第31話 11枚綴りの回数券
「あ、悪い洸、俺ちょっと親に用事頼まれたから先帰る。病室寄るなら彩実のこと頼む」
「ん、オーケーわかった」
しばらくして、夕方になると栃木はそう言い病院の敷地を後にした。一人残った僕は一旦病室に戻ることにした。
建物に入り、彼女の病室前にたどりつく。ちょうど松浦さんが帰るところだったらしくて、入れ違いになる形となった。
「あ、洸君。あれ? 進は?」
「進は用事で先に帰ったよ」
僕はベッドの側に椅子を出して、例のごとくそこに腰を落とす。
「ふーん、進はもう帰ったんだ……」
「何話したの? 松浦先生と」
「え? ……うーん、ガールズトーク?」
「なんで少しとぼけるような感じで言ってるの……?」
「ま、まあ女の子には色々あるのですよー」
「別に彩実が言いたくないなら無理には聞かないけどさ……」
「ねえ、洸君」
彼女はふと、今までの少しのほほんとした声色から一転、真面目なふうに僕に言ってきた。
「そういえばさ、……小説、出来上がった?」
テーブルに置いてあった文庫本を隅にある棚に片付け、僕の目を見つめつつ彼女はそう言った。
小説。か。
「……うん、昨日、だね。ちょうど終わったよ」
福南の入院で色々バタバタしたけど、つい昨日。「僕」が描いていた小説を僕は完成させた。
「……読んでも、いいかな?」
……前々から、僕の小説を楽しみにしてくれていた。そんな彼女が読みたいって言ってくれている。そんな願いを断ることができるのだろうか。
「……いいよ。どうする? こっちで印刷してきたほうがいい? データのほうがいい?」
「病院じゃ印刷は難しいから、紙に出してくれると嬉しいかな」
「わかった。明日にでも持ってくる」
「やった、楽しみにしてるね」
「こちらこそ。ありがとう」
「洸君の小説、なんだかんだで久し振りだなあ。今年の春以来かな」
「そ、そうだね」
「明日、待ってるね」
「……それじゃあ、僕、そろそろ帰るね」
「うん。また、明日ね」
「また、明日」
僕は、君のその「また明日」を、何度聞くことができるのだろうか。
病室を出るときに引いたドア、一瞬滑りが悪いようにも思えた。
それから家に帰った僕は、簡単に晩ご飯を済ませ、プリンターで紙に自分の小説を印刷し始めた。カーテンで閉じられた真っ暗な空間に、ポツリ浮かぶスタンドの灯り。その灯りを頼りに、紙に刷られたページたちを確認する。
A4のコピー用紙に広がる、僕が紡いだ世界観。上手いか下手かはひとまず置いておいて、間違いなくそこにはひとつの物語が動いていて。
それは、少なからず一人の女の子が訪れてくれるものであって。
幼いころから体が弱かった彼女をあの白い病室から抜け出させてくれるのは、オーストラリア行きを企画する彼氏でも、脱走常習犯の患者でもなければ、一冊の本だった。
片手に入るサイズの世界は、彼女が経験できなかった様々なことを教えて。
僕は印刷の終わったコピー用紙の束にパンチで穴をあけて、ファイルに綴じた。彼女が保管しているのと同じ方法で。
綴じたファイルをカバンにしまって、僕はお風呂に入る。二十分くらい浴槽に身を沈めてから、自分の部屋でラジオをかけながらゆっくりした。
時計の針が頂点から少しずれたくらいに、あまり夜更かしをしても学校に響くだけなのでいそいそとベッドに潜り込んだ。
福南に小説を読んでもらう前日、ということもあってか、少し寝着くのに時間がかかってしまった。
次の日。学校が終わった後、真っすぐ病院に向かった。勿論、栃木も一緒だ。
切符を改札に通し、電車に乗り込む。あまり嬉しいことではないけど、長期的な入院が確定になった段階で、僕と栃木は回数券を買って病院に通っていた。正直、あまりいい気分はしないけどね。──ずっと病院にいることを前提にしているような気分で。
しかし、バイトもままならない高校三年生はそんなにお金を持っているわけでもなく、毎日病院に通うためには仕方なく、という判断だった。
「そろそろ回数券切れるから、また買わないとな」
電車を待つ間、隣にいる栃木はそう話を始める。
「うん、じゃあ今度は僕が買っておくから」
回数券は交互に購入し、割り勘という形を取った。次は僕が買う番。
「彩実から聞いた。小説、できたんだって?」
「うん。今日、見せる」
「……まあ、彩実のことだから、きっと一日で読み切るだろうから、心配はいらないよ」
「そうだな、はは」
そういったふうに軽口を叩き合いつつ、僕と栃木は新宿へと進んだ。
病院に到着し、そのまま病室に入る。
「洸君、進」
「彩実……持ってきたよ」
「やった」
福南はものすごく無邪気な笑みを浮かべつつ、カバンから出したファイルを受け取った。
「……すぐ、読むから。待っててね」
「わかった」
彼女はそうしてファイルを受け取り、テーブルの上に置いた。
「多分、一日二日あれば読み切れると思うから」
「……進と話した通りだな」
「ほんと、予想通り」
「あ、ねえねえ、私さっき進が図書室から借りてくれた本読み切ったんだけど──」
話が福南の読んだ本に切り替わった。幸い、その本は僕も栃木も読んだ本で、感想を話し合うのにかなり盛り上がった。そうしているうちに陽は沈んでいき、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
ひとつ気になったことと言えば、福南がちょくちょく窓の外にある木々の葉を視線に入れていたことだった。そろそろ全部落ちてしまいそうな。木々の葉を。
約束通り、福南は次の日の夕方には読み切った。翌日病室に入ると、満面の笑みで彼女は「読み切ったよっ、洸君」と僕に言ってくれた。
一緒に来た栃木は苦笑いを浮かべつつも、福南の話を聞いていた。僕は僕とて、司以外の人から初めて聞く感想、ということもあり、きっちり参考にさせてもらった。
こういうふうに、誰かに直接感想を言ってもらえると、やはり嬉しいものがある。
福南は、キャラの立ちかたや、展開について、細かく感想を話してくれた。「僕」は毎回彼女からこんなしっかりした感想をもらっていたのかと思うと、少し羨ましくもあった。
かれこれ一時間くらい、福南は話してくれた。その一時間は、僕にとってとてもありがたいものだった。
……でも、その一時間は。もう取り返しのつかない一時間だったんだ。
病魔は間違いなく、されど確実に。一分一秒時を進めるごとに。
福南彩実という少女の体を蝕んでいったんだ。
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