第13話・空駆けるオーバーヒーテッドガールズ

 地上と屋根の上の間で繰り広げられる、しょーもない言い争いはまだ続いている。

 この隙に、というわけではないが、俺はラジカセを相手にこの際事情を仕入れておこうと詰問しているのだった。


 「結局アレは何なんだ?」

 「うーむ、そろそろ隠し立てするにも無理があるか」


 最初っから出来るわけねーわ、そんなもん。

 説明に困ったのかあるいは気軽に説明出来るような間柄ではないのか、はたまた(こいつにしては考えにくいが)あんま関わり合いになりたくない相手なのか、口振りは乗り気というにはほど遠かった。


 「簡単に言えば親戚筋のようなものだ。相当の過去に血縁を同じくした、という程度であるがな」


 それでも一応は説明責任を果たすつもりはあるらしく、言葉を選びながらの様子で、続ける。


 「今の関係としては主の言ったとおりではあるよ。子供の頃は身内の中でも一際に仲のよかった時もある。だが今、斯く有り得ないことと主の境遇に関わりがあるのかと言えば、我には理解が及ばぬ。あるいは先方に相応の事情があるのやもしれぬがな」

 「あいつがどういう事情からこっちに来ることになったのか、そこは関係無いってことかい」

 「か、どうかは分からぬ。が、全く無関係というわけでもあるまい。でなければわざわざ帰る道を絶ってまで追いかけてなど来るまいて」

 「そこまで覚悟決めてきた風には見えんけどなあ」


 うっかり、というにはえらい重要なことをど忘れしてたようだったが、まあシュリーズとのやり取りを見た限りはそーいう性格なんだろう。


 「で、おめーらの方の事情は結局ダンマリかい」

 「そうなるな。迷惑や重荷になるだろうと、どうしても告げられぬのだろう。家主殿にしてみれば何を今さら、という気分ではあろうがな」


 分かってんじゃねーか、と横目で睨んでやった。感心したのだったが、ヤツは気付かなかったか、気付いて無視していたのか。そういう風に理解されることが嬉しくもなんともないこっちの気持ちを汲んだのかもしれない。


 「我が主にも矜持というものは持ち合わせておろう。済まんが微細に至る事情は本人から聞き出して欲しい。我から言えることは、今は無い」


 忠実な僕の殊勝な態度にはほとほと感心する。その才覚を無闇に誇ることなく、だが自身を卑しく貶めることは主の名誉をも傷つけることを承知しているから、引いてはならない線は明確にしながら、しかしそれを余人には悟らせない。

 真に優れた、得難き下僕の態度というべきだろう。

 だがな。


 「お?」


 ぐわし、とまだ宙に浮いているラジカセを上から押さえつける。


 「お?おおおお?」


 そのまま地面に押しつけて、俺はドスの利いた声を浴びせかける。


 「そんな呑気な段階はとっくに過ぎてんだよ!アホなカッコつけしてないでゼロから百まで完璧に説明せんかい!」


 今まで人通りこそ無かったが、そんな偶然がいつまでも続くわけが無い。いくら人通りもまばらな地方都市の下町とはいえ、田舎だけに車くらいはたまに通る。屋根の上に登った怪しい人体の若い娘と口喧嘩なんぞしてたらいつ通報されたっておかしくはないのだ。


 「いや、口論程度であれば問題は無いと思うがな」


 だが、ラジカセはそんな俺の懸念を一定は理解しながらも、否定してみせた。


 「何でだよ。根拠は」

 「根拠であれば昨日一日、家主殿がその身で体験しておったであろう?」

 「あん?昨日一日だと…?」


 押さえつける手の下で落ち着き払った態度が非常にムカついたが、あまりにも自信たっぷりだったので、一応は思い返してみる、が………。


 「やれやれ、家主殿の鈍さも大概なものよのう。人はいるのに人気のない、妙な雰囲気は無かったか?」


 思い出すよりも先に煽られ、更にムカつく。

 だが、俺はこれでもオトナのつもりなのだ。地面に押しつけたラジカセを、踵で三回ドヤすだけで済ませてやる。


 「…あの家主殿?我、壊れそうなのだが」

 「うるせえ。撫でてやってるうちに知ってること全部吐け、このアホ」

 「むう、仕方あるまい。いや、あれは本来違う目的に使うものであるが、人払いに近い効果が得られるのでな。今の様な時には有効なのだ」

 「あれ、ってえとあのわけの分からん、こっちが無視されてる感か」


 図書室のカウンター前で、浅田に無視された時のことを思い出す。まあ確かに、あの場で大騒ぎしたって気づかれなさそうな雰囲気すらあったけどよ。

 どういう仕組みなんだか。それは気になるが、まあこの騒ぎがひと目につかない、というのなら今はそれで充分だ。 

 そして問題は、だな。


 「…大体なんだというのだこの変態が!人のことを少女趣味だのなんだの言うが少女が少女趣味で何が悪い!」

 「開き直りはみっともないってのよ!好き好きに口を挟むつもりはないけどあんたのは度が過ぎて妄想と現実の区別が出来てないから痛々しいのよ!」

 「意味は分からんが侮辱だとは理解した!ようしかかってこい、決着をつけてやる!」


 未だに、意味の分からんいがみ合いが展開されていることなんだな。


 「流石にそろそろ止めた方がいいんじゃないのか?お前、自分の主のあの姿見てなんとも思わないわけ?」

 「主がどのような痴態を晒そうとも受け入れる。それが下僕の度量というものであろう」


 ダメだこりゃ。寛大なことを言っているようでその実面白がってやがる。

 仕方無い。いつまでもこうしているわけにもいかんし、俺が止めとく他無いか。


 「おーいそこの。こっちにも予定ってもんがあるんで、いい加減下りてきてまともな話をしてくれねーかー?」

 「止めるな小次郎!あのアホにはまだ言いたいことがあるのだ!」

 「いやそうは言ってもな、お前ら肝心なことに全然行き着く気配ねーんだから第三者として介入は必要なんじゃねーの?」

 「第三者だと?!お前まだこれを他人事だと思っているのか!」

 「いや心の底から無関係だと思っているんだが。勝手に巻き込まないでもらえないだろうか」

 「ふふん、コジロウとか言ったわね。あなた、男の身内はいる?」

 「男の身内?親父くらいしかいないが」

 「っ、耳を貸すな小次郎!」


 シュリーズが制止するが、屋根の上は俺の答えを聞いて既に考え込むような仕草でブツブツ言い始めていた。


 「…ややワルめの外見、シュリーズとは関係が深くはないだろうにぞんざいな口調。そして決して冷たい印象を覚えない態度。……フフフ、見切った!」

 「ラチェッタやめろ!」


 ナニアレ。

 なんか必死になってるシュリーズを尻目にラジカセに目で問うたが、筐体を傾けて「さあ?」とでも言っている風で、なんか迷惑ごとに巻き込まれつつあるという事実以外には訳が分からん。

 だが、物思いから覚め、俺を刮目して見る屋根の上の視線に背筋がゾクリとした。

 そしてシュリーズが俺を庇うように一歩前に出て見上げる先から、呪いの言祝ぎが紡がれる。


 「……ああ、良い。父を愛するが故に素直になれぬコジロウ。だがそんなコジロウの思いに気付かぬ父は逆らう我が子に強くもあたれず、父の生来の気の弱さはコジロウの苛立ちを募らせるだけ……もっと強く在って欲しい、もっと激しく自分を求めて欲しい……コジロウの父への愛は日毎に強さを増すばかりであった」

 「………は?」

 「小次郎もいいから耳を塞げ!腐り落ちても知らんぞ!」


 しかしヤツのどこか蠱惑的こわくてきで陶酔しきった眼差しが自由を奪ったかのように、俺は身動ぎ一つ出来ない。


 「そしてそんな葛藤にまみれたある日のこと。コジロウはもはや暴行とさえいっていいイジメの現場に出くわす。あふれ出る正義感に突き動かされて助けに入るコジロウ。だが衆寡敵せず、逆に自分が暴徒の標的となり傷を負ってしまった…助けた少年の機転でコジロウは危うく難を逃れたが、その一件は警察と学校の知るところとなり、コジロウは普段の言動が災いしてケンカをしたという一事だけで退学という処分を下されることに…。処分を言い渡す場には味方は一人もおらず、唇を噛みしめて無力に項垂れるコジロウ。だが、そこに現れたのは最愛の父!優しき息子の窮地を救わんと全てを投げ打って現れた父の必死の懇願によりコジロウは処分を逃れた!……帰り道、救われたコジロウは今まで秘めていた想いを父に告げ、絆された父と長きに渡って育んだ愛を確かめたのだった………そして、そしてその夜は………っ!!!ああ~~~~~っ!たまらん!たまらんわぁっっっ!!!」

 「………」

 「……………」


 屋根の上では変態が身もだえしていた。

 俺にはヤツの言っていたことの意味が半分も分からんかったが、なんつーか…体の芯が腐るよーな悪寒だけはハッキリ感じ取れた。


 「…なあ」

 「…はい」

 「アレ、お前の知り合いだよな?」

 「…断じてチガイマス。アレはどこかの知らない変態さんデス。変態さんは滅んだほうがイインデス。知らない。私は知らない。あんな変態さん私はぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 「俺を放ってお前まで壊れんな!責任とってなんとかしやがれ!」

 「だって、だってアレ私の責任違うもん!」


 更に幼児退行まで開始したっぽい。なんつーか、シュリーズと相性の悪い相手だということだけは理解出来た。


 「…あー、もうどうすりゃいいんだよコレ……」

 「は、今はお前が苦労を背負い込んでいる、というわけね。悪い男では無さそうでもある。シュリーズ?良い番いを見つけたものね」


 そうして頭を抱える俺にかけられた声。屋根の上から聞こえるそれは、心持ち愉快そうな口調になっている。俺にとって決して悪い印象を与えるようなものではなく、むしろ示されたのは好意、懐旧、その他諸々に、シュリーズへの悪意からは程遠く、こうなると迷惑極まり無い口喧嘩の内容も、気の置けない友人同士の挨拶代わりに思えてくるから奇妙なものだ。


 「シュリーズ、そろそろ本題に入りましょうか。正直なトコ帰れないとか言われたのは慌てたけど、まあ私の目的にとってはどうでもいいわ」

 「ヤダヤダヤダ!帰る!!もうあいつ知らない!」


 いや気持ちは分かるけど、なんかシリアスに入りそうだからそろそろ帰ってこい。


 「おーい主。真面目な話が始まりそうであるぞ」


 そしてマジメからは程遠い物言いで、俺の言いたいことを代弁するラジカセ。


 「うるさい!帰るったら帰るのだ!」

 「しょうーがないわねぇ…」


 それでも駄々を捏ねるシュリーズだったが、ふと風を感じて見上げると、屋根の上には抜き身の、反りの入った剣を携えた姿があった。


 「えっ…?」

 「あんたには聞きたいことがあんのよ。いい加減に目を覚ましなさい、っと!」


 そして右手一本で一刀を横薙ぎに構え、一足でシュリーズと俺に飛びつく。

 避ける間もなく両断されるかと見えた。

 だが気がつくと俺は突き飛ばされたのか地面に転がり、慌てて見るとシュリーズは一瞬で鎧姿に変身して振るわれた剣を自分の得物で受けていた。


 「目が覚めた?ふふん、腕は鈍っていないようで幸いだったわ。何せ、話もしないまま両断してはここまで追ってきた甲斐が無いというものだからね」

 「……どういう、つもりだ、ラチェッタ」


 茶らけた話し方は相変わらずである。だが、今度は明らかに殺気のこもった視線で間近のシュリーズを睨んでいる。

 ラチェッタと呼ばれた女は油断なくシュリーズの一挙手一投足に目を配り、だが力で圧するかのように、両手に持ち替えた剣をシュリーズの剣に押しつけている。

 対するシュリーズの得物は幅広の、大柄な剣だった。長さも、持った状態では何とも言えないがシュリーズの肩の高さくらいはありそうで、ゲームなんかで言うところのブロードソードとかいうやつだろう。そういや昨日から鎧姿は見ていたが、武器を持ったところは初めて見たな。


 「どういうも何も、理由もなく異界の門で追放されたあんたを追いかけてくるわけがないでしょうが。狂戦士に堕した、あんたを、ねぇっ!!」

 「…くっ、言うなっ!!」


 剣を捻って力を逸らし、相手の体勢が崩れた隙に飛び退るシュリーズ。

 驚異的な跳躍力で一気に二間ほど離れ、得物を構え直してラチェッタを睥睨へいげいする。


 「私が追放された身として、何故お前が追ってくる!…はっ、もしや私を心配して追ってきてくれたのか?もしやこれが噂に聞く『つんでれ』という…」

 「違うわアホ!聞きたいことがあると言ったでしょーがぁっ!」


 がーっと喚いて地団駄を踏んでいた。

 いやしかし、一気に緊迫の度を増したとはいえ余裕があるなコイツら。もともとこういう関係なんだろうか。

 だがそれよりも。


 「おいラジカセ。説明しろ。いい加減お為ごかしや適当な冗談で誤魔化すと明日の燃えないゴミが一つ増えることになるぞ」


 さり気なく俺から距離を取ろうとしていたヤツをむんずと掴んで引き戻し、凄む。


 「うーむ、そろそろお笑いの場面は終わりやもしれんな」


 この野郎。やっぱり面白がってただけじゃねえか。


 「アレはヴィリヤドリューチェ・ラチェートゥングァリュス・アリェシトゥアといってな、親戚みたいなものだ。名前は長いからラチェッタで良い」


 そりゃ正直助かる。そんな一度で覚えられん名前を連呼されては話が進まなそうだ。


 「どんな経緯があってかは知らんが、放逐された我が主を追ってきたというのは間違い無さそうであるがな。まあ仲が良いとは言えないにしても、本気で斬り合う程では無かったはずなのだが…」

 「それ以上は本人に聞かなけりゃ分からんつーことだな」

 「だな。だが…これは少し拙いやもしれん」

 「あ?そりゃ真剣振り回してりゃ危ないだろうけど…」


 と、二人に目を向けた瞬間、シュリーズが目の前に吹っ飛ばされてくる。


 「お、おい、大丈夫か?!」

 「く…ここでこれ以上は…」


 剣を杖代わりに立ち上がるシュリーズ。だが、構えを直す姿にもどこか張りが無く、周囲を気にしているのか視線も定まらない。


 「場所が悪い…小次郎、どこか近くで人気の無いところは無いのか?」

 「ああ、少し離れれば海岸があるがそこならなんとか…ってか、走っても十分近くはかかるぞ?」

 「人目を避ける方に力を奪われてラチェッタに集中出来んのだ!案内しろ!」


 言っている意味は分からんが、そういうことらしい。俺は、分かったと頷くと彼方に見える防風林に向かって駆け出した。


 「あっちだな!よし掴まれ!」

 「なに?うぉわっ!!」


 一瞬だった。

 シュリーズは俺の胴を脇に抱えると、駆けるというよりも飛ぶような…じゃなくてマジに飛んでるじゃねーかっ!!


 「どわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 「やかましい!黙っていろ舌噛むぞ!」


 んなこと言ってもこの、ジャンプしているんだろうけど一度のジャンプで十メートルくらいの高さに達するとか何なんだコレはっ!!


 「逃がすわけないでしょうが!」

 「逃げるわけではない!場所を変えるから付いてこい!」


 追いかけてくるのは、ラチェッタとかいってたヤツの声だ。

 上下前後に繰り返される加減速に頭がクラクラしながらも、こちらを追いかけてくるその声の方向を必死で見る。


 「待てコラーッ!!」


 どうも次第に距離が開いていくように、見えた。それで俺も多少は余裕を取り戻し、俺を抱えるシュリーズの顔を見上げてみる…。


 「あと一回だ!小次郎歯を食いしばれ!」

 「へ?」


 のだったが、何度目かの弾道飛行は特に高度が高く、その最頂点に辿り着いたらあとはもう、叫ぶことも出来ず、長く風に煽られて傾いている松の防風林を跳び越えてしまった。


 「お、おお…これはこれでなかなか悪い眺めじゃな……って、おい待て待て!この高さから着地したらとんでもないことに…」

 「降りるぞ!」


 俺の身を案じる余裕もないのか、前を見たまま着地の体勢に入ったシュリーズにしがみつく。目の前に迫る砂浜に激突するかに見えた瞬間、俺は目を閉じて衝撃に備える…間もなく、無様に転がり落ちた。


 「ぐぇっ!!」


 着地する寸前にシュリーズは俺を放り出したのか、体を横にしたまま砂浜の上を転がる。その数たるや二回転三回転どころではなく軽く二桁は越していたと思う。

 だがその甲斐あってか、回転が止まるとすぐに俺は起き上がって周りの状況を確かめるくらいのことは出来た。


 「ぺっ、ぺっ…あー、ひでぇ目に遭った…」


 盛大に砂を噛む羽目にはなったが。


 「家主殿、無事か」

 「あー、お陰さんで…と言いたいところだが、別に俺を抱えて飛ぶ必要無かったんじゃねーのか?それにお前なんで平然と付いてこれてんの」

 「家主殿と一緒がいいというオトメゴコロを発揮したとか思っておればよかろう?あと我は一応自前で空を飛べるからな」


 それにしたって尋常なスピードじゃなかったが…。


 「大丈夫だろうな?誰かに目撃されたりとか」

 「そちらは何とかなった。数も少なかったのでな」

 「そーかい…あーくそ、砂だらけだ……って、来たか」


 体についた砂を手で払い、どこか怪我でもしていないか確かめているうちにラチェッタが近くに降りてきた。


 「はぁ、はぁ、はぁ~……ふ、ふふ。相変わらず逃げ足だけは素早いようね」

 「息上がってんぞ」

 「うるさい!」


 余裕ぶってはいるが、結構必死で追ってきたっぽい。そこはかとなくポンコツ臭が漂っている。


 とはいえ…ようやくなんとか、話くらいは出来そうな雰囲気になってきたことに、一同にバレないよう安堵する俺だった。

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