1章・夕焼けの下の邂逅

第1話・子は親を選べないという話

 居候、三杯目にはそっと出し。

 …という格言がある。

 無為徒食の輩を揶揄する例えに用いられることが多いが、俺は必ずしもそうは思わない。

 むしろ居候の方にも慎ましやかさがあるという意味で、実に日本人らしい関係性を示す言葉じゃないかと、俺は思うんだが。


 そんなことを辛抱強く説いてみたところ、目の前の居候本人の反応はすこぶる付きで芳しくなかった。

 というか、もっきゅもっきゅと咀嚼したまま俺の話を聞き終えると同時に、満面の笑顔で、


 「そうか分かった…おかわり!」


 …と、自分の茶碗を差し出した。


 「…お前俺の話聞いてたか?」

 「無論だ。私が小次郎の話を聞き逃すわけがないだろう?」

 「…だったら、この」


 と、突き出された茶碗を指さして言う。


 「この碗に世界の全てを注げ!…みたいな態度と茶碗は何なんだ?」

 「何なんだ?とか言われても。そっと差し出すのは三杯目なのだろう?ならば二杯目は元気よく差し出すのが正しい姿だと思う」


 よーするに。


 「ぜんっぜん話が通じてねーじゃねえか!」

 「…こひろー、いふぁい」


 今日は一回目なのでまだ加減はしているが、目の前の居候の両の頬をつまんで上下する。

 相変わらずのもち肌だが、今日は滑らかさがイマイチな気がする。午後から雨でも降るかもしれない。


 「ふねふねほもふのらふぁ、ほのひうふぃにこひろーはふいふほほふぉはいふぉは?」

 「えーと、『常々思うのだが、この仕打ちに小次郎は悔いるところはないというのか?』…で、いい?」

 「うふ」


 我が家の家計に仇なす居候の隣で、後ろ頭に尻尾をたくわえた隣家の同級生女子が通訳する。俺も常々思うが、なんでこーも正確に何を言ってるのか分かるんだろうか。俺にはもふぃもふぃ言ってるよーにしか聞こえんのだが。


 「おめーが自省して悔いるところが無いようにだな、俺も悔いるところなんぞ一片もねーんだよ。お互い様ってもんだ」


 最後にむいーんと左右に引っ張って、頬を解放してやった。

 別に痛めつけようとしたつもりはないが、半涙目のヤツをみると流石にいくらかは心が痛


 「失礼な奴だな小次郎は。私とて悔いることの多き日々だぞ。例えば昨夜のはんばぁぐの付け合わせはじゃがいもであったが、あのそぉすの味であれば人参でも良かったのではないか。いや両者を敢えて饗してこそ私に深い思索をもたらすというものなのでなかったのか、深く悔いているぞ?そうだ小次郎、良い考えがある。今日はその思索を私にもたらひたいひたいいたいいたごふぇんらふぁいごめんなさいひょうひり調子にふぉりふりまふぃはのりすぎました?!」


 …むことは全く無いように思う。 



 まあともかくだ。


 この、見た目だけはどっか外国のお姫さまみてーな居候は、面倒な出自と立場を伴い異世界からやってきて厄介事に俺を巻き込み、今はこうしてただの大食らいと化している。

 一体全体、どうしてこんなことになったんだか。



   ・・・・・



 親は子をなんとでも育てられるが、子は親を選べない。子供の最初の不幸はそのことだ。


 …と、いつかどこかでエライ野郎が言ったかどうかは知らないが、不幸と言い募るほどではないにしても、この日高小次郎にとってはまず真理といって差し支えないように、思う。甚だ困ったことに。


 「おうおうキレイな良い顔しているねぇ………とても…とても、美人さんだ…キミ男の子が放って置かないでしょう…んー、照れた顔もなかなかだ……いやあ毛づやもとってもステキだ。可愛いねぇ…」

 「おいクソ親父。真夏の朝っぱらから猫口説いてんじゃねえ」


 裏庭に入り込んだ野良に向かって這いつくばる中年に俺は冷ややかに声を掛ける。これでカメラを構えていなかったら身内として通報の義務が生じるところだ。警察にでなくて病院の方だが。


 「なんだ馬鹿息子。お前にプロの何たるかが分かるのか。いついかなる時も腕を維持するために錬磨が必要なのはどんな仕事に就いていても変わらんぞ」

 「だからと言って人類として許される範囲を踏み出すな。ここのご近所やウチの住人は大らかだから直接は言ってこんけど、こお、親父がいないとヒシヒシ感じんだよ、安堵感っつうか面倒ごとが起こる心配が無いっつう空気をよ」

 「それはありえんだろう。こう見えても、」


 と、親父は立ち上がって背筋を伸ばし、クイと右手の親指で無精髭の生えるあご先を指し示す。


 「友人知人はもとより近所のお子さんご隠居さんにまで人格者との評判を頂いている」

 「何て言われてんだよ」

 「いい性格をしている、と」

 「褒め言葉じゃねーよ、それは」


 呆れて吐き捨てはしてみたものの、都合の悪いことは耳に入らない親父のことだから、当然意に介する様子もない。まあ俺も口でこの放楽親父の行状を改めるのはとうに諦めているので、言うだけ言ってあとは放置するのだが。


 「つぅか飯出来てんぞ。とっとと食え。食ってどこへでも行ってしまえ」

 「おうよ。今朝は白米かパンか。日本人は朝は白米食わんとガッツが出んからなあ」

 「匂いで分かるだろ。飯だよ」


 アパートの、とはいえ裏庭には違い無い。縁台つきのサッシから覗くそこは程ほどに広く、まあ先に述べた通り、近在の野良どもが迷い込むことはザラである。

 そんくらいのもんだから、ひょいと庭から上がりこむのに文句は無いのであるが…。


 「…庭に出るなら下足くらい履いて下りやがれ」


 裸足のまま出入りするとはガキか、この中年は。




 「六十五点」


 箸を置くなり失礼なことを宣う。てめえは何もせんと息子に全部作らせておいてこの言い様か。


 「量は合格だが、なんつぅかもうちょっとこう、凝ったもんが食いたかったもんだ。作り置きの惣菜に買い置きの漬物とか、もう少しタンパク質を入れられなかったんか?でなければ味噌汁以外に火の通ったものをもう一品とか」

 「男子高校生の作る飯に多くを期待すんじゃねえよ。そんなもん欲しければ自分で作りゃあいいじゃねえか」

 「そうは言うがなあ、また今日から国外だ。最後に日本で食った飯が自分の作ったもの、てぇのもなんか物悲しいじゃねえか。せめて愛息の手ずからの食事の思い出で旅先の無聊を慰める、のも乙ってもんだろう?ん?」

 「…いや、待て。今なんつった」

 「飯炊きおつかれさん、と」

 「誤魔化すなこのドアホ、いやその言い草はムカついたから後でしめるとしてまた国外だぁ?おいクソ親父、今回家に帰ってきたのいつだコラ」

 「一昨日だな。もっともいつも通り東京のスタジオの仕事だったから一応国境線の内側にはいたぞ?」

 「ちったあ落ち着きというものを持てやこの生活破綻者。一週間東京でやっとこさ帰って来たと思ったら今度は国外だぁ?家庭を持っているという自覚が足りなさすぎるんじゃねえのか?」


 片膝立ててドスを利かすと、流石に忸怩たるものでもあるのか、無精ヒゲの目立つアゴをなで回して黙りこくる。

 外国だのなんだのと言うが、この親父にとっては特に珍しいことでもない。一応、ほんっとーに一応だとは思うが、これでも動物写真家の日高遠四郎、としてはそこそこ名が通ってはいるのだ。時々個展だかなんだか開き、写真集なんぞも何冊か出している。売れて売れて困った、なんてことは一度も無いようだが。

 であるから国外に撮影に行く、なんてこたあ今更過ぎて文句を言うのも飽きた程だ。この際俺まで巻きこんだりしなけりゃあ勝手にしてくれ、という話に過ぎない。


 「あのなあ、親父よ。経費ばっかかかって儲けにならん動物写真の撮影旅行を今更止めようなんて気はねぇよ。どうせそっちの赤字は東京のスタジオで補填してんだしな。けど生活費を生んでいるアパート経営の方をないがしろにするってえのは随分な了簡だと思わねえか?」


 であるが、生活の基盤としてはこっちで経営し且つ我が家でもあるアパート経営を放ったらかしにするともなれば、勝手も大概にしろと言いたくなるのである。


 「小次郎」

 「んだよ」

 「父さんは悲しいぞ…死んだ母さんがこんなお前を見たらなんというか…」

 「泣き真似はやめんか鬱陶しい。あと母さんというのは生きてんだか死んでんだか分からん中で何人目のことだ」

 「アパートのことは真鍋に任せておいたからな、後は頼む」

 「露骨に話を逸らしてんじゃねえ!!」


 昭和の日本の親父だったらちゃぶ台をひっくり返さんばかりの勢いで息巻く俺を、親父は涼しい顔で無視しやがった。ご丁寧に食後の茶なんぞを啜ってまあ、わざとらしいばかりである。


 「あのな、もうすぐリフォームについて住民への説明会やるって言ってただろうが。同じ場所に住んでいるオーナーが出席せんでどうする」

 「いや、忘れてはおらんさ。それまでには帰るつもりだ」

 「…説明会の日取りを言ってみろ」

 「八月三十二日」

 「夏休み終わるのが嫌な小学生かテメーは!」


 この有様である。

 ちなみに真鍋さんというのはウチのアパートの契約関係を取り仕切ってくれている不動産屋で、親父の後輩にあたるそうな。

 どちらかというと押しに弱い人で、親父には迷惑をかけられている立場らしいので、お金に関すること以外で更に負担をかけるわけにもいかないのも、俺が管理人代行なんぞせにゃならん理由でもある。


 とはいえ、親父があてにならない以上、真鍋さんに頼るほかは無く、近いうちに挨拶だけはしとかにゃあな、と思いつつ食器を片付け始めると、珍しいことに親父が自分の使った食器を持って台所についてくるじゃないか。


 「ふむ。ま、苦労をかけているとは思っているぞ」

 「…自覚があんならもうちょい自重しろよな。俺でなかったら絶対グレてんぞ」


 渋い顔で言い返してやると、からからと笑いながら、旅支度でもするのだろうか隣に引っ込んでいった。時々あーやってこっちが爆発する直前で引いてみせる辺り、我が親ながらかなわねえなあ、と思うところではある。



 グレるのグレないので思い出す。こう見えても俺は他人様から見るとかなり特殊な育ち方をしている、らしい。

 いや、「らしい」というのは自分ではさっぱりそういう風に感じないからである。まともとは言い難い親の割には至極真っ当に育てられたつもりではあるのだが。


 …まず、『普通の家庭』には母親は一人しかいないものらしい…場合によっては二人以上いることも無いことも無いよーだが、問題の火種になっているか発生した問題の結果としてそーなっているか、どちらかのことが多いと聞く。

 ところがウチの場合、『母親』なるものは過去に三人じゃ利かない数がいた。勿論、同時期同空間に存在したわけではない。んなことがあったら流石に俺でもグレてる。

 正確には、俺が幼少の頃より入れ替わり立ち替わり、親父が連れてきた女性を『母親』と称していたのだった。


 こう表現すると、ウチの親父が途轍もないろくでなしに聞こえてしまうだろうが、そこは身内として擁護させて欲しい。大体において、その女性たちには相応の事情、というものがあったのだ。

 とはいえ、そのように理解出来るようになったのは小学校も高学年に入る時分であったから、母親的な存在に素直に憧憬を持っていた俺としては、懐いたころになって姿を消す『母親』に納得がいかず随分荒れたような覚えはある。まあそりゃそうだわな。


 中学の頃にはもう大概親父が連れてくる女性、ってのは居場所を探すことさえにも疲れたようなところのある人ばかりで、親父はそういう女性が休む場所を用意していたんだろうなあ、とぼんやり考えられるようにはなっていた。だからまあ、俺としても家事を分担してくれるありがた~い存在だ、と割り切っていたのだが。

 いかんせん、こちとら健全な男子である。いずれは笑い話にも出来るかもしれないが、今のところ色々と引きずっているという自覚もあるので、細かい話は勘弁願いたい。ある意味強制的に母親離れさせられた、というところなのだろうか。

 …もっとも、お陰で今では炊事洗濯の負担がひでぇことになっているがな。


 「で、親父よ。今度はどこ行く気だ」


 片付けが終わり、エプロンを外しながら俺は隣でガタガタと騒がしい親父に声をかける。


 「とりあえずヒースローまでだな。そこから先はまだ考えとらん」

 「そんな行き当たりばったりで入国出来るもんなのかよ…」

 「日本人はな、これまで積み重ねた信用で意外に融通は利くもんなのさ。それに加えて、」


 ウチで一番でかいスーツケースを引っ張りながら姿を現した親父が、


 「父自身の信用の賜物でもある」

 「ふぅん。そうかよ」


 胡散臭い丸眼鏡を胡散臭い手付きでクイッと持ち上げながら言う親父を、俺は人生でかつて無い程に胡散臭い目つきで見つめた。

 というかだな、日本人の信用を一人で地の底に落としそうなこの男の口から出る信用という単語ほど信用ならないものは無いんだが。


 「冗談はさておき、ヨーロッパは大概回ったから今度は南米の予定だな。南米も初めてでは無いが…お前覚えているか?」

 「あン時のことは終生思い出したくもねぇ…いいからとっとと仕度済ませて行っちまえ。土産はいらねえぞ。世界に迷惑かける前にとっとと戻って来いや」

 「つれない息子だねェ…今流行りのツンなんとかってやつか?」

 「おま…っ……ようし、いいだろう。餞別代わりのセメントマッチだ。無傷で出国出来ると思うなよ……っ!」

 「おうよ上等だ。置き土産に何枚絆創膏をはっつけられるか、記録更新といこうじゃねえか…」


 荷物の固まりをドサリと投げ下ろす親父に、ワイシャツの襟を緩める俺。

 方やブルース・リーよろしく片手で挑発する親父、此方ジャッキー・チェンの如く腕を振り回して威嚇の構えの俺。

 ちゃぶ台を間に狭い部屋の中で位置取りを続け、目に見えぬ裂帛の気迫が互いの間に満ちた時………


 「コッジロウー!がっこ行こうぜーっ!!」


 …やたらと威勢の良い物言いを若干舌っ足らずな声でコーティングした隣家の住人が闖入してきやがった。


 「っとお、マサちゃん来たか。ほれ、父はまだ準備が残っているからとっとと先に行った行った」

 「追ん出そうとしていたのは俺の方なわけだが…」

 「主客転倒なんぞ社会にでりゃあ日常茶飯事さ」


 と、ざーとらしく宣い、ひらひらと手を振って再び隣に親父は引きこもった。主客転倒とは言ってもなあ。結局最後にはあっちが美味しいところを引っさらっていきやがる。

 とは言え、時間が無いのは確かだった。俺は短気な隣人の我慢が限界を超える前にと、玄関に出迎えに向かった。

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