第23話 「ごめんね」の理由
僕らの夏に、まだまだ苦みは残っていたんだ。
迎えた学祭準備の最終地、聖蹟桜ヶ丘に行く日になった。待ち合わせは東中野駅の西口改札。夏の終盤でも太陽はせっせと活動していて、道行く人たちは片手で陽をさえぎるように歩いている。
例のごとく、改札前で本を読んで僕は福南と栃木を待っていた。
「あ、おはよー、洸君」
十分くらい待っていると、辺りからそんな声が聞こえた。視線を上げ、声のほうを見ると、
「いい天気だねー」
僕の友達二人が、改札の前に現れた。
「うん、おはよう、彩実、進」
「じゃあ、早速だけど、行こっか」
福南のいつものニコッとした笑みを見て、一抹の安心を感じた。僕たちは改札のなかに入り、新宿に向かった。
中央線で二駅の新宿で降り、京王線に乗り換える。聖蹟桜ヶ丘は新宿から三十分程度の場所にある。
停車していた特急に乗車して、三つ並んで空いていた座席に座る。
少しして電車のドアが閉まり、ゆっくりと動き始めた。電車が地下から出て地上に上がった頃には、僕ら三人の間には会話の花が咲いていた。
電車はどんどん東京の西に向かい走り続け、調布、府中と停車していく。新宿を出発して三十分くらいしたころ、車窓には多摩川と川に架かる府中四谷橋が映った。
「わぁ……この橋、アニメで見たのと同じ……」
聖蹟桜ヶ丘に行きたいと言った張本人の福南がそう小さく感嘆の声を漏らす。
川の水面が太陽の光に煌めいて、水色の景色のなかに、所々光の白色が混ざり合う。
「…………」
電車は橋を渡りきり、すぐに聖蹟桜ヶ丘駅に到着した。少し曲線を描くホームに降り立ち、早速。
「よし、洸君、写真撮って」
「え?」
「駅で電車を見送るシーンがあるんだ。そのカットも回収しないと」
「そ、そう?」
彼女に言われるがままに僕はスマホを構える。多少角度の指示が入ったのち、シャッターを押す。
「うん、ありがと洸君」
撮った写真を満足そうに見つめて、彼女はニコッと笑った。
「よし、じゃあ改札出よ?」
その一言で僕ら三人は階段を下りる。改札が東と西に分かれていて、西口改札を抜ける。西のほうには駅に隣接している複合施設が入っていて、結構人で賑わっている。
「わぁ……」
駅近くにある青色の家の形をしたポストを眺めそう呟く福南。そのポストは青春のポストとして有名なんだ。
「で? 彩実はどこに行きたいの?」
「んーと、そうだね、私はさっきの橋と、いろは坂かな」
さっきの橋って……ああ、府中四谷橋か……。見た目以上に遠いと思うけど、まあ本人が行きたいって言うならいいのかな。あと、いろは坂。ヘアピンカーブを描きながらくるくると坂を上っていく道。だったと思う。高一のときに取材で行ったきりだから、記憶が曖昧と言えば曖昧なんだ。
「まあ、ならとりあえずどっち先に行く?」
「うーん、じゃあ、先に橋を見に行こう?」
「オッケ」
ということで、僕たちは駅の側にある大通りを歩いていき、まず多摩川を目指す。交通量が多い道路を横目に、三人並んでどんどん進んでいく。
「そういえばさ、洸君は受験勉強どうなの?」
ふと、歩いているとそんなことを福南は聞いてきた。
「え?」
「いや、進とは結構一緒に勉強してるから、なんとなく状況わかるんだけど、そういえば洸君はどうなのかなーって、気になって」
「あーまあ、ボチボチ、かな」
まさか、いや、僕の受験はもう一回夏を挟んでからなんだ、とか言えるはずもなく、とりあえずそう誤魔化しておく。
「洸君は一年生のときからちゃんと勉強してるから、まああんまり心配はないよね」
「はは、ま、それで逃げ切れたらどんなに楽だろうね」
実際コツコツやり続けても現実世界ではあまり模試の結果が良くない僕は、自嘲するようにそんなことを言う。
「……原稿と並行して進めてるよ」
「……洸君は、大学どこ受けるんだっけ。聞いたことなかったよね?」
「そうだね、僕は……」
お昼が近づいたからか、少し気温が上がってきた。僕は手で太陽をかざすようにしてしばらく考える。
……いや、多分同じだと思うよ。現実も、こっちも志望する大学は。
「……都立の大学、が第一志望かな」
「洸君……」
「洸……」
え? 僕なんかまずいこと言った? なんで会話が止まる……?
「とんでも頭いいところ受けるんだねっ」
「あ、ああ。さすが洸……」
……なんか急に羨望の眼差しを受けているんですが……。
「やっぱり、文学部?」
「うん、そうだね」
「そっかぁ……」
……まあ、こんな調子だと受かるはずもないんですが、もうひと夏あるからこそのこの緩いペース、なんだけどね……。
そんな調子でワイワイと話しつつ、僕ら三人はさっきの橋を目指し続けた。
関戸橋を渡り、多摩川沿いをどんどん歩いていく。やはり結構な距離が離れていて、徐々に気温は夏らしいものになっていった。
「いやあ、暑くなってきたね」
少し苦笑いしつつ、福南はそんなことを言う。
「最高気温何度だっけ?」
彼女の問いに、スマホを眺めつつ答えようとする栃木。
「えっと……げ、三十五度だってさ」
「うわぁ……」
「正午回るとまずいかもね」
僕は段々大きくなる白いシルエットの橋を視界に入れつつ、そう締める。
「ちょっと、今日は早めに切り上げないと危ないかもね」
チラリと隣を歩く福南を見やりつつ、栃木が言った。
春は桜の花弁が並んで美しい多摩川沿いの聖蹟桜ヶ丘も、夏は青葉を生い茂らせて、辺りから蝉の鳴き声がこれでもかと主張を激しくしている。
「結構駅から遠い場所に行くし、この先どこか休める場所もなさそうだし」
実際問題、この通りにコンビニとかそういった場所は多くない。一度歩き出すと、次の大通りまで休憩ポイントはない、そういうエリア。
「彩実、体調は大丈夫そう?」
きっと、病弱体質の福南を気遣っての言葉だろう。一瞬歩みを止めてそう尋ねる。
「うん。飲み物もまだあるし、大丈夫だよ、ありがとう」
それを聞いて、安心したようにして、また彼は歩き始める。
強くなる陽射しと共に、段々目的の橋と太陽が、僕らに被るようになる。
川の土手に広がるタンポポの綿毛が、一瞬風に揺れ、白いそれが僕らの前を通過する。風に舞い上がるタンポポの綿毛を僕ら三人は一様に見上げ、その行方を追った。隣の車道も通り越して、道路の向こう側にある建物の奥にさえ行こうとしていく。
「……あんなふうに……」
やがて視界からタンポポが見えなくなると、福南がふと小さい声で何か呟いた。
「……あんなふうに、私も遠くまでいけたらいいのに……」
……その呟きは、よく聞き取ることができなかった。それは栃木も同じみたいで、僕と栃木は少しの間真顔で顔を見合わせていた。
「さ、着いたね、写真撮ろう? みんな」
しかし、そんな雰囲気もすぐ消し飛んで、また明るい空気が戻って来た。
少しの間橋で景色を眺めたりして、またとりあえず聖蹟桜ヶ丘駅に引き返すことにした。
駅に戻り、駅に直結している商業施設のなかにあるコーヒーショップで休憩をとる。なんなら、そこも聖地らしいのでついでに、というわけだ。
まだ少しお昼には早いし、気温が上がりきる前に終わらせてしまおう、ということである程度休んだらそのままいろは坂の方向へと歩き始めた。
「うわっ……さっきよりも気温上がってるね……」
お店を出るなり、そんな悲鳴が福南から漏れる。
「まあ、ある程度までは仕方ないよ。とりあえず進もう?」
「そうだね」
……僕は、気付くべきだったのかもしれない。もっと注意するべきだったのかもしれない。
……いや。きっと、もし仮にこの日をやり直せるとしても、僕は。きっと。
……福南の変化になんて、気付けるはずがなかったんだ。
いろは坂の前にある大栗川でまた少し撮影をしてから、本題の坂を上り始めた。
大栗川を出てから、また気温が一段階上昇した。額に少しずつまた汗が浮かび始める。僕、栃木、福南の順に縦に並んで歩いていたけど、ちょうど、公園の手前でその変化は起きた。
「彩実? 大丈夫か?」
公園手前にある横断歩道を僕が渡ろうとしたとき、後ろから栃木の声が聞こえた。それにつられて僕は後ろを振り向く。
視界の先には、アスファルトの上にしゃがみこんでいる福南の姿があった。
「彩実……?」
僕は渡りかけた横断歩道を慌てて引き返し、彼女のもとへ駆け寄る。
「どうかしたか? 疲れた?」
一緒にしゃがんで目線を合わせ話しかける栃木。その対応はどこかこなれていて、ああやはり彼女の身体が弱いのは本当なんだと、どうでもいい事実確認をしてしまう。
「ご、ごめんね……ちょっと……」
健気にそう笑ってみせ、福南はまた立ち上がり歩き出そうとした。けど。
彼女の足取りは左右にふらついてしまい、結局、歩道の脇にあるガードレールに体を預ける格好になってしまった。
その様子は、見ていられないほど弱々しくて。
「あ、彩実、無理するなって、駅に戻ろう? こんな調子の彩実をこれ以上連れまわせない」
幼稚園のときから福南と付き添っている責任感からか、すぐに引き返す提案が栃木の口から出た。
心配するように目を彼女の顔に向けたまま、栃木はじっと福南の返事を待つ。
「で、でも……」
彼女はガードレールに手をついたまま、そう抵抗の言葉を紡ごうとする。
「……そのまま外居続けて彩実に何かあったら、俺が嫌なんだよ」
けど、間に空気が入り込むことすら許さないタイミングで栃木はそう返した。
……栃木は「福南に何かあったら俺が嫌」って言った。責任が取れないとか、そういう言葉ではなく純粋に、「俺が嫌」って言った。
それは、間違いなく福南のことを想っての言葉で。
「だからさ、駅、戻ろう?」
決して、語調を強めるでもなく、諭すように。彼はそう説得し続けていた。
「…………」
福南はしばらく黙り込む。栃木も彼女の返事を待つため、僕らの間に、声は発せられなかった。
車が時折通過しては、また無音になる。それを何回か繰り返し、そして。
「わかった、戻ろう、か。……ごめんね? 迷惑かけて」
そうして、僕らは駅へと引き返し、少し涼しい場所で休んでから、家に帰った。
結局、僕はまた何もできなかったし、それに。
このときの僕は、彼女の本当の「ごめんね」の意味が、わからなかった。彼女が、一度引き返すのを拒んだ理由も。
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