第28話 いつも通りでいるために

 福南の父親から一報を受けてからさらに数時間。そろそろ夜の帳が降りようとする、そんな時間に、僕と栃木は福南と面会することができた。

 消毒液に匂いが微かにする廊下を抜け、真新しい白色のカードに書かれた「福南彩実」とある病室のドアを栃木は開けた。

 視界に、ベッドに横たわる見慣れた女の子の姿が入る。その瞬間、心にひとつ衝撃が走った。思わず、膝から崩れ落ちそうになるくらいに。

 ……本当に、福南だ。

 情報として福南が倒れた、病院に運ばれた、頭では理解しているつもりだった。でも、そんな理解は一度、彼女自身の姿を見てぶち壊される。

 そして、もう一度、認識させられるんだ。


 ──福南彩実は、今病院にいる、入院しているって。


「あ、洸君……進……来てくれたんだ……」

 ドアの音に気付いたのか、彼女は寝返りを打って、僕らのほうを向いた。……横になったまま。……まだ起き上がる力はないのだろうか。

 実際、蚊の鳴くような大きさの声だったんだ。いつも明るい顔と声で僕らの会話を牽引してくれた福南の面影は残っていなく、代わりに見えるのは、どこかの漫画か小説に出てくる悲劇のヒロイン、そんな影だ。

「あ、彩実……」

 彼女の声を聞き、緊張が解けたのか、栃木はベッドの側に寄り、両膝をつき目線を合わせようとする。

「よかった……ほんと、無事でよかった……」

 涙声になりつつ、福南の手を取りそう繰り返す栃木。

「……ごめんね、心配かけて」

 僕はドアの近くに突っ立ったまま、その様子を眺めていた。今の二人の空間に、立ち入ってはいけない、そんな気がしたから。

 十五分くらい、栃木は彼女の枕元で感情を溢れさせていたけど、それも落ちついた。僕もベッドの側に椅子を出して座り、軽く三人で会話をした。

「とりあえず、しばらく入院することになりそうなんだ」

 まあ、それはそうか……。

「まあもともと、私が通院していた病院ってここだから、主治医の先生もいるし、転院もする必要ないしで、搬送先がここで良かったかなー。なんて」

「……ごめん彩実、それはさすがに僕は笑えない」

 やはり彼女は優しくて、どこか沈んだ気持ちを抱えている僕らを明るくさせようとしてくれるんだけど、でも、直後にこういうネタは、さすがに笑うことができない。

「そうだよね……ごめん」

「学校には、戻れるんだよな……?」

「大丈夫だよ進。少しの間入院して、また良くなったら学校に通えるようになるからっ。こういうこと、今までもなかったわけじゃないし、むしろ頻繁にあった時期もあったからそんなに心配しないで」

 まるで何でもないかのように答える福南。嫌な意味で慣れている、というか、全然慌てていないというか。僕がこういう状況になったら、きっとここまでいつも通りでいられない。憔悴するなり恐怖に慄くなりすると思う。

 でも、福南はあくまでいつも通りだ。

「……大丈夫、すぐ、帰ってくるから。だから、二人もいつも通りでいてよ……あまり心配されると、私も調子狂っちゃうから」

 ……そう言われると、もうこれ以上何かを言うことはできない。面会の時間も終わりになってしまったので、僕らは病室を後にして、家に帰った。


 次の日、月曜日。当然だけど、教室に福南の姿はなかった。朝のホームルームで担任の先生は「福南は体調を崩してしばらく入院することになった」とだけ伝え、それ以上彼女について言及することはなかった。

 実際、福南はそれほど友達が多い、ってわけでもなく、何人かの女子生徒が栃木のところに話を聞きにきたぐらいで、クラス中がざわめくとか、そういったことはなかった。いつも僕と栃木としかつるんでなかったから、それもそうか……。

 授業中も、休み時間も、ひとつだけぽっかりと空いた座席が、妙に目立って見える。昼休みもいつも三人で集まって食べていたお昼が、今日は僕と栃木の二人だけ。会話の中心となっていた福南がいないってなると、ただただ野郎二人が無言でお昼をむさぼる何の画にもならない状況になっていた。

「……まあ、元気を出せ、とは言うつもりないけどさ。……彩実に言われた通り、いつも通りでいる努力はしよう……?」

 何の会話も生まれることなく、お昼ご飯を食べ終わる。僕は自分に言い聞かせるように栃木にそう話した。

「……わかってたのにさ」

「……進?」

「いつか、こういうときがまた来るって、わかってたはずなんだけどさ。やっぱり、いざってなると、怖くて……」

彼は、福南の席を見つめながら、静かな声で話す。

「朝起きたら、彩実はもういません、ってなるのが怖くて……昨日は寝られなかった。無理だよ。いつも通りでなんかいられるわけない。怖いものは怖いんだよ」

 ……寝られなかったのは僕も同じだけどさ。それでも僕は数時間は意識を落とすことができた。栃木は……完全に寝られなかったのだろうか。

「……だとしても、彩実の前で、そんな態度取るなよ? ……一番怖いのは、当事者の彩実のはずなんだから」

「わかってる」

「それに、彩実本人がすぐ戻って来るって言ったんだから、大丈夫だよ。すぐ退院できるって」

「……だと、いいね」

 終始、栃木の声色は上がることなく、昼休みは終わった。教室に鳴り響くチャイムの音が、やけに空しく聞こえた。


 授業が終わると、別に約束したわけでもないのに僕と栃木は集まる。

「……とりあえず、病院行くよな?」

「……ああ」

 僕の問いに、ノータイムで答える。そのまま校舎を出て、駅に向かう。新宿方面の電車に乗り込み、数分で着く西武新宿駅で下車する。

 いつかの夏の日に三人で歩いた靖国通りも、栃木と歩くと景色が違って見える。別に栃木を悪いと言っているわけではない。

 福南の存在があまりにも大きすぎた。僕も栃木も、自分から話をするような性格ではない。勿論話しかけられたらきちんと対応するし、話すことは嫌いではない。けど、福南は僕らとは逆で、自分からどんどん話を始めてくれる人だった。会話の起点となる人物を失い、残った二人に会話が生まれなくなってしまった。……単純に落ち込んでいる、っていうのもあると思うけど。

 駅から十分くらい歩いて病院に到着した。

 病室のドアを軽くノックしてからスライドさせ、中に入る。

「──あっ、二人とも、今日も来てくれたんだ、ありがとう」

 福南は窓の外に向いていた視線をパッとこっちに向け、いつものニコッとした笑みを浮かべる。

 ベッドについている机に文庫本にスリットを挟んでそっと置き、続ける。

「学校どうだった?」

「……いや、出会って一言目にそれって母親かい」

 僕は椅子を出しつつそうツッコミを入れる。

「あらら、洸君は絶賛反抗期中なのかなー?」

「まあ、高校三年の男子なんて反抗期でしょ」

「それもそうか。じゃあ、進もきっと家のなかでは……」

「俺が会話に関与していないタイミングで好き放題言うのやめてもらえませんかね」

「あっ、戻って来た。ボーっとしてたからさ。つい」

「……俺は彩実の前でボーっとすることも許されないんですね」

「というかさ……彩実、何冊本読んだ?」

 僕は、病室に置かれている棚に並んでいる本を見て、恐る恐るといった感じに尋ねる。

「え? 今日だけで三冊目かなー」

 僕と栃木は顔を見合わせ、黙り込む。しばらくして、こらえきれなくなったか、お互いにクスクスと笑い始めてしまった。

「ちょ、ちょっと二人ともどうしたの? ここ病院、あまりうるさくすると看護師さんに怒られるって」

「ああごめん、だって、彩実があまりにも平常運転でさ。なんて言うか、ぶれないなあって」

「だ、だって……洸君とか進、親とか来ないと本当にやることないから……勉強も……あまりする気分じゃないし」

「ま、まあ学校が終わったら来るようにはするし、な?」

 僕は少し緩んだ雰囲気のなか、栃木に同意を求める。

「あ、ああ」

「一週間くらいしたら、さ。もう一度検査してどうするか決める、から」

 一週間、ね。

「だから、進。私が一週間読む本が無くならない程度の量の本を学校の図書館から借りてきて欲しいの。あ、一度借りた本はいらないからっ。それは履歴見て確認してね」

「お、おう……えらく主張が激しいな……」

「こういうときじゃないと……わがまま言えないからね」

「……ま、いいけど。明日持ってくるよ」

「ありがとっ」

 一度会話が軌道に乗ると、時間はあっという間に過ぎてしまい、僕らが帰らないといけない時間になった。

「……元気そうで、よかったな、彩実」

 西武新宿駅のホームを歩きながら、隣を歩く栃木にそう言う。

「……ああ、本人が一番けろっとしているのって、なかなかな……今日家出るときに彩実のお父さんと一緒になったけど、やっぱり不安みたいで」

「そっか、それはそうだよな」

 一番線に停車中の各駅停車の電車に乗り込み、座席に並んで座る。帰宅ラッシュと重なる時間ということもあり、向こう側の三番線に停まっている急行電車はかなりの混雑率のようだ。

「各駅停車の田無行発車となります、ドア付近のお客様、閉まるドアにご注意下さい」

 ドアがプシューと音を立てつつ閉まり、電車は動き始めた。

 もう陽が沈んだ東京の街並みを進んでいく。車窓越しに映る景色は、高田馬場駅を出るとこれから家に帰る人の運転する車のヘッドライトや、線路脇にある公園でバスケを楽しむ大学生らしき集団などとどんどん移り変わる。

 高校の最寄り駅下落合駅に着く。僕と栃木はもう一つ隣の中井駅まで乗る。

「そういえばだけど、こうやって制服で洸と電車に乗るのって、なんか珍しいな」

「まあ、僕だけ家の位置離れているし」

「高校だと近いほうかもしれないけど、実際洸一人だけ東中野だしな」

 確かに、高校の友人の家の距離としては、近いほうなのかもしれない。歩いていける距離だし。

「まあ、贅沢は言わないよ。これくらい二人と近ければ。さ、着くよ」

 駅の隣にある踏切を通過し、中井駅に到着。電車を降りて、改札口で栃木と別れた。

「じゃあ、また明日な、進」

「ああ、また。洸」


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