2章・第二の娘

第9話・爽やかでもない朝の一幕

 「お兄ちゃん、朝だよ。起きて」


 ………オーケー。大体把握した。


 「それも怪しげなこっちの文献が出典か」

 「よく分かったな。隣の幼馴染みが起こしにくるのはもう経験済みだろうからこっちの方がウケが良いと、らじかせも勧めてくれた」

 「あのアホが俺より早く起きるわけあるかい。だから幼馴染みに起こされる方も未経験だ」

 「そうか。なら次はそっちでやってみようか?いや、それだとマサムネの立場を奪うようで悪いな」

 「なんでもいいから起こすなら普通にしてくれ…」


 そういえば昨夜は風呂も入らず着替えもせんと寝たもんだから目覚ましセットしてなかったな、と枕元の時計を見る。うーむ、六時半か。いつもより少し遅いが、これくらいなら朝飯抜かんでも学校には間に合うな、と俺は布団を剥ぐって半身で起き上がる。


 「おはよう、コジロウ」

 「おーう。おはよ……」


 うん。シュリーズがいる。まあそれはいい。


 「……なんつー格好してんだお前…」

 「む、この寝間着か?正宗の母上が用意してくれたのだが、おかしかったか?」


 おかしいというか、目の毒だ。ゆったりしたネグリジェは朝日の差す部屋の中だとあっちこっちが透けてなんかえらいことになっている。しかも、下着が……やめておこう。なんか要らんことまで思い出しそうだ。


 「いやそれよりお前その格好で上から下りてきたのか?住人連中に見つからなかったのか?」

 「何人かとすれ違ったぞ。普通に挨拶しただけで、特に何も言われなかったが」


 ああ、うん。ウチの住人の順応っぷりというか変人っぷりも大概だったわ、そういえば。まあそれでも親父の変態度には辟易しているんだから、あの放蕩親父がどれ程のものか想像がつくというものだろう。


 「その格好で部屋を出るといろいろ問題があるから止めておこうな。俺の上着貸してやるから上に戻って着替えて来い」

 「あー、それなんだがな、昨夜布団だけ運び込んで借りた着替えはこの部屋に置きっ放しだったのだ。ここで着替えて良いか?」

 「その割に寝間着はしっかり運び込んであるじゃないか。昨日着ていたのをそのまま着てくりゃいいものを」

 「コジロウ、お前な。乙女に二日続けて同じものを着せようというのか?不躾にも程があるだろう」

 「贅沢言える身分かコラ。あとここで着替えられるとその先の展開が予想つくんだよ。こういう時に限って…」

 「くぉぉぉじぃぃぃろぉぉぉ!シュリーズが部屋にいないから見に来てみたら朝から何連れ込んでんのよ!!」

 「…ほらな。こういう時に限って朝早かったりするんだわ、コレが」




 「………」

 「……………」

 「……」

 「………………………………」


 昨夜に引き続き沈黙が重い。違うところといえば食卓の上が俺の作った朝食だってところくらいのもんだろーか。

 ちなみにネグリジェ姿のシュリーズと寝起きの俺が並んでいるところを見た正宗によって修羅場に転じると思われた場面は、シュリーズのにっこり笑って「おはよう、マサムネ。昨夜は世話になったな」とゆー一言によって怒気も毒気も抜かれて、結果として俺は無事に台所に立つことが出来た。

 けどまあ、なんだかいろいろ納得しかねるところがあるのか、こうしてウチで朝飯を食うことになった正宗はさっきから形で見えそうな無言を貫いている最中である。面倒くさい奴だ。


 「うむ、昨夜の白い綺麗な穀物もまた美味だったが、こっちの…確か『ぱん』といったか?も良いものだな。果実の甘煮もまた見たことがない材料のようだが…う……こ、こんなに甘くてよいものなのか?コジロウ、これは少し奢りすぎではないのか?食い扶持は自分で稼ぐと言ったが、こんなものを饗されて支払える金額なぞ私に稼げるのか!?」

 「うちはどんな王侯貴族だっつーの。普通の家で買える程度のモンだよ」

 「これを一般家庭でか!?」


 …なんかこう、こうまで驚かれると楽しくなってこなくもないのな。

 ラジカセの方を見ると同じような気分なのか、ちゃぶ台の上で静かにしていた。なんか夕べのやりとりで気付いたんだが、こいつって浮き上がっている時と着地している時って気分が全然違うのな。文字通り浮き上がったり沈んだり。


 「どーでもいいけど早く食べてよ。今日もバイトなんでしょ?」

 「で、何でお前はウチで当たり前に朝飯食ってんだよ。自分ちで食えばいーだろ」

 「シュリーズと小次郎を呼びに来たらあんなことになってんだもん。あたしがこっちで食べるのが当然でしょ」


 何が当然なんだか。まあ朝食の誘いを無駄にしたことについては悪いと思うが。


 「分かったよ。片付けまでしてる暇無いからそっちは後な。おめーらさっさと食って、俺は出かけるぞ」

 「食器くらい洗った方がいいでしょ。ほんっとズボラなんだから…」

 「家事を親任せにしてる奴に言われたくないわい。こちとら高校生の身でしっかり一人暮らししてんだ」

 「ちゃっかり羽根延ばして女の子連れ込んでるくせに」

 「その件についてはおめーも納得してるだろ」


 本人目の前にして口にすることじゃあるまいに、とシュリーズを見たらこっちはこっちで呑気にジャムをたっぷり塗ったパンをほおばっていた。三枚目のハズだ、確か。


 「…ん、まあそだね。ごめん」

 「ああ」


 と、こっちもシュリーズのことが気になったのだろう。いつもに比べて素直に矛を収めてくれた。


 「さて、若人よ。本日の予定を話し合おうか」


 が、今度はラジカセが偉そうに宣う。またふんよふんよと浮かび上がっているところを見ると調子にのっている方のモードらしい。


 「予定、というがどうしたらいいのか私には分からん。コジロウ、今日はどうしていればいいのだ?」

 「ってもなあ、俺はバイトがあるしな。昼間は部屋で大人しくしてくれてればいいんじゃないか?それとも正宗に面倒みてもらうか?」

 「あ、ごめん。あたし予備校の夏期講習あって…」


 こいつはそんなもんに通ってんのか。二年生だというのに勤勉なやっちゃ。


 「む、となると留守番か…それはつまらん。折角の異世界なのだ。表に出て堪能してみたいのだが」

 「あ、じゃあさ、小次郎とあたしの用事が終わる頃に外で待ち合わせする?あたしたちの学校なら場所分かるんでしょ?」

 「しかしそれまでの時間はどうしたらいいのか…」

 「そこは我に任せてもらいたい。案内人としての本分を発揮するまたとない機会である」

 「んじゃそれで。あんまり羽目外させるなよ」


 これはシュリーズにではなくラジカセに言う。案内人というよりお目付役を期待したいところなのだが、危なっかしいことにかけては大差無いからなあ、浮いたり喋ったりして。

 結局それ以外にいい案も無かったので、午前中はシュリーズとラジカセは近所の散策。昼飯は俺ん家の冷蔵庫から適当に漁って良し。小遣い代わりに千円持たせて、夕方学校で待ち合わせする、ということになった。

 そして方針が決まればやることは決まり切っている。俺はシャワーだけ浴びて身支度をし、ウチの玄関前で待ち合わせた。


 「んじゃ言ってくるわ。鍵はそこのポストの中に入れといてくれ。ラジカセはシュリーズが変なことに首を突っ込まないように注意。シュリーズはラジカセが人前で浮いたら叩き落としておいてくれ」

 「信用無いのう、我ら」

 「全くだ。子供であるまいし、その程度のこと」


 昨日からの行動見て信用されると思える神経が理解出来んが、かといってバイトをサボって一日中監視しているわけにもいかない。

 不安は払拭されなかったが、遅刻しそうだと喚く正宗に引きずられるようにして、俺はその場を離れた。なんか手を振って見送るシュリーズが、いろいろとアレだった。




 「で、どうするの?何か考えでもある?」


 俺のバイトも正宗の予備校も街の方ということで、途中までは一緒に行くことになっていた。

 そして歩き出すや否や切り出す正宗。遅刻の心配で少しばかり早足だが、会話も出来ない程ではない。


 「シュリーズにバイトを紹介しようと思ってる。いろいろ浮き世離れしてっから出来る仕事があるかどうかは不安だが…」

 「小次郎その辺妙に顔広いもんね。大丈夫なんじゃない?」

 「そのお気楽さが今は頼もしいもんだ。お前もしっかりフォローしてくれよ。頼んだからな」

 「任せて。あたしの友達でもあるんだからね」


 その境遇を思うとあんまり前向きにもなれないんだが、こればっかりは正宗に教えるわけにもいかないしなあ。そういえばシュリーズの奴って本当のところ気がついているんだろうか?あの態度からするととてもそうは見えないが、知り合って一日も経ってない奴の本心なんて容易に伺えるもんでもないし。気がついていてあの様子だとすると、いささか不憫にも思える。


 「朝っぱらから暗い顔してどしたん?」

 「あ、ひーちょ。おはよ」


 そんなことを考えていたら、浅田日依子に心配された。ってか、ここで会うということはこいつも正宗と同じ予備校通いなんか?


 「おす。ちょっと考え事。つかなんでお前がいるんだ」

 「おはよ、二人とも。たまたまだってば。こっちは部活行く途中。にしても夏休みまで一緒とは仲良いことだねぇ」

 「それこそ偶然だっつーの。俺はバイト、こっちは予備校」

 「この暑いのに部活かぁ…ごくろーさま」

 「ありがと。でも好きでやってることだしね」


 浅田は確か…バスケ部だったっけか?まあ確かにこの天候の下、サウナみてーな体育館でバスケットとか俺には想像もつかんわな。


 「んー…でも、ひーちょもなんか調子良くなさそうだけど。何かあった?」

 「あー、やっぱムネには分かるか」


 おいおい。これから全力で運動しようってヤツにしちゃあ不用意なんじゃねーのかそれは。というか俺には何が違うのかさっぱり分からんのだが。ここらは流石付き合いが深いというのか。


 「ちょっと夢見が悪くってね。起きた後軽く混乱してたらこの有様」

 「…何見てたんだ」

 「小次郎ー、女の子の夢のことなんか聞き出そうとするもんじゃないでしょ」


 シリアスな気分が長続きしないというのは良いことなのか悪いことなのか。どっちにしても時間だけは平等に迫ってくるので遅刻はマズイ、と早足になる。

 …シリアスは夕方に持ち越しだな、こりゃあ。

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