第3章 「僕は君との約束を、守ることができたのかな」

第24話 小説難民

 聖蹟桜ヶ丘での一件からは、二人と会う機会はなかった。やはり受験生だから、そうそう時間は取れないのが普通だろう。僕は今までと変わらないリズムで勉強と原稿を進めていき、夏休みを過ごしてった。夏休みの課題、というものも高校三年にもなると出ないもので特にイベント(まあ、八月三十一日の「あれ」とか)は起きずに、夏休みは明けた。

 始業式の日、放課後。今日は午前中で学校が終わるため、正午から図書室を閉める午後二時までの活動だ。例のごとく、司書室の片隅で僕ら三人は集まっていた。まあ、何を話し合っているのかというと、再来週に控えた学校祭の展示パネルの作成について。

「──じゃあ、次の日曜日に私の家でパネルに貼る模造紙を作るってことで、決まりでいい?」

「ああ、それでいいよ」

「うん、僕もそれで」

 三十分くらい内容について話し合い、作業する日にちも決め、議論は終わった。

「都築先生、終わりましたー」

 テーブルから首を伸ばし、福南はカウンターに座る顧問の都築先生にそう報告する。

「終わりました? じゃあ、最後に返却された本を書架に戻して、今日はもう解散にしましょうか。皆さん三年生ですし、受験ありますしね」

「え? いいんですか? まだ開館時間続きますけど……」

 書架に戻す本に量はあれど、三人でやればすぐに終わるだろう。きっと午後一時過ぎには帰れることになる。

「気にしないでいいですよ、夏休みも明けてこれからもっと大変になると思うんで」

「ありがとうございます、都築先生。じゃあ、本戻しに行こう? 二人とも」

 司書室を出ようとしつつそう言った福南に続き、僕と栃木も本を書架に戻す作業に入った。予想通り、すぐに作業が終わり、今日の部活は終わりになった。


「それじゃ、私たちは先に帰りますね、先生」

「はい、勉強頑張って下さいね」

 結局、本当に予定よりも早い時間に解散となり、僕らは学校を後にした。残暑残る九月の東京は、まだまだ太陽の勢いは衰えず、まだ遠い秋の足音を恋焦がれてしまう程暑さには飽きた。

「まだまだ暑いねー」

 スカートをひらひらと揺らしつつ、前を歩く福南はそんなことを言い出す。

「それに、もう少しで最後の学校祭、だね」

 最後、が強調されたのは、僕の気のせいではないと思う。

「……それが終わったら、引退だね」

 アスファルトを叩く靴の音が、やけに大きく聞こえる。住宅街の合間にある公園からは遊んでいる子供の声が飛び込んでくる。ふと、公園のほうに視線を彼女は送り、

「……このまま、時間が、止まってくれたらいいのに……」

 なんて、少し意味ありげなことを呟いた。

 その呟き、今度は僕にも聞こえた。

「あ、彩実……?」

「っ、ご、ごめんねなんでもない、と、とにかく最後の学校祭、頑張ろうね」

 僕が少し不思議そうな顔をしてそう尋ねると、彼女は何もなかったように視線を僕と栃木に戻した。

「お、おう……」

 そんなふうに、間の抜けたことを返すしか、僕にはできなかった。


 夏休み明け特有(らしい)の返却ラッシュとなる九月一週目を何事もなく過ごし、学祭のためのパネルを作りに福南の家に行く日になった。

 家でお昼を食べてから出発し、僕は山手通りを歩いて彼女の家を目指したけれど。

 ……女子の家入るのも初めてなんだよな……。

 そんなことを頭に考えつつ、歩いていた。

 左手に山手通りにある洋菓子店で買ったゼリーを手土産を持ち、僕は梅雨以来の福南の家にやってきた。

 ……いいんだよね? インターホン押して。

 家の前でかれこれ五分くらい怖気づいて、ようやくインターホンを押す決心がついた。あまりにも長い時間うろうろしてると通報されるかもだし……。

 ピンポーン。

 少しして、福南の母親らしき方がドアを開けてくれた。

「はーい、あ、葉村君じゃない、学校祭の準備に来たのね、どうぞどうぞ、入ってね。彩実と進君は部屋にいるから」

 あ……もう、顔も認識されているってことは、「僕」は何度か福南の家に来たのね。

「これ、よろしければ。通りにあるお店で買ってきたものなんで」

 僕は持ってきたゼリーを手渡す。

「あら、ご丁寧にありがとう。折角だから、三人で食べちゃいなさい。あとで部屋に持っていくから」

「は、はい」

 僕は靴を脱いで、家のなかから聞こえてくる福南と栃木の声を頼りに彼女の部屋に繋がるであろうドアノブに手をかけた。

 どうやら、正解だったようだ。ドアを開けると、部屋のなかにあるテーブルを囲んで話している二人の姿があった。

「あ、洸君も来た来た。もう先に始めてたよー」

 その口振り通り、二人はもうある程度書き込みが入った模造紙を挟んで座っていた。

「結構進んでるね」

「あー、うん、なんだかんだで楽しくて、つい……」

 悪戯が見つかった子供みたいな顔をしつつ、彼女は頬を掻きつつそう言う。

「さっきから彩実のテンションが高いんだよ」

「え? そうなの?」

「ああ、さっきからもう活き活きしてる」

「だ、だってずっと受験勉強で本読めてないし、こういう機会のときに思い切り息抜きしないとって思うと……」

「……まあ、わかるよ、気持ちは」

 僕は福南と栃木の間に座った。それと同時に、

「彩実、葉村君が持ってきてくれたゼリーがあるから、みんなで食べちゃいなさいー」

 と言って部屋に福南の母親が入ってきた。

「ありがとう、お母さん」

 テーブルに残ったスペースにゼリーをトンと置いて、福南の母親は部屋を後にした。

「じゃあ、洸君、ゼリーいただきまーす」

「うん、どうぞどうぞ」

「俺も、食べさせていただきます」

「はーい」

「んんっ、冷えていて甘くてサッパリする……」

 オレンジ味のゼリーを美味しそうに頬張る福南。……真面目に幸せそうな表情してるなあ……。

「まあ、まだ暑いしね、ケーキとかよりはこっちのほうがいいと思って」

「ぁぁ……おいしい……進もこういうお土産持ってきてくれていいんだよ?」

「ほんと、テンション高いな……っていうか隣の家に行くためにわざわざお土産買わないといけないのかい」

 そういう栃木もふわふわした顔してるけどね。

「にしても」

 このゼリー、美味しいな。


 ゼリーをおやつにして、また学祭の準備を再開した。僕が来た段階で、もう練馬のパネルはほぼ出来上がっていたらしく、二枚目の鎌倉のパネルに移行していた。

「──で、じゃあここにはこの写真使って」

「──文章は俺があとで書いておくよ」

「──レイアウトどう思う? 洸君」

「──うーん、ちょっと僕は見にくいと思うけどどうかな……」

 作業自体はスムーズに進行した。多分、こういう仕事が好きな三人が集まったからだと思う。

 夕方を回る頃には、あらかたやるべき仕事は終わり、あとは細かい装飾を加えるくらいになった。

「ふう、なんとか終わったね」

 テーブルの上に巻いて置いた模造紙三つを眺めつつ、福南はそう言う。

「本当に今日一日で終わらせた……」

 ん?

「いやー、また休みの日に集まって、ってなると勉強時間無くなっちゃうから、今日のうちに終わらせたいねー、っていう話を進としてたんだ」

 ……ああ、なるほどね。

「じゃあ、私ちょっと外すね」

 そうして、福南は部屋を出る。女子の部屋に残される、僕と栃木。なんか奇妙な画だなこれ。

 それにしても。……本棚の量すごいな……。

 部屋四方のうち三辺に本棚が並んでいて、それを埋め尽くす勢いで文庫本が並んでいるよ。

 ……図書館開けるよ、くらいには。

「……本の量、凄いな、彩実」

「え? ああ、そうだな。毎週休みの日なると俺を連れて本屋に行って、一冊本を買う、みたいな生活で。それが小学校高学年くらいからずっとだから、それの積み重ねかな。お年玉とか入ると一気に本を買って、またって感じ」

「進も本は読むんだろ?」

「ああ。読むけど、きっと俺の部屋の本棚は彩実の五パーセントもない。大体彩実から借りて読んだから。どうしても手元に置いておきたいものしか、俺は買ってない」

 出版社、作者五十音、作品番号順に並んでいるあたり、本に対してきっちりしている福南の性格がよくわかる。

 左上から右下に、どんどん視線をずらしていくと、本棚の隅に、紙のファイルが何冊か置かれていた。

「ん……?」

 僕がファイルに目を止めたことに気づいたのだろう。

「あれ? 洸は知らなかったっけ? 彩実、洸の小説は紙にプリントしてファイリングしてるんだ。やっぱり画面で読むと文字が滑るんだって」

「え……?」

 いや、ちょっと待て。急で理解が追い付かない。

 福南は……わざわざ僕の小説を「プリントした」上で「ファイルにまで綴じて」しかも「本棚に保管してる」のか……?

「彩実にとっては、小説を描いている人っていうのは、それこそ神様みたいな人でさ。だから洸のことはすごく尊敬していたっていうか……初めて洸が小説描いているの知ったときの彩実の反応は凄かったよ。ほんとにね。『ぶ、ぶ、ぶ、部活の同学年の男の子が小説描いてる……!』って」

「彩実の声真似似てないよ進」

「そこは置いておいてくれよ」

 ……そんなことあったのね。まあ、それはいいとして。

 ……ここまでやってくれているってわかると、嬉しいものがある。

 なんか、なんか……。

「進、私の真似上手くないね」

「あっ、彩実……? いつの間に」

「なんか洸君と進が何か真面目な話しているからドアの前で聞いちゃった」

「ちょ、盗み聞きって……」

 少し青い顔をしている栃木、おいおい、何か聞かれたらまずいことでも話そうとしたのかい。

「それに、私は『ぶ、ぶ、部活の同学年の男の子が小説描いてる……!』って言ったんだよ? 『ぶ』の数がひとつ多い、進」

「そこ大事……?」

 苦笑いしつつ、ツッコミを入れる僕。

「もしかしたら、『ぶ』の数ひとつ気を遣うだけで出版デビューできるかもしれないよ、洸君。そこは大事、なんてね」

「ははは……じゃあ、もしこの会話を小説の題材にすることがあったら、ちゃんと進の台詞は『ぶ』を三回、彩実の台詞は二回にするからさ、安心してよ」

「なら、安心だねっ」

 ……ふと、思ってしまう。

 僕は、一体いつまで『僕』でいられるのだろうか、って。

 小説の終わりっていつなんだろう、って。

 僕がこの世界に来てから、そろそろ三か月が経つ。舞台となっている小説がどういうものかはわからないけど、恐らく、長くて高校卒業でこの小説は終わる。

 あと半年で、きっと終わってしまう。『僕』にはまだ二人との時間が続くのだろうけど、僕にそれは叶わない。訪れない。

 その事実が、寂しい。悲しい。

 ああ、きっと、日常系アニメとか見て覚える喪失感ってこういうものなんだろうなあって福南たちと話していて思った。

 笑うときにできる彼女の、緩やかな表情の色。それに一緒になって破顔する彼の一途な想い。

 もっと、もっと。もっと、二人と一緒の時を過ごしたい。

 いつの間にか、僕はそんなことを思うようになってしまった。

 夕陽も完全に沈み込んだ夜、夕飯をお世話になる前に僕は彼女の家を後にした。


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