第22話 溶けかけの日々、夏の終わりに。
福南と約束した、二日後の僕の誕生日。
その日は朝から唸るような暑さと青空が広がっていた。福南と栃木は夕方に僕の家に直接遊びに来るみたいなので、僕は午前中から勉強と原稿をちょこちょこ進めていた。福南が僕の家に来てから、やはり気持ちの整理がついたのか、小説の進みはある程度よくなった。まあ、酷い期間が長すぎてまだ全然だけど。
自分の部屋でラジオをつけつつノートパソコンをカチャカチャ鳴らし、画面に点滅するカーソルを左下にどんどん進めていく。
「よし……」
と、まあまあ進みに満足したところで、僕はそう呟いた。それと同時に、家のインターホンが鳴る。カメラには、福南と栃木が並んで映っていた。
「いらっしゃい、開けるね」
共同玄関のドアロックを解錠して、二人を中に迎える。少しして、もう一度インターホンが響いた。
僕はノートパソコンを閉じ、玄関のドアを開ける。
「いらっしゃい」
「うん、おじゃましまーす」
福南は一昨日会話をしたから特に気を遣うことなく家に上がった。けど、まだ鎌倉以降ぎこちないままでいる栃木は、靴を脱げないまま僕と目線を合わせて玄関に立ち尽くしている。
「こ、洸……」
少し引きつった表情をする栃木に、僕は柔らかい笑みを浮かべてこう言った。
「……上がってよ。彩実が待ってる」
「……あ、ああ……」
ようやく栃木も中に入り、僕たち三人はリビングに集まった。福南を中心にソファに腰かける。
「とりあえず、誕生日おめでとう、洸君」
「あ、ありがと……」
「で。だけど。……ちゃんと進にも説明してあげて、洸君」
「……うん」
そして、僕は俯いた栃木に顔を向き、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……進と彩実って、やっぱり仲良いだろ? ……僕から見たら、すごく、ね。……それで」
僕がそれで、と言いかけた瞬間、栃木は顔を少し青白くさせた。
「こ、洸……まさか」
僕は彼を手で制止させ、続ける。
「僕の存在が、邪魔なんじゃないかって、思って。だから」
「……俺たちと距離を、取ろうとした……あのときの言葉って──」
「まあ、彩実に怒られたけどね。はは」
「あ、洸君、私怒ってなんかないよーひどいなー」
「ごめんごめん、じゃあ懇願されたってことにする。……ごめん、進、色々迷惑かけて」
「あ、いや……俺も洸にはかなりお世話になったし、たまにはこういうことも、いいのかな……とか」
「ちょっと進、それだと洸君がたまにはいなくなったほうがいいみたいな意味に聞こえるよ」
「あ、い、いやそういう意味じゃなくて」
少し穏やかな笑みの福南と、指摘されて少し慌てる栃木。そんな微笑ましい光景を見て僕は、いったいいつぶりに落ち着いた気持ちになれただろうか。
「ふっ、進、わかったわかった、これから月一くらいでいなくなるからさ」
「あっ、こ、洸、そういうことじゃなくて」
「あーあ、進、やっちゃったー」
とまあ、三人で笑いあっているうちに、残っていたわだかまりはすっかりなくなった。こんな緩やかな日常が、とても心地よかった。
お腹が空いたね、ということで約束通り僕の家で晩ご飯を作ることにした。
残念ながら栃木は料理ができないみたいなので、晩ご飯は僕と福南で作ることになった。
「じゃあ、進はテレビでも見て暇をつぶしてて」
「そうさせてもらうよ」
すると、リビングからはテレビの音がし始めた。それを聞いて、苦笑いを浮かべ合った僕と福南は、予定していたカレーライスを作り始める。材料は昨日のうちに用意しておいた。
「僕はお米といだ後じゃがいもの皮剥いてるから、彩実は他の野菜よろしく」
「うん、わかった」
まあ、普段から料理をする同士なので、そんなに困ることはなく、スムーズに分担して作っていく。
二人で作業すると一人のときよりも倍以上の速さで終わることって結構あると思うけど料理もそうみたいで、あっという間にキッチンには美味しそうな香り漂うカレーができあがった。
「なんかいい匂いがしてきた」
リビングからそんな栃木の声が聞こえてくる。
「もうそろそろできるよー。あと少しでご飯が炊けるから、そうしたら食べよっ」
そう言う福南を横目に、僕は食器類をテーブルに持っていき並べる。すると、ソファに置かれたままの小さな紙袋がふと目に入った。
……そういえば、これ何だろう、福南が持ってきていたけど……。
キッチンに戻ると、ちょうどいいタイミングで炊飯器から聞き馴染んだメロディが鳴り響く。
「あ、炊けたね、じゃあご飯にしよっか、二人とも」
さっきまで座っていたソファの隣にあるテーブルと椅子を囲み、僕はカレーライスを食べ始めようとする。と、
「あ、洸君ちょっと待って」
僕は右手のスプーンを空中に止め、福南の方に視線を移す。
「渡したいものがあるんだ」
福南はソファに置いてあった例の紙袋を持ち、またテーブルに戻る。
「これ、進と二人で……買ったんだ」
彼女は、紙袋の中から水色の眼鏡ケースを取り出した。
「え……? これって……」
「洸君、視力落ちてないから少し迷ったんだけど、パソコンと向かいあう時間が長くなるだろうから」
「ブルーライトをカットする眼鏡、買ったんだ。度は入ってないレンズで」
「あ、合うといいんだけど……」
僕はケースを開けて、真新しいピカピカの水色のフレームをした眼鏡を耳にかける。
「だいじょうぶ、だね。うん。サイズはオッケーだよ」
そう言うと、福南はその場で少し脱力して、
「よかったぁ……サイズ合わなかったらどうしようって進と話していたんだ」
「一応、それとなく俺が春の段階からサイズを調べるようなことはしていたんだけどね。洸、眼鏡自体は持っているし」
確かに、現実でもこっちの世界でもブルーライトをカットする度なし眼鏡は一つ持っていた。ただ、しばしばその眼鏡をかけたままパソコンで寝落ちして、思い切り眼鏡とパソコンがぶつかってで眼鏡が駄目になって──で、今は眼鏡がない、っていう状況に僕と「僕」はなっていたんだと思う。そこはきっと変わらないと思うから。
なるほど、僕がこっちに来る前に下準備は進んでいたのね。
「ありがとう……嬉しいよ、大切に使う」
今までにも司から誕生日にプレゼント……もとい、ご飯を奢ってくれたりとかはあった。でも、こうやって、何かを貰える、っていうことは初めての経験で、純粋に嬉しかった。心の片隅が、ぽっと暖かくなる。
冷静になれば、こうして誰かと一緒に晩ご飯を家で食べる、なんてこともかなり久し振りなんじゃないのか。
……やっぱり、「僕」ってさ、いい友達持ったよ。
こんなに、僕のために真剣になって、笑って、怒ってくれる友達なんて、さ。
一生に一度出会えるか出会えないかの友達だよ。
「うん、そうしてもらえると嬉しいなっ」
いつか見た、春のような笑顔。ヒナゲシが咲いた。
……うん。やっぱり、君はそういうふうに笑っているほうがいい。その笑顔を一時期奪っていた僕が言うのも変だけど。
……やっぱり、笑っている君が一番だ。
高校最後の一度目の夏は、あっという間に過ぎて行った。福南と栃木とのわだかまりが溶けたあとは、原稿・受験勉強ともに捗り、充実した日々を送った。
仲は戻ったとはいえ、やはり受験生。誕生日以降、僕は二人と会うことはなかった。次に会うのは、学祭準備の聖蹟桜ヶ丘巡礼。
だから、次に会うのは八月最後の土曜日になる。
だけど……まだ苦い夏は残っていて。
例えば、カッププリンの、カラメルだけを残してしまったかのように。
例えば、長い期間冷蔵庫に放置して、ぼけてしまったりんごをかじったかのように。
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