第8話・家主候補の埒があかない決意


 十数分後。

 シュリーズは頭から煙を吹き出してちゃぶ台に突っ伏していた。


 「…分かったか?」

 「…そういうことはもっと早く言ってくれ。わた、私はどんな風に見られていたのかと……」

 「そこんとこは文化の違いということで納得しておくことにしようか」


 それにしても、そーいう行為について全くこちらと相違なかった、というのは意外なのだった。

 いや俺も別に詳しいわけじゃない…あー、まあいろいろ事情はあるのだが、一般的な説明で理解させられるとは思ってなかったもんだから。

 しかしそれが子供を作ることと直結するものだという見方が皆無であったので、つまりエッチなことをすると赤ちゃんができます、とゆー道理を理解させることにして、いやまそれは成功したので問題は無いとしても、細かいところで誤解はいくらか残ってはいそうで。

 まあともかくこれで子作りだのなんだのと物騒な発言を外ですることは無くなるだろう。ついでにこのどこかズレた言動も直ってくれるといいんだが。まあそっちは個性の範疇だろーしなあ。

 そして、悶絶するアホがもう一人。


 「というかなんでお前までそーしてるんだ」


 いやまあ原因は分かってるし自業自得だろうからそっとしておくのが人の道ってもんなんだろうけどさ。


 「ラ、ラジカセの人に…」

 「ん?ラジカセ?」


 そういやシュリーズに説明している間もなんか静かだったから、てっきり俺が踏んづけて壊したのかと思っていたが。


 「あたしが自分で何言っていたか教えられた…あ~~~っ!あたしは一体何てことをっ!」


 子供に性教育してただけだろ、と言おうとして流石に止めた。折角ラジカセの奴が正宗の怒りを引き受けてくれたんだからわざわざ自分に矛先を向ける必要もあるまいて。


 「ほれ、アホ言ってないでそろそろ帰れ。あとついでにシュリーズを紹介しといてくれ」

 「シュリーズを?誰に?」

 「お前んちに。しばらくここに居着くんなら顔合わせる機会はあるだろ?あと飯に招待するとか言ってたじゃないか。面通ししておいた方が都合いいだろ」

 「あ、それもそっか。なかなか気が利くじゃないの、小次郎」

 「お前が考え無しだけって気もするが…って、いや待て。落ち着け。俺が一言余計だという自覚はあるから勘弁しろ」

 「それが余計だという自覚は無いよーね。まあいいけど」


 と言いつつ立ち上がる。どうせ食器も持って帰らないといけないから二人連れなら都合が良い。それならば、と俺は突っ伏したままのシュリーズを起こして引っ張っていこうとしていた正宗を呼び止めた。


 「おーい、ついでに風呂も入れてやってくれ。着替えなんかは…無いからなんとか頼む」

 「無茶言うなあ、もう…。あたしのじゃいろいろサイズ合わないから母さんに聞いてみるよ。あ、そうだ小次郎、素性とか聞かれたらどうする?口裏合わせて置いた方が良いと思うんだけど」

 「お前の家なら普通に言っても信じてもらえそうな気もするけどなあ…とりあえず親父関係って言っときゃいんじゃね?」

 「うわ大雑把」

 「うっせ。諸悪の根元なんだから時には役に立てってんだ」

 「随分な言い草だとは思うのだが、その、コジロウの父上というのはお前から見てどういう方なのだ?」


 食器を詰めたバスケットを正宗から受け取りながらシュリーズが訊いてくる。そりゃまあ話だけ聞いていればそういう感想が出るというものだろうが、この手の疑問には俺はいつも同じように答えている。


 「身内が応えると身贔屓が過ぎるので、自分で会った時に判断してくれ」

 「そうか…コジロウの口から身贔屓なんて単語が出てくると少し不安にはなるが…」


 鋭いな。どうせ御為ごかしだし。


 「まあ少なくともシュリーズと気が合わないってことは無いと思う。一月もすりゃ帰って来るから楽しみにしといてくれ」


 これは本気でそう思う。そしてそれが分かったのか、シュリーズの方も小さく微笑んで頷いていた。

 …ってか、ホントこれからどうなるんだろうなあ。


 「では行ってくる」

 「じゃね小次郎、おやすみ。ちゃんと火の用心。それからシュリーズは終わったら返すから、部屋の用意、しといてよ」

 「あいよ。んじゃまた明日な。そしてお前はこっち」

 「おうふ」


 ちゃっかり二人に付いていこうとしていたラジカセを捕まえる。もともとそれが目的だったのだから逃がしてたまるかってんだ。


 「酷いな家主殿。我とて時には湯浴みを楽しむ自由を与えて欲しいものだが」

 「防水なんて概念も無かった時代の機械の態しておもしれー冗談言うじゃねえか。なんなら熱湯で洗ってやっても構わんぞ?」

 「プラスチックが変形するからそれは容赦願いたい。で、一体何だ。話がある様子ではあったが」


 電源とかどうなってんだ、と思いつつ部屋に引っ込む。

 まあ割と深刻というか真面目な話だ。展開次第では正宗に恨まれかねないが、この際それを考慮してもいられない。

 念のため、玄関から首を出して周囲を窺っておく。怪しいものは俺以外にいないようであるから問題は無し、と。まさか正宗の奴察してそこらに隠れてやしないだろうな、とも思ったがあの鈍くさい奴がそんな器用な真似出来るはずもなく。


 「よし。悪口を考えても戻ってこないから受信範囲の外にはいるな」

 「正宗嬢のことか?お主らも大概得体の知れぬ感覚を共有しているようだが…」

 「俺は知らねーよ。あいつが勝手に受信してるだけだ。茶、要るか?」

 「ラジカセの身で飲めるわけがなかろう。気持ちだけもらっておく」


 さっき目の前の湯飲みをカラにしていた奴とは思えないが、まああれは俺の勘違いだったのだろう。カマかけに引っかからなかったなどということは無い。と、思う。

 俺は自分の分だけ入れ直した番茶を一口すすり、さて、と座り直してラジカセを睨む。


 「…着陸していてくれないかな。何か落ち着かん」

 「細かい奴だな。我はこっちの方が落ち着くのだが…」


 そうは言ってもこっちにとっては未だに超常現象なんだから仕方無いだろう。


 「で、だ」


 ふよふよと呑気にちゃぶ台の上に着地したラジカセを前に、俺は切り出した。


 「単刀直入に聞くが、お前らもとの世界に帰れるアテはあるのか?」

 「…はて、もとより家出と言っておいた筈だが。最初から帰るつもりの家出など温すぎるであろう」

 「そういう問題じゃねえ。家出の原因が解決すれば帰ることが出来るのか、という意味だ」

 「それが重要なのか?」

 「居座られるこっちにしてみりゃ重要だろうが」


 それには同意する、とばかりに着地した体勢のまま、軽く振動する。


 「それにおかしいだろうが。そんなにホイホイ往き来してる割にゃあ、あいつの言動にはどっか覚悟を決めた人間によくある雰囲気があるぞ?」


 そうなんだよな…あんにゃろは、見てくれを裏切る残念な行動を繰り返す割には、なんつーかどっかやけっぱちに陥りかけそうな危なっかしさと、誇りのようなもんでそれを抑え込む自制が働いている、ように俺には見える。

 まあ人を見る目に自信は無いんで、断言は出来ないんだけどさ。


 「…帰るあては無い。シュリーズも、お前も。本当は自分の意志で一時的にやってきた、なんてえもんじゃなく…帰るあてもない場所に、他の誰かの意図でもって追いやられてきた。そんなとこじゃねーのか?」


 今度こそ本当に沈黙が支配した。重いなんてレベルじゃない。聞かなければ良かったと後悔さえしてしまう。


 「………察しのいい小僧だ。小憎らしいくらいに。いつ気付いた?」

 「そういう立場に馴染みがあんだよ。不本意ながらな。で、だ。その辺正直に明かすつもりはあるのか?」

 「それなあり得んな。まだ詳らかに出来る段階でもなかろう」

 「そうはいくか。正宗はまあ、あーいう奴だから自分から察するなんてこた無いだろうが、知ったら憤慨して暴れるぞ?」

 「あの嬢ちゃんはそうであろうな。余計な気遣いをさせるにも忍びぬ故、黙っておいてくれぬか?」

 「必要が無ければな。秘密にしとくよ」

 「必要とは?」

 「というか条件かな。俺はこれでも、このアパートの住人連中を守る義務がある。正宗だって大事な隣人だ。そいつらに危害だのなんだのが加えられるような事態になったら、それなりの対応をする。そういうことだよ」


 真面目くさってそう言ったらラジカセが身動ぎしていた。多分、笑ったのだろうと思うが不思議と悪い気分ではなかった。


 「小次郎。お主、歳は幾つだ」

 「俺の?十六だよ。変なことを聞くな」

 「そうか。姫様と一つ違いでその落ち着き様はまあ、頼もしいと言える」


 いつの間にかシュリーズと俺の呼称が変わっていた。なんつーか…これがこいつの素なんだろうなと思ってなんとなく親父を思い出した。


 「それとな、一つ頼みだ」

 「ほー、お前からそんな申し出とは殊勝なこったな」


 だからまあ、俺も親父に対するみたいな物言いになったのは仕方の無いことなんだろう。


 「お主の守らなければならない人の中に、姫様も入れてはもらえぬか。もとより我の役目ではあるが、何せ色々と不自由のある身だ。お主のように全てを知った上で行動してくれる者が、姫様には必要であろうからな」


 そんな動きは無かったのに、俺にはラジカセが深く頭を垂れたように見えた。

 全く。どうせそのつもりではいたけれどさ、改まって言われると素直に応じられなくなるじゃないか。


 「…俺に守られて大人しくしているようなお姫様なもんかね、あいつが。まあいいよ。出来る範囲のことしか俺には出来ないけれどさ、それで良ければ守ってみせるよ」

 「十分だ」


 それでこの話は終わった。なんか後で思い返すといろいろと恥ずかしい台詞を言ったよーな気がしないでもない。けど本音ではあるからなあ。なるべくなら言ったことを実行するような羽目にならないことを願うよ、ホント。


 「んじゃ、お姫様の寝床を用意しますかね、と。空き部屋の鍵と、あと布団か…客用のがあった筈だけど何処に仕舞ってあったっけ…」


 と、立ち上がって一つ気がついた。よく考えたらコレは結構重要なことだと思うんだが。


 「そういやさ、結局家出を装わなければならない、追いやられた理由?原因って一体何なんだ?」

 「……………」


 無言で浮き上がるラジカセ。おいちょっと待て。そこにすげぇ問題あるんじゃないのか?


 「黙るな。なんかお前が黙秘する時って大体碌でもないことが裏にある時な気がするんだが」

 「………家主殿よ。くれぐれも、己の誓いを違えることの無いようにな。お兄さんとの約束だゾ☆」

 「うわぁムカつく!いや待て、なんか前言撤回したくなってきた」

 「男らしくないのう、小次郎は」

 「呼び方変えても駄目だ!まず理由の方を聞かせろ。それからどうするか考え直す!」


 その後はまあ、狭い部屋の中でドタバタしたくらいで何も分からず、風呂上がりのシュリーズが戻って来て呆れられるまで仕度は何も進まなかった。

 布団を引っ張り出して二階の空き部屋に持ち込み、おやすみを言う頃には日付も変わってしまっていて、親父の不在は珍しくないが、それがこんなに騒がしかったことは無かったなと疲れた頭のまま、俺は着替えもせずに自分の布団に倒れ込むように寝入ってしまったのだった。

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