第27話 残り僅かの蝋燭


 学校祭が終わると、年間にある行事のほとんどが終わってしまう、ということもあり学校内は落ち着いた雰囲気になる。次第に暑さもようやくその勢いを弱めてきて、秋の足音を徐々に大きくさせてきていた。

 イベントもない、となると三年生はもうあとは受験と卒業しか残っていないもので、僅かに残っていたふわふわした空気も完全になくなり、受験一色になっていた。

 僕も校内の雰囲気に反抗してまだ高校生活を謳歌する気はさらさらなく、学校にいる間は流れに従い勉強に励んで、家で原稿を進める、そんな生活に切り替えていた。まあ、原稿も本当にあと少しで終わるのだけれど。

 十月の頭の日曜日の午前。あと一割くらい残った原稿を僕はカチカチと進めていた。

「さて、続いてのお便りを読んでみましょう、神奈川県にお住まいのラジオネーム──」

 例のごとく、BGMにラジオをかけつつ孤独を紛らわす。

 部活がなくなってからというもの、単純に二人と過ごす時間が減った。朝の始業前の時間もきっちり自習に費やすようになったし、放課後はそのまま真っすぐ家に帰りどちらかの家で一緒に勉強をしているようだ。まあ、僕も誘われたは誘われたけど、色々な意味から断っておいた。

「──さんからのお便りです。ありがとうございます。こんにちは、毎週欠かさず聞かせていただいています。ありがとうっ──」

 その時期の僕は、きっと油断していた。

 学校祭が終わり、イベントがなくなった今、もうこの小説は卒業しか残っていない、そう思い込んでいる僕がいたんだ。

 そろそろお昼ご飯をどうするか考えないといけない時間、キリがいいところで僕は心地よくエンターキーを叩いた。そのとき。

 ラジオを流していたスマホが着信を知らせた。

「ん? ……栃木か……」

 画面を左から右にスワイプし、通話に出る。

「もしもし、進──」

「こ、洸っ? 急に悪い、あ、あのっ」

 電話口から、何やら切羽詰まった栃木の声が聞こえる。どうかしたのだろうか。

「あ、彩実が……倒れてっ」

「は……?」

 その言葉の意味を理解するのに、数秒かかってしまった。

「い、今救急車で病院に搬送されたんだ、洸、来れるか?」

「行くに決まってるだろっ! 場所どこ」

 僕はすぐさま勉強机を離れ、財布とICカードをひったくって通話したまま家を出た。

「大学付属の病院……! 最寄りは都庁前駅だ」

「わかった、すぐ向かう! 着いたら連絡する!」

 マンションを飛び出し、僕は東中野駅へと走った。

 都庁前駅は東中野から地下鉄で一本。それほど遠くはない。はずなのに。

 重なる信号待ちと、長い長い改札口からホームまでの道のり、電車の待ち時間も合わさって、とても遠く思えた。

 たった三駅なのに、とてつもなく長い時間電車に乗っているような感覚だった。

 ようやくたどり着いた都庁前駅。ホームに降り、改札を抜けて電車に乗っている間に調べておいた最寄りの出口へと駆ける。

 数分走ると、目的の病院の建物が見えてきた。震える手つきで栃木に電話をかける。

「もしもし、進? 今病院の入り口に着く、どこで待っていればいい?」

「えっと……いいや、病院内だと声出しにくいし、入り口で待っていて。俺がそっちに向かう」

「えっ、でもいいのか?」

 僕がそう返したのは、栃木は少しでも福南の近くにいたい、そう思っているのではないかと考えたから。

「……どのしろ、今は近づけない状態だから。外にいたほうが、きっとまだいい」

「っ……わかった、入り口で待ってる」

 そして、電話を切り入り口近くにあるベンチに腰を落とした、三分も経たないうちに、栃木が僕の隣にやってきた。

「悪い……ありがとう、来てくれて」

「いや、それはいいんだけど……どうしたんだ、彩実」

 電話を受けてからあった疑問を、栃木にぶつける。

「……彩実のお母さんの話だと、昼前に台所で麦茶を飲んでたら、急に倒れて意識を失くしたって……」

「……大丈夫、なんだよな?」

 こんなこと、聞きたいのは栃木だって同じだろう。栃木に聞いたって、わかるはずはないのに。

 でも、聞いてしまう。

「……今までも、こうやって病院に駆け込むことは何回かあった。でも、それも中学に上がってからは一度きりだったし、ましてや、救急車を呼ぶことなんて初めてだから……俺だってわかんねーよ……」

 くいしばるように、彼は答えを口にした。

「わかんねーんだよ……」

 今にも泣き出しそうな声色だった。俯きつつ、瞳を閉じて、祈るように両手を握りしめている。

 僕も栃木も、突然突きつけられた福南の命の危機に、どうしようもない恐怖を抱いていたんだ。あるいは、最悪の事態の想像もついてしまうくらいには。


 福南の容態について報せが来たのは、僕が病院に着いてから一時間が経った頃だった。僕ら二人に男性が近づいてきて、「もう、大丈夫みたいだ。今は落ち着いている。様子を見て、面会も可能になるらしい」と言ってきた。

「……ありがとうございます」

 栃木はか細い声でそう返し、頭を軽く下げた。……福南の父親かな。今の方は。どことなく面影が似ていた。

「……よかった……」

 視線を空に向け、まるで涙を零さまいとして彼はポツリと漏らした。

「ほんと……よかった……」

 たった、二言。

 でも、この二言に栃木が福南に懸けてきた日々や想いが詰まっている、僕にはそんなように思えたんだ。


 慣れた足取りで、彼は駅から病院までの道のりを歩いていく。

「…………」

 いつもは快活な表情を浮かべている彼も、今日はその柔らかい笑みは消え去っている。

「……終わりってやつはさ、そんなに優しくないんだよ、葉村君」


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