第20話 繋ぎたい糸
それからというもの、僕は必要なとき以外家から出なくなった。
最終手段を取ってしまった罪悪感。しかし、こうしなければいけなかったんだという自己肯定。それが混ざり合って、どうしようもない気持ちになってしまう。
江ノ島の日から一週間が経った。あれから、栃木と福南とは連絡を取っていない。会ってもいない。
沈むように布団にもぐり、起きてベッドから出ても、特に何かをするわけでもなく、ただただテレビを流し見ていたり、ネットを意味もなく眺めていたり、ラジオをボーっと聞き流していたり、そんなことをしていた。原稿の進みなど、あるはずもなかった。
これでいい。こうすれば、きっと二人と一人になれる。
……ただ。
一時間に一回くらい、スマホの通知が増えている。二人からラインが送られてくるからだ。その通知を読みすらしていないから、通知は増えるばかり。
「…………」
また、通知が増えた。そろそろ鬱陶しくもなってきた。……電源切る、か。
右側面にあるボタンを長押しし、僕は、とうとうスマホの電源までも、落とした。
必要以外、外に出ないって言ったけど、さすがに買い物には行かないと食べ物が無くなってしまう。というわけで、僕はシャワーを浴びてから数日ぶりに買い物に行くことにした。
長い間陽の光を浴びないと、いざ外に出た際に外気が重く感じるのは何なのだろうか。たまに、新人賞の締め切りが長期休みと被ると、家に閉じこもってずっと原稿をやるっていうことも何回かやった。毎回外に出ると光が重く感じられる。
今、まさにそんな感覚を味わっているわけで。……まあ、理由が理由なんだけどね。
家から数分のところにあるスーパーでひとしきり買い物を済ませ、僕は川沿いの道を歩いて家に帰っていた。沈みかけの太陽が、今日最後の頑張りと言わんばかりに気温を上げてくれている。あんまり嬉しくはないけど。
「……これからどうしようかな……」
ふと、思わずそんなひとりごとが漏れた。
実際問題、僕の高校生活の中心と言っても過言ではない二人とあんなことになった。僕に栃木と福南以外に会話をする高校の知り合いはいない。「僕」にはいたかもしれないけどね。
つまるところ、このままだと、僕はボッチになる、って算段なんだ。……まあ、僕が望んでしたことだから、甘んじて受け入れるけど。
けど。……どうしたもんかなあとは、思ってしまう。
家に帰って、晩ご飯を作って食べている間も、お風呂に入っている間も、パソコンと向かい合って原稿を進めてみようとする間も、頭のなかでは、そんなことを考えていた。
……明日は、三人で練馬と中井を回る約束をしている日だ。しかし、それも気にすることもなく、僕は何もアラームをセットせずにベッドに入り、ラジオをスマホで流しながらそっと眠りについた。
次の日、僕が目覚めたのは、スマホから着信を知らせるメロディが鳴り響いたときだった。
「ん……」
もぞもぞとベッドのなかでスマホの画面を見つめ、誰からの電話かを確認する。
「……福南……か」
僕はそれだけ把握すると、またスマホをベッドの上に置き、意識を沈めようとする。
しばらくして、一度、着信が途切れる。しかし、またすぐに同じメロディが響きはじめる。
「…………」
一度、二度、三度。着信音は響き続けた。そして、そのすべてに僕は無視を決め込むとやがてスマホは鳴りやんだ。
そのかわり、鬼のようにラインが連投されて通知の数がそれはそれでとんでもないことになったけど。
……決して、既読にはしない。じゃないと、二人は諦めてくれない。
……僕が、諦められない。
〇
彩実と洸と、三人で練馬と中井を回る約束をした日。湿気と高温、東京の夏全開の八月のある日。俺と彩実は午前十時、待ち合わせの都営大江戸線の中井駅の改札前に立っていた。
「……来ないね、洸君」
改札は地下にあり、それなりに空調も効いている。別に長い時間待っていたとしても、体の弱い幼馴染が倒れる心配はあまりない。
「そう、だな……」
「……ねえ、あれから洸君と連絡取れた?」
「……いや、取れてない」
重々しく話すこの内容が、今の現実を物語っている。
「何か、洸君にあったか知ってる?」
「いや……知らない」
「どうしたんだろう、ね……洸君」
……ひとつ、心当たりはあった。
──進。頼むから早くケリをつけてくれよ。……このままだと、もう駄目なんだ
──ごめん、じゃあ、後は頼んだ
あの去り際、意味深に洸が残した言葉。
あの言葉の意味を、俺は今でも追い続けている。
「ちょっと、電話かけてみるね」
彩実は不安そうな顔をしつつ、未だ待ち合わせに来ない洸へ電話を掛け始めた。
一回、二回、三回、四回。
「……駄目、出ないよ……進」
「とりあえず、ラインだけでも送っておこうか……もしかしたら、まだ寝ているのかもしれないし」
いや、洸に限ってそんなことはないと思う。約束を寝坊ですっぽかすような奴ではないことくらい、俺はわかっている。
きっと、何か洸にあったんだ。……でも、その何かが、俺には全くもって想像がつかない。
「う、うん……そうだね……」
きっと、彩実も同じことを考えていたんだと思う。
洸はそんな奴じゃないって。
結局、俺と彩実は三十分くらい洸を待ったけど、連絡もないし、あまりこの学祭準備に時間を掛け過ぎて受験に影響も出したくないので、洸を置いて、回ることにした。
〇
進と回った練馬と中井は、前の鎌倉よりかは淡々と進んだ。楽しくないわけではない。でも、何か足りない。そんな感情がへばりついているんだ。
お昼前に始まった今回の企画は、午後三時頃には予定していた場所全てを行ききってしまった。
もし、洸君も一緒にいたら、あるいは。もう少し、長く濃い時間を送っていたんじゃないかって。思ってしまう。
「じゃあ、な。彩実」
自宅前で進と別れる。私同様、どこか冴えない顔を浮かべる彼は、彼の家へと帰っていく。
それを見届けてから、私は再び来た道を戻り始めた。向かう先はただ一つ。
洸君の、家だ。
〇
「暑いな……」
クーラーもほどほどにつけた家のなかはそれなりに暑く、僕は冷蔵庫のなかに何か冷たいものがないかを探し始めた。
「……なんもない」
昨日の買い物は、どっちかというと食料を調達する意味合いが強かったから、ジュースとかアイスとかは一切買っていなかった。
「……さすがに水道水で凌ぐのは辛いしな……」
冷蔵庫の冷気にしばらく当てられたのち、僕はパタンと扉を閉じた。
「……アイス買いに行くか」
欲望に勝つことは叶わず僕はスーパーにアイスを買いに出ることにした。のだけれど。
エレベーターを降りて、共同玄関を抜けようとしたその矢先。
「──っ」
僕は一つの影を見つけて慌てて踏みとどまった。
「な、なんで」
……家の前に福南がいるんだよ……。まずい。ここで見つかるわけには……。
今は彼女が俯いているから見つかってないけど、顔上げられたら一発でバレる。
そう思い、さっきまで思い描いていたアイスのことはきれいさっぱり忘れ僕は家のなかに戻ろうとした。が。
ズサッ。
足を百八十度回転させたときに、思わず音が立ってしまった。そして。
「……こ、洸君っ……」
待ち焦がれたかのように、彼女はそう呟いた。
時刻、午後五時。まだ沈まない太陽は、どこまでも僕たちのことを燃やそうとするみたいで。
ジワリ頬から零れた汗が、地面に落ちる。
「……今日、どう、したの……?」
ああ。一体全体どうして僕のことを放っておいてくれないのだろうか。
「……ねえ、洸君……!」
彼女がそう叫び、僕のもとに近づこうとした瞬間、僕は走りだし、マンションの共同玄関内に入ってしまう。
「あ、ちょ、ま、待って! 洸君!」
共同玄関のドアが閉まってしまえば、このマンションの部屋の鍵か、インターホンで鳴らして住人の誰かにドアを開けてもらうかしないと当然だけど建物に入ることはできない。
……とりあえず、家に戻ろう。
背中のドアガラス越しに福南を残し、僕はエレベーターを昇り、家へと戻った。
家のドアを閉め、鍵をかけホッと一息つくのも束の間。
ピーンポーン。
「…………」
インターホンが鳴り響いた。カメラで誰が鳴らしているかを確認すると、やはり福南の姿がある。
ピーンポーン。
ピーンポーン。
「……ああ、もう」
鳴りやまないそれは、僕の耳に残り続ける。
何度目かのそれで、一旦鳴り続けていたインターホンが止まる。僕はカメラの映像をチラッと見る。
……なるほど、普通に住人が通ったから一旦外したのか。
……? カメラには、今も彼女の姿が残っている。どうして、入らないのか……? 今なら建物の中に入れたのに。
そんな疑問を思い浮かべる。そして、それに答えるかのように、福南からラインが届いた。
……三桁後半にまで上った通知を既読にしていき、彼女とのトーク画面の一番下まで下りて行く。
【今、あんな形で入っても意味ないよ】
【洸君の心に、押し入るようなことはしたくないから】
「……っ……」
そして、カメラに向かって、ひたすらまっすぐな瞳を向ける福南。
【だから、お願い】
ピーンポーン。
【洸君と、話がしたい】
届いたラインに目をやり、そして視線をカメラに戻す。
「……なんで」
……どうして、君はそうやって僕の決意を簡単に壊すのだろうか。あんなにひどいことをしたのに、君はそうやって僕のことを助けようとするのか。
【洸君は、理由もなしにあんなことをするような人じゃないって、私知っているから】
「……ぁぁ……」
ようやく、というか、改めて。あの男性が言っていた意味がわかった気がしたんだ。
僕は、共同玄関のドアを、開けた。
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