕で上半身を支えることさえ無理になったのか、ついに両手を地につけて四つん這いのようになっていた。
そして、不思議なことに…シュリーズの体が僅かに大きくなっているようにも、いや体ではなく、まだその体を覆っている鎧が、ボリュームを増しているのだ。
「大事は…無い、まだ最後までには…!」
「いや、大丈夫って感じじゃねーだろ!ラチェッタ何とかしやがれ!お前のしでかしたことだろうがよ!ってか一体何したらこうなるんだ!」
ああもう、言ったら拙いと分かってても口が止まりゃあしねえ!それだけシュリーズの状態がヤベぇと見えてしまうからなんだが、アイツも後ろめたいとこがあんならもう少し素直になりやがれ、面倒くせぇ!
「うっ、うっさいわね!ギャンギャン子供みたいに喚いてんじゃねーわよ、ああ?聞きたけりゃ教えてやるわ!そのコはね、これから狂戦士と化した姿を見せてくれるわ!あんたには明かせていなかったワケを、たっぷりと目に焼き付けておくことね!」
「逆ギレかよ!」
案の定、互いにガキのような言い争いにしかならない。
もうこうなりゃしばらく放っておいてシュリーズの様子を、だ。
そう思って肩を貸そうと腕を伸ばしたのだったが。
「ラチェッタァァァァァ……」
とにかく不穏な空気をまとったまま、怨念じみた低音を声に響かせながら立ち上がろうとしている。
というか怖すぎるわ!
「…ちょ、こ…こっち来んな!あ、あんた本当に正気なんでしょうね?!正気のはずなんだけどね?!」
「……聞かせろ。お前のその口上、どこで覚えた……」
「は、はあ…?!この状況であんた何言って…」
「聞かせろラチェッタ!!貴様も狂戦士に堕した身なのか?!」
「ちっ、ちげーわよ!」
話の意味はよく分からんが、ラチェッタの弁解じみた返事にホッとした様子のシュリーズだった。かといって苦しそうなことには変わりは無く、俺の隣でまた呻いて、膝をつく。
「お、おい…本当にマジで大丈夫じゃないのか?こら、しっかりしやがれ!お前がダメんなったら解凍しておいた米沢牛が無駄になるじゃねーかっ!すき焼き用のたっかい肉なんだぞ?!」
ぴく。
すき焼き、と聞いてシュリーズが反応したようだった。この状況でそこに反応するとか、こいつ何処まで食い意地張ってんだか。
だが、これは突破口かもしれん。俺はここぞとばかりに追い打ちをかけるのだった。
「…いいか?お前のために用意した、高い、たっかい肉だ。お前が食べなくてどーすんだ?お前のために、用意したんだぞ?」
ぴくぴく。
「く、くくく……小次郎、感謝するぞ…すき焼き、名高いあの、すき焼き…この口にするまでは…このまま堕することなど、出来るわけあるかぁっっっ!!」
「うおっとぉ!」
いきなり俺を振り解いて立ち上がるシュリーズ。いや、元気になんのはいーけどよ、異世界からやってきたお姫さま的にはそれどーなのよ。
「あ、あ、あ……あんたそんなことで立ち直るとかデタラメにも程があるんじゃないのっ?!」
「やかましい!お前に言われたくはないわっ!!」
予想の斜め上に過ぎるのか、ラチェッタも慌てて後ずさっている。
「…ああ、いい気分だ。あの苦しみを救ってくれた味となると、期待も更に高まろうというものだ!……そして、ラチェッタ」
「なっ、なによ…」
じりじりと後ずさるラチェッタ。
「よくもまあ、意味も分からずこんな真似をしてくれたな…その報い、体で償ってもらうぞ…」
「……あ、ちょっと待って……こ、こーいう場面っていきなり報復に出るんじゃなくて何か裏にあるいんぼーとか怪しげな事情とかそーゆーものを問い詰める場面とかじゃ…」
シュリーズの剣幕に本気でビビってる様子のラチェッタ。
いや何か重要なことを言い出そうとしてるのかもしれないが、多分ここでとめたら俺が大変なことになる。
「……あっ、あーそうだ!今思い出したすごく重要なことが…待って、待って待って…ちょっと待……待てって言ってんでしょうぉぉぉぉぉがぁぁぁぁぁっ!!!」
よって、あとは冥福を祈るしかあるまい。憐れ。
「おっ、拝んでんじゃねーわよ!まだ死んでないってーの!」
「へー、合掌ってそっちとこっちで意味同じなのか。おもしれーな」
「んなわけねーでしょうが。こっちの書物で何度か見かけたから覚えてただけ。特にニホンの本は私達の趣味に合ってたからね」
「日本人としては少し複雑だがなあ、あんたの突拍子も無い趣味に適う文化だとか言われているみたいでよ」
「え、とっぴょーし…?…ああ、そういうコトね。ま、あっちでも変わり者扱いされてた自覚はあんわよ、確かに。でもシュリーズも大概だったわね、そういう意味では」
「ほほー、詳しく」
「いや、詳しくも何もさっき言った以上のことって言われてもね…似たような話ばっかであの子も進歩が無いというか…あ、でもとっておきの笑い話があってさ」
「それは是非拝聴したいとこなんだがな」
と、片手で押し止めて言う。
「そろそろ逃げた方が、良いんじゃないのか?」
「え?」
見ると、とうに苦しげな様子からは解放された態のシュリーズが、いかにもこれから大技をぶっ放しますよと言わんばかりに、光り輝く長剣を大きく振り仰いでいた。
「小次郎、時間稼ぎご苦労」
「はっ…謀ったわねコジロウ!」
そんなつもりは全く無かったんだが、なんか悔しそうなラチェッタの表情が楽しいので、右手の親指を上に立てて拳を握り、大きくサムズアップ。
「お……覚えてなさいよぉアホ~~~っ!!!」
「当分顔見せんでいい!!……対群陣、発動……散れっ!!」
そしてシュリーズは、迸るように黄金色の光が溢れる剣を振り下ろす。
と同時に、その周囲に何本もの光の柱がそびえ立った。
それは一本一本が人の背丈よりもやや高いもので、屹立したそれらは軽く震えると、一本ずつじわりと浮き上がり、砂浜から抜けたものから次々と…ラチェッタに襲いかかった。
「!!あ、あんたそれ人間相手に使っていいもんじゃないでしょうがぁぁぁぁっ?!」
その結果を見届けることなく、高く飛び上がって逃げ出したラチェッタの背中を、十本近い光の柱が猛烈な速度で追いかける。
海の空にこだまする捨て台詞の語尾を追いかける光柱を必死に避けていたラチェッタだったが、多勢に無勢とゆーかとにかく衆寡敵せず、残り三本…まではどうにか避けていたがとうとう追いつかれて…どういう原理か知らんが、一際明るい輝きと大音響と共に爆散した。
あまりの音量に思わず耳を塞ぎ、眩しさにくらんだ視力が回復するのを待ってラチェッタが逃げた空を見ると既にその姿は消えていて、砂浜に目をやっても撃墜された様子も無く、一仕事やりおえて満ち足りていた様子のシュリーズに目で確認すると、呆れたように、且つ楽しそうに「逃げた」とだけ呟いた。
俺は、そっか、とだけ答えて逃げたヤツの消えた空を、もう一度見る。
煙だかなんだか知らないが、爆発の痕跡が風に流されていて、もしかして誰かに見られてやしないだろうなと気になり、傍らのラジカセにそれを問おうとしたのだが、またふんよふんよと浮いているのでマジな心配はしなくてもいいのかもしれない。
「……へっ、きったねえ花火だぜ」
「ハナビ?ああ、火と音を放つ薬を空に投じたものだったか。美しいものだと読んだのだが…違うのか?」
「…いや、こういう時のお約束みてーなもんだから、あんま気にすんな。一度言ってみたかっただけだ」
「変なヤツだな…」
おめーにだけは言われたくねー、と抗議しようと三歩ほど近付いた時、シュリーズの体は粒状の光に一瞬覆われ、それが晴れると身を覆っていた鎧が除装されて元のパンツルックに戻っていた。
「…ふう……疲れた」
そして一つ大きく伸びをするとそのまま後ろに倒れ、大の字に寝っ転がってしまった。砂で背中が汚れるのも構わないらしい。
俺はその気取り無い所作がおかしくて、横になったシュリーズのすぐ隣に胡座をかいてみた。するとちょうど真正面に、夕焼けに染まった海と空が、あった。
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