第26話 その先を追い続けたい


「いやだなあそんな顔しないで欲しいよ」

「……今日は何を話しに来たんですか?」

 ドアの前で声を落として問い詰める僕。そんな僕をひょうひょうとかわす男性。

「うーん、そうだね……まあありていに言えばこれからの、話、かな?」

「……とりあえず、ここだとあれなんで、中に入りましょう」

 いつまでも出入り口に立ち止まって話をするのは通行の邪魔だし、話も聞かれる。僕は渋々図書室の奥にある閲覧用のテーブルに案内した。

「ありがとう、ま、あまり長話をする気もないんだ。単に久し振りに学校に行きたくなっただけだから」

 お互いに席につき、落ち着いたところで男性は話を始めた。

「そろそろ勘付いている頃だと思うけど。……この小説、もう終盤なんだ」

 ……これからの話をする、って言った瞬間、なんとなく予感はしていた。やはり、か。

「じゃあ、あとちょっとで僕は現実に戻されるってわけなんですね」

「……時間という意味では、まだまだあるかもしれないけど、体感としてはもう少しだろうね」

 なんか含みを持った言葉回しだな。

「で、きっとそろそろこうも思い始めているよね。……帰りたくないなあって」

 本当、嫌になるくらい心を知っている。

「……まあ聞くだけ無駄だとは思いますけど、帰らない方法なんてないですよね?」

「うん、ないよ」

「ですよね」

「あれっ、洸君―? 知り合いの人来てるのー?」

 すると、さっきまで司書室で作業をしていたのに閲覧スペースに出ている僕を見つけて不思議に思ったのか、福南が声を掛けてきた。

「っ──」

 そのとき。僕の前に座っている男性があからさまに苦い表情を浮かべた。

「洸君のお知り合い?」

 ちょこんと側に立った彼女は無邪気にそう尋ねる。

「う、うん。そうだよ。えっと──」

 あれ? この人の名前なんだっけ。そういえば聞いたことなかった……。

「初めまして、白彩しろあやって言います。葉村君の遠い親戚みたいな関係でね、たまたま近くに来る用事があったから、学校祭にも来たんだ」

「あ、そうなんですね、わざわざありがとうございます。ゆっくりしていってくださいね」

 いつもの柔らかい笑みを緩やかに浮かべ、彼女はその場から離れていった。

「……名前、初めて聞きましたよ。珍しい名字なんですね」

「まあね。まあ、ね……」

 それにしても、白彩さんのあんな表情を初めて見た。この人も、そんな顔、するんだ……。

「……ねえ、なんで世に二次創作という二次創作が広まっているって思う?」

 白彩さんはどこか遠いところに焦点を合わせつつ、僕にそんなことを聞いてきた。

「きゅ、急に話変わりましたね……」

「まあまあ」

「……自分が見られなかった展開を見るためや、少しでもその世界観に浸っていたいから、ですかね」

「うん、まあ正解なんてないんだけどさ、僕も大体そんな感じの答えを持ち合わせているよ。……その答えが出るなら、安心だよ。……じゃあ、そろそろ僕は帰るよ」

「もう帰るんですね」

「あれ? もう少しいたほうが良かった?」

「いえ、別に」

「……なら、帰るよ。……葉村君、頑張って」

 そう言い、白彩さんは僕に背を向けて立ち去ろうとした。

「あのっ」

「ん? 何かあった?」

 不意に、僕は席を立ちあがり呼び止めてしまった。

「僕の名前、どうして知っているんですか? 前々から気になっていたんですけど」

 ふっと小さく笑みを浮かべ、こう答えた。

「それは、多分君が一番よく知っていると思うけどなあ」

「え?」

「じゃあね、葉村洸君」

 今度は、足を止めることなく、白彩さんは図書室を出て行った。

 僕はしばらく、その場で立ち尽くしていた。


 校舎を出て、彼はすぐ青空に目線を向けた。

「……駄目だなあ。駄目だよ。無理だよ。泣きそうになる。もう、話せないはずだったのにさ……」

 いや、それさえ望んだのは、きっと──

「僕自身だって、言うのにね……」


 学校祭の発表はつつがなく行われ、あっという間に日程は消化された。時折気分転換に演劇部の演目を見に行ったり、外の屋台に出たりなどもして、学校祭を満喫した。

 そして。

「これで、第二十三回、情高祭は閉幕となります。閉会式に参加する生徒は、第一体育館に集合してください」

 そのアナウンスを僕ら三人は司書室のなかで聞いた。もう片付けは終わっている。情高祭とは、目白情報高校祭の略称だ。

 それはつまり。

「……終わっちゃった、ね」

 海のなかに放り出された彼女の言葉が示す通り。

「……引退、なんだね」

 僕や栃木、福南の引退を意味するものだった。

「皆さん……」

 すると、都築先生が司書室に入ってきて、声を掛けてきた。

「まず、二日間、お疲れ様でした。受験もあるのに、この土日を潰して来てくれたことは感謝してもしきれません。おかげで、今年も図書局は学校祭の発表を行うことができました」

 そこまで言い、先生は僕らにペコリと頭を深々と下げた。

「いっ、いえ、私たちは好きでやったことですし、楽しかったんで全然。ね?」

 福南の問いに、僕と栃木は無言で頷く。

「そう言ってくれると、先生も気が楽です……。それで……三年生の皆さんは今回の学校祭をもって引退となります。これからは恐らく三人は色々な道を歩んでいくと思います。でも、この空間で過ごした日々は、きっと、皆さんの財産になると思います。これから、頑張って下さい。……先生が初めて三年間一緒にいた代で、色々と至らないところもあったと思います。でも、皆さんと過ごした三年は、とても、とても楽しかったです。……ありがとうございました」

「私たちも、すっごく楽しかったです。情報高校に入って、図書局に入って、本当によかったって思える日々でした。ありがとうございました」

「……二年生のときにやった流しそうめんが、一番の思い出です。かけがえのない時間だったと思います。ありがとうございました」

 福南、栃木と口々にお礼を言っていく。

「……こんな環境に身を置くことができて、とても幸せでした。……短い間でしたけど、ありがとうございました」

 僕も、偽りのない感情を、ここで吐き出す。

 先生は満足そうに僕らの顔を見回し、そして、

「……それでは、今日はこれで解散です。お疲れさまでした」

 最後の部活が、今終わった。


 帰り道。どこか学校周りが祭りの余韻に酔っているさなか、僕ら三人は帰り道の途中にある公園に寄って打ち上げを行っていた。

 コンビニで買った飲み物片手に、

「じゃ、お疲れ様でしたー」

 福南が音頭を取る。炭酸が弾ける音が一瞬響き渡り、みんなそれぞれ一口飲み物を呷る。

 誰が何を話すでもなく、無言の時間が僕らの間に流れる。住宅街のなかにポツンとある公園は、ボールで遊ぶには狭すぎて、鬼ごっこもできないような、そんな大きさ。都会にある公園らしいと言えばらしい。

「……なんか、実感湧かないね」

 その静寂を破ったのは、やっぱり福南だった。

「いざ引退、ってなっても。どうしてかなあ……」

「文化系部活あるあるじゃないのかな。吹奏楽とか、将棋とか、そういう明確な大会がある部活なら引退時期はわかりやすいけど。こういう部活って、引退時期がふわふわしてるから」

 きっと、僕が文芸部を引退するときもこんな感情になるのだろうか。

「そうかもね」

「……あっという間だったな……ついこの間、入学したって思ってたら、もう引退だよ」

「私も、そんな感覚、かな」

 そして、再び訪れる沈黙。

 家々を抜けるように、風が吹きつける。

「……ありがとね、洸君」

「……何が?」

「……ここまで、付き合ってくれて」

「別に……僕は」

「でないときっと、こんな楽しい時間、送れなかった」

 真っすぐ僕のほうを向いてそう告げた。彼女の瞳は、どこまでも、どこまでも真っすぐで。おかげで、否定することができなかった。

 一度、ぶち壊しかけたのに……。それなのに。

 福南は、それを責めるどころか、「ありがとう」とさえ、言ってくれた。

「……僕だって、楽しかったよ」

 零れそうになる感情をごまかすために、僕はそう返した。

「楽しかった、んだ……」

 怖かった。この日々が逝ってしまうのが。たまらなく、怖い。

「まあ、部活は終わっちゃったけど、クラスは同じだし、別に接点がなくなるわけじゃない。とりあえず、今度は受験、頑張ろうぜ?」

 少しセンチな感情を漏らしてしまった。空気を変えようとしたのか、栃木が気を利かせて話題をずらしてくれた。

 今はその気遣いが、優しかった。

 その後、取り留めもない会話をしつつ、飲み物も飲み切ると、公園でやったささやかな打ち上げも終わり、僕たち三人はそれぞれの帰路についた。


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