第33話 僕と、僕。

 福南の葬儀は落合にある斎場で行われた。同級生で参列したのは、栃木と僕だけ。学校関係の知り合いという意味でも、あとは担任の先生と、都築先生、松浦さんくらいだった。

 それは、すなわち福南の交友関係を栃木が一手に引き受けていたことの、紛れもない証明であった。

 季節は過ぎるように流れ、冬になった。彼女の死のショックからひとまず僕と栃木も立ち直り、目の前に控える受験に向け勉強を続けた。栃木は順調に成績を伸ばし、夏の手前に決めた第一志望校にも手が届くくらいにはなっていた。僕の本当の受験はまだ先だけど、受験前に受験できるなんて経験そうそうできないので、ありがたく体験させてもらった。

 手ごたえは、僕も栃木もあった。


 そして、迎えた卒業式。

 センター試験が終わってから三年生は自由登校だったから、栃木と顔を合わせることはほとんどなかった。だから、今日は久々に栃木と会うことになる。

「久し振り……洸」

 教室の喧騒のなか、話しかけてきた彼が右手に何か持っていることに僕は気づいた。

「右手、何持ってるの?」

「ああ、彩実の写真。一緒に卒業式出させてあげたいなって思って、彩実の家から借りてきた。先生もいいよって言ってくれたし」

「そっか、喜んでくれると、いいけどね」

「……そうだな」


 福南も参加した卒業式は、つつがなく終了した。体育館から教室に戻り、担任から卒業証書を受け取る。最後のホームルームも終わって、僕と栃木は図書室に向かった。

 校舎のあちらこちらで泣き声や再会を誓う会話が響くなか、図書室への道のりを歩いていく。

「……洸と会うのも、もしかしたらそうそうないって感じになるのかな。大学からも会えるといいけど」

 ……もしかしたら、ではない。きっと。僕と栃木が会うのは最後になってしまう。

「大丈夫だよ。きっと、大学でも会うって」

 内心そう思いつつも、「僕」は栃木と会うだろうからそう返しておく。図書室のドアを開ける。司書室には、いつもと同じように都築先生がいた。

「あ……栃木君、葉村君……卒業、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 僕と栃木は口々にそう返しつつ、司書室隅にある椅子に座った。一人分だけ、妙にできたスペース。

「二人に会うのは……福南さんの葬儀以来ですね……」

「その節は、ありがとうございました」

 栃木は立ち上がり、ぺこりと先生に向かい頭を下げる。

 空気が、止まる。

 きっと、僕も、栃木も、先生も感じているんだ。

 ここは、福南の影が濃く残っている。空いた椅子も、本も、書架も、予定を組むホワイトボードにも。

「二人とも、笑いましょう? 浮かない顔をしていたら、福南さんに怒られちゃいます」

 先生は穏やかに笑みを作りつつ、そう言う。

「そう、ですね」

 栃木はそれにつられ、顔を綻ばせる。

「笑って……か」

 僕も、笑う。

 ここに、悲しみの表情は似合わない。

 少しセンチメンタルな雰囲気になったところで、先生は時計を一瞥して僕等に告げた。

「ごめんね、先生、ほんとはゆっくり話していたいんですけど、用事があるので少し図書室開けますね。もし帰るときは鍵を閉めていってくれませんか?」

「わかりました」

 栃木は先生から鍵を受け取る。先生は少し慌てた様子で図書室を出て行った。

「……短かったな……三年って」

「そう、だな」

「入局したときはさ……全然、右も左もわからなくてさ……よく俺は図書だよりの原稿が下手で先輩に書き直し食らってたっけ。……あんな先輩になれるかなとか思っていたけど、後輩は一人も入らなかったし、おかげで二年のときから副局長だったしな」

 僕にとっては一年だから、その頃の話はわからないんだよな……。

「修学旅行は……北海道でさ、函館の夜景とか、五稜郭とか……あとジンギスカン、美味しかったよな……三人で回った札幌散策も……それに……それに……」

 どれも、僕の記憶にない、三人で紡いだ思い出だった。

「それに……三年になってからなんてさ……今、思い返せば……色々あり過ぎて振り返るなんて……」

 次第に、栃木の声が潤んできた。卒業式でも泣かなかった彼は、とうとう思いを溢れさせてしまう。

「洸……彩実の人生、彩ってくれて、ありがとう」

「……え?」

「洸がいなかったら、出会ってなかったら……今話した思い出はなかったかもしれない。いや、なかったんだ。現実なんて、ひとつボタンを掛け違えるだけで簡単に変わるから」

「僕は……色なんて持ってないよ」

 だから、僕は福南のいる、彩実のいるこの世界に魅せられた。

「……むしろ、染めてくれたのは、この日々だよ。彩実と進のおかげなんだ……僕は、何も……」

「だとしても。楽しそうだった。彩実は。洸と出会ってからの三年間は、俺が見てきたなかで、一番いきいきとしていた。……洸がいなかったら……洸のおかげだよ……」

「僕は、何もしていない。むしろ、してもらったんだ。そんな、お礼を言われる理由なんて……」

 僕の声も……駄目だって。涙は、似合わない。泣いちゃ、だめなんだ。

「ちょっと、彩実に頼まれた本、返却手続きしてくる……」

 栃木はそう言い、カバンのなかから一冊の本を取り出しカウンターに向かった。彼女が読んだ、最後の本……なのだろうか。

 彼はスキャナーでバーコードを通し、画面の表示と本の名前が一致しているか確認。そして、本のなかに何も挟まっていないか──

 パサッ。

 栃木が一連の作業をしていると、二つの手紙が床に落ちた。彼は。それを拾い上げる。一瞬、表情が強張った。

「どうした? 進」

 震える声で、栃木は言った。

「……彩実から、手紙が……俺と、洸宛に」

「え?」

 俺はすぐさまカウンターに駆け寄り、青色のそれを確認する。

 

 葉村洸君へ

 

「彩実の、字だ……」

 僕は、中にある手紙を開き、読み始める。


 〇


 洸君へ

 私は今、病院のベッドの上で、この手紙を書いています。進にこの手紙を挟んだ本を卒業式の日に学校の図書室に返してもらうつもりでいるから、きっと洸君に届いていると思います。……そうだといいなあ。進は、手紙のこと、本を開けるまでは知らないから、そこは責めないでください。いつまでもだらだらと書くと、スペースなくなっちゃうから、書きたいこと、書くね。

 洸君がこの手紙を読んでいるとき、私はきっと、もう、この世界にはいないと思います。でないと、少し恥ずかしいことになっちゃうね(笑)

 まあ、そんなことは置いておいて。

 ありがとね。

 洸君と過ごした三年間、本当に楽しかったよ。思うような人生を送れなかった私に、かけがえのない三年間をくれて、本当に、楽しかったんだよ。

 高一のとき、初めて洸君と出会ったときのこと、覚えているかな。

 図書局の見学が終わった後、閲覧スペースで自分の本を読んでいたら、たまたま読んでいる本が同じだったよね。あれは今でも笑っちゃうような出会いだったなあ。でも、そのおかげで、私と洸君はすぐに仲良くなれた。


 私の身体のこと、知っても、変わらずにいてくれた。実はそれが一番嬉しかったのかな。


 高二のときは、やっぱり修学旅行かな。小・中と入院とかで修学旅行行けなかったから、楽しみでね。特に、夜景かな。函館も、札幌も。進と三人で食べた味噌ラーメンや、生チョコレート、カステラとか。あと、回転寿司すごく美味しかった。北海道って美味しいもの多いね(笑)

 また、三人で行きたかったな……卒業旅行とかで。

 でも、まあ、今年の夏休みに色々なところへ行けたから、大丈夫か。学校祭も成功できたし、公園でやったささやかな打ち上げも、楽しかった。

 こんな手紙じゃ、収まらないほど、たくさんの思い出を洸君は私にくれた。


 それに。洸君は、私と進のこと、支えてくれた。


 梅雨の時期の、進の悩みも、ちゃんと進のこと考えて、進に道を示してくれた。駄目になりかけた私も助けてくれた。あのときの洸君に、私と進は、救われたんだよ。

 だから、

 洸君にも、素直になって欲しかったなあ。

 素直に、胸の内にあることを、話して欲しかった。

 でも、洸君優しいから、きっと気を遣って、話さないでいたんだよね。

 ねえ、気付いていたんだよね。洸君。進の気持ち。私だって気づくよ、さすがに。だから、なんだよね?

 洸君が、段々私たちと距離を置こうとしたのは。

 全部、進のためだったんだよね。

 ……ごめんね。私と進が中途半端な幼馴染でいたから、洸君に辛い思いさせて。

 いや、私のせいか。私の、わがままのせいかな。

 気づかないふり、していたんだ。だって、多分そんなに長くない命だと思っていたから、恋なんかしちゃったら迷惑かなって思っていて。だから、わざと。

 それに、いつもの図書室が、司書室が、凄く居心地がよくて。私は本を読んで、進はパソコンをいじって、洸君は小説を書いて、っていう、そんな日常が、たまらなく好きだったから。


 あ……書きたいこと書いたらスペースがなくなっちゃった(笑)

 駄目だなあ、ちゃんと紙の配分考えないと。

 じゃあ、最後に。


 洸君。やっぱり、私、まだまだ生きていたい。でも、どうやらそれは叶わないみたいだから、もう、この世界で生きることができないみたいだから。


 洸君の描く世界で、生きたい。


 ……恥ずかしいこと、お願いしているのはわかっているよ。でもね。

 いつか消えてなくなるかもしれない誰かの思い出のなかだけじゃなくて、あの数百ページに広がる文字の海のなかで、私は泳ぎたい。だから。


 真っ白な世界に、光を、彩りを、笑顔を描き出せる、そんな小説家になってくれると、私は嬉しいです。


 真っ白な世界から、読む人を惹きつけるような、そんな世界を作る人になって欲しいです。


 ごめんね、長くなっちゃった。これが私の最後の願いです。

 それじゃあ、洸君。元気で、頑張れなんて言葉じゃ失礼なくらい、頑張っているのはわかっているけど、それでも。


 頑張ってね。


 福南彩実


 〇


 手紙を持つ手が、細かく震える。水色の便箋は、屋根の下にあるというのに雨に濡れてしまう。徐々に重さを増したそれは、やがて持つ手をだらんと下ろさせた。

 なんだよ……全部、気付いていたのかよ……。

 気づかないふりって……なんだよ。

 考えれば考えるほど、想いは溢れる。

「……なんで、なんで……発破をかけたんだ……? 俺に……?」

 栃木の手紙にも、真実を書いたのだろうか。仕方ない。誰にも言うつもりはなかったけど。

「……僕より、進の方がいいだろ? ずっと支えてきた幼馴染と、高校からの友人なら、幼馴染のほうがいいに決まっている」

「……だから、夏、おかしくなったのかよ……俺の、ためかよっ」

 隣から、嗚咽が聞こえる。

 取り戻すことのできない過去を悔やむ、彼の嗚咽が。

「僕はさ、笑っている彩実が好きだった。その笑顔を作っていたのは、進だから。だからだよ」

 僕は涙で滲む景色を天井に向ける。

「……僕は、これでいいんだ。僕は、もう、未来に進まないといけない」

 便箋をカバンに大切にしまい、座り込んでいる「親友」に手を差し伸べる。

「……行こう。進」

 その一言に、彼はそっと、頷いた。

「……そうだね」


 歩く。僕は、この温かい空間から未来に進むために。

 図書室のドアを開け、僕と栃木は、情報高での時間の多くを過ごした場所に別れを告げた。


 帰り道。細い道を手繰り寄せるように歩いていく。住宅街、公園、小学校を抜ける。その間、僕らに会話は生まれない。会話がなくても、どこかで通じている、そんな気がしたんだ。

 そして、到達した地下鉄の駅前、僕と栃木の別れ道。

「じゃあ、また、会おうな。洸」

 僕は、最後にひとつ嘘をついた。

「うん。また、会おう」

 ……これがきっと、最後になると知りながらも。


 一人になった家路を、僕は淡々と歩いていく。東中野駅で降り、神田川沿いをゆっくりと進む。すると、家の前にあるベンチに、あの男性が座っているのが目に入った。

 男性は、僕のことに気づくと、にこやかな笑みを浮かべつつ近づいてきた。

「卒業おめでとう」

「……は、はい」

 この人は僕の本当の高校は別にあることを知っているのに、それを言うとなるとなんか違和感があるけど、とりあえずお礼は言っておく。

「まずひとつ。今日で、君がこの世界にいるのは最後なんだ。お疲れさまでした」

 ……予想通り。

「……どうだった? この世界での生活は」

「……現実では知ることのなかった、人と人との繋がり……ですかね。もう、これに尽きると思います」

 僕がそう答えると男性は満足そうに頷く。

「うん。なら、いいんだ」

 そして、こうも続けた。

「……これで、僕の役目も終わりかな……」

 突然発したその言葉に、僕は少し戸惑う。

「そういえばさ、この世界の舞台になっている小説について、君ははじめに聞いたよね。僕が答えられませんって言ってはぐらかしたけど」

「は、はい……」

「……その小説の作者の名前、知りたい?」

 少しいたずらっぽい顔をして、男性は僕に尋ねる。そんなふうに言われて、いいですとは言えない。それに、純粋に気になる。

「はい」

「……白彩笑しろあやしょう、それが作者の名前だ」

 ……え? しろあや……? え?

 ま、まさか……いや、でも……。

「君の予想通りだよ。……僕、僕だよ。僕が、白彩笑。そして、君も、白彩笑だ」

「は、は……?」

「彩実の手紙の最後、なんて書いてあった?」

「最後って……っ……!」

 真っ白な世界に、光を、彩りを、笑顔を描き出せる、そんな小説家に……!

 だ、だから。

「そう。だから僕のペンネームは白彩笑。本名は、葉村洸。二十三歳」

「……未来の、僕」

「うん、そう。……さあ、これからが本番だ。まあでも、察しのいい君のことだから、きっと君が二十三歳になると何が起きるかは、わかるよね?」

「…………」

「約束を、守るんだ。それだけでいい」

 奇跡は、二度起きる、っていうわけなのか……。

 そして、男性は僕の側を離れていく。

「……頑張れ、葉村洸」

 その労いの言葉を残し、去っていった。


 どこか胸のなかにざわめくものを感じつつ、僕は夜を迎えた。いつものように過ごし、そして、寝る時間となった。

 ……本当に、色々なことがあった。楽しいことも、辛いことも。

 走馬灯ではないけど、この世界での日々がフラッシュバックされる。

「また、来るから」

 呟きを残し、僕はベッドの中に潜り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る