第25話 栞

 大切にしたい、と思うようになると、物事はあっさりしてしまうもので。まあ、アイスが長い時間もたずにすぐに溶けてしまうようなものか。

 学祭準備期間もあっという間に過ぎてしまい、迎える学祭当日。校舎は全面的に学祭ムードに染まっていて、いたるところに装飾の限りが尽くされている。

 目白情報高校の学校祭は九月半ばの土日に行われる。隣の目白情報大学の学校祭はその翌週に行われるのが慣例のようで、地域では「情報学園祭週間」と呼ばれるくらいには、結構人で賑わうみたいだ。まあ、系列校だし、なんか上手い感じに宣伝とかはかけるでしょうね……。

 受験勉強も佳境に近づく秋開催、ということもあり、三年生はクラス単位での参加はなく、自由参加となる、らしい。まあ、土日どっちも潰すんですからね、色々予備校の何かとかが重なる人もいるでしょう。

 僕はこっちの世界では予備校には通っていないので問題ないし、福南と栃木もどうやら通信教育の教材を使っているみたいなので学祭の参加に支障はなかった。

 学祭開幕前の、朝の教室。やはり三年生の教室に人影は多くない。窓から差し込む朝陽が並ぶ机に規則正しい影を映し出し、徐々にその威力を強めようとしている。……いい加減涼しくなってください。

「あっ、洸君、おはよー」

 少し無人の教室にふけっていると、ドアが開く音がした。目線を移すと、福南と栃木の姿があった。

「おはよ、彩実、進」

「おはよう、洸。誰も来てないんだな」

 挨拶を交わしつつとりあえず荷物を置く二人。

「まあ、自由参加だし、受験に本腰入れている人は来ないよ」

「その言い方だと、俺たちは本腰いれてないみたいになるけど」

「……言葉の綾だ、気にしないでおくれ」

「オーケー」

 ……実際、僕は「今」本腰は入れてないんですけどね。ははは。

 その後もチラホラと教室にクラスメイトはやってきたけど、やはり受験勉強を優先したのか、最終的に来たのは四分の一もいなかった。簡単に行われたホームルームの後、僕ら三人は図書室へと向かった。


 もう前日のうちに設営は済ませていたので、あとは開会を待つだけ、という状態だった。

「開会式、参加する?」

 司書室のテーブルにいつもの配置で座っていた僕ら。福南がふとそう尋ねた。

「俺は出ようと思うけど」

「私も。洸君は?」

「……僕は、いっかな。ちょっとやりたいことあるし」

 持ってきたノートパソコンをコツンと叩いて、僕は二人に原稿を進める意思を示す。別に、二人にしたいつもりではない。

「そっか、まあそうだよね、そろそろ時期的にも完成させたいよね」

「あと、少しなんだ。だから」

「うん、いいんじゃないかな。……お客さん来なければ」

「サンキュ」

「じゃあ、私たちは体育館に行ってるね」

「オッケ」

 二人は図書室を後にして、司書室に僕と都築先生が残された。

 都築先生もパソコン作業があったみたいで、しばらくタイピングの音だけが中に響き続けた。

 ふと。

「……学校祭が終わってしまえば、きっと今みたいな時間がずっと続くのかなーって思うと、ちょっと寂しく思えて来ちゃいますね」

 僕の前に座る先生が、そんなことを言い出した。

「私が顧問になってから入部した子で、初めて送り出す学年なんです。葉村君達の代は」

 僕は、タイプする手を止めて、先生の話に聞き入る。

「勿論、毎年卒業式の季節になると、それなりの感慨にふける、ってことはあります。でも、きっと今年の卒業式は、その比にはならないんでしょうね……。担任を持たない私が送り出す、唯一の繋がりですから……」

「先生……」

「……私も高校生のときは、図書局だったんです。高校はここではないですけどね。でも今の葉村君たちが羨ましくなるくらいには、地味な高校生活でした。葉村君や福南さん、栃木君がどう思っているかはわかりませんが、端から見たら、楽しそうな部活をしているんですよ? 皆さんは」

 窓越しに映る外の風景を見つめつつ、先生は言葉を紡いだ。外は学祭に来た一般来場者でかなり賑わっている。

「……私がそう思うからこそ、この学校祭が終わるとって思うと……」

 一瞬、体育館のある方角から、ひときわ大きい歓声が響いて来た。

 始まったのか……。

「先生」

 ノートパソコンの画面越しに、見つめる先生の姿。その声に対し、背中を向けていた先生は僕と目を合わす。

「……終わっちゃうから、楽しいんですよ、きっと」

 それは、先生に言っているのではなく。僕に言い聞かせているもので。

「終わりのないものに、美しいものなんてないですよ、きっと」

 表情を取り繕って、必死に自分に受け入れさせようとしている言葉だ。

「それに。僕たちの部活は終わりますけど、先生の部活はまだ続くじゃないですか」

 続ける。

「来年入って来る後輩は、もしかしたら僕らよりも面白い、楽しいことをやってくれるかもしれない。そう思えば、今日の学校祭なんて、通過点でしかないですよ。いわば、栞を挟むポイント、みたいなところです、多分」

「葉村君……」

「だから、僕はこの学校祭、精一杯、楽しみますよ」

 徐々に広がる校内の喧騒。普段は静かな廊下周りもこの日ばかりはお祭り騒ぎになっている。

 僕の決意が言葉になったとき、図書室のドアが開いて、開会式に行っていた二人が戻って来た。

「はい、そうですね、葉村君」

 そのころには、先生の表情も、ひとつ垢抜けていた。


 まあ、学校祭に来る人の大半はクラスや外の模擬店などに集まるもので、わざわざ校舎の上にある図書館にまで足を運ぶ人はそうそういない。しかし、それでも一定の客層というものはあるもので、全くもって誰も来ない、ということはなかった。常に一人から二人は図書室内にいる、そんな賑わいかただった。

 ……人が集まり過ぎてうるさくなってもそれはそれで本末転倒だし。

 おかげで、といったら語弊があるけど、案内とかは福南と栃木に投げて、僕は司書室でひたすらパソコンと向かい合っていた。

 昼を回った頃に、聞き覚えのある声がした。

「こんにちはー約束通り来ましたー」

「あっ、松浦先生」

 僕は一旦ノートパソコンを閉じて、図書室の入口まで出る。

「おっ、みんな揃ってる、今年は誰も受験とかで抜けなかったんですねー」

「先生も、元気そうですね」

「ちょうど教員採用試験が終わって一段落したところで……時期的にもぴったりなので、約束通り、学祭見に来ました」

 とまあ、福南といくつかコミュニケーションを取り、中へと入って行く。

「葉村君と栃木君のメンズ二人も、お久しぶり。元気だった?」

「は、はい」

「僕もそうですね」

「んんー?」

 松浦さんはすると僕らの顔をじっと見つめて、こう続けた。

「……どっちも進展してない? もしかして」

「え?」

「……先生、僕らの関係見ていて楽しんでますよね?」

「あ、バレました?」

「バレバレです。あと、矢印は僕から伸びてません。隣にいるヘタレからだけです」

「え? 洸?」

「というわけで、あとはこのヘタレから話を聞いてやってください。僕は司書室に戻ります」

 まったく話についていけていない栃木を松浦さんの隣に放置し、僕は原稿作業に戻ろうとした、けど。

「失礼しまーす」

 これまた覚えのある声色だった。……僕がどうしようもないときとかに現れる、あの声だ。……ってえ?

「やあ」

 ……なんでここに、あなたが来ている。

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