第19話 切った糸

「あっ、やっと帰って来た。長かったね、トイレ。混んでた?」

 僕がベンチに戻るなり、福南にそう声を掛けられる。キラキラと輝いた瞳を、これでもかと僕に向ける。

 ……っ、駄目だ。言えるはずがない。

「あ、ああ……ごめんね。で、結局お昼はどうすることにした?」

 彩実のこと好きだなんて言えるはずがない。

「駅の近くにあるお店にしようって。しらす丼もあるよー」

「そっか、ならいいね」

 僕はそう頷き、お店に移動する二人の後をついて行った。でも。

 逆三角形は、その形をどんどん細長くさせていった。


 福南と栃木が選んだ店のしらす丼はとても美味しかった。美味しかったのだけれど、僕の感情がそれについていけず、味のわりに感動が薄いと言うか、ただ食べているだけ、そんな感じになってしまった。というか、お昼を食べている間、何を話したかを覚えていない。

 気がついたら、砂浜に立っていた。いや、本当に。

 なんか潮風が頬をこするなあとか思っていたら本当に海にいるものだから、少し驚いた。……いや、まあ、それまでボーっとしていた僕も僕だけどさ。

 波打ち際を上手いこと歩く福南と、その背中を追う栃木。そして、その数十メートル後ろをゆっくりと歩く僕。

「わーっ、水冷たい、冷たいよ」

 履いていたサンダルを片手にしつつ、彼女は寄せたり引いたりする波にそう叫ぶ。

「あんまりはしゃぎすぎるなよー」

 そんな彼女の様子を見てか、苦笑いを浮かべつつ彼が言う。

「進、くらえー」

 すると、急に立ち止まった福南は後ろを歩いていた栃木に向かって水をかけた。

「おわっ、って彩実、急に何するんだよ」

「へへへーちょっとやりたくなってねっ。夏っぽくていいでしょ?」

「……やり返していい?」

「やれーるもーんならやってみなってね」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「きゃっ、え、ちょ、進本当にやるのっ、つ、冷たいっ」

 ……あーあ。青春の一ページ始まったよ。

 僕の目の前で海水を(服を着たまま。別に何か準備をしているわけではない)かけあっている二人。……羨ましいくらい青春している。

「ちょ、あはは、冷たいって、服濡れちゃうって進」

「もう俺の服は結構濡れているんだよねー」

「進は男の子だからいいのっ」

「なんだよその理論―」

 とまあ、なんだかんだ楽しそうに水をバシャバシャやっていると、福南は栃木のさらに後ろにいる僕に声を掛ける。

「洸君もやろうよっ、涼しいよー」

「……いや、僕は……」

 いいよ。と言おうとした。二人の間に、入れる気がしない。

「洸君っ」

 俯きつつ二の句を継ごうとしていると、僕は近づいて来た彩実に思いきり水をかけられた。

「うっ……つめた……ってかしょっぱい……」

 真っ先にそんな感想が出る。さすが生命の源、海の水。……じゃなくて。

「な、何すんだよ──」

「……最近、なんか元気ないかなーって思って。……どう?」

「どうって……」

 髪から水が滴りつつ、僕は彼女と向き合う。

「……避けられてるかなーって、……そう、思っちゃったんだよね」

 心臓が跳ねる音が、明らかに聞こえた。

 ……やばい。やばいやばい。

 このままだと、バレる……バレてしまう。

「……なんだろう。夏休み入る少し前くらいから、なんか妙によそよそしいかなあって思ってはいたけど……今日ので、確信、かな。……何か、あった?」

 口が半開きになったまま、僕は言うべき言葉を必死に探し回る。

「あ、彩実……?」

 急に雰囲気が変わった福南を心配してか、栃木も近づいて来る。

「あっ、いやっ……」

 まずいって……。福南にも、栃木にもこの気持ちはバレたらいけないのに。

「ねえ、教えて。洸君。……どうかしたの?」

 視線をあちらこちらにさまよわせ、最終的に水平線へと逃がす。今、彼女と目を合わせると、抑えられなくなる気がしたから。

「こっち向いて。洸君」

 が、しかし。福南に顔を向き直されて、再び視線が合う。

 まっすぐに、純粋に。そんな形容が似合う瞳が僕の顔を捉える。

「……何も、ないよっ……」

 なんとか紡ぎ出した答えは、それだった。

「本当に?」

「……なにも、ない」

「…………」

「こ、洸……?」

「ちょ、ちょっと僕、タオルとか買いにコンビニ行ってくる──」

 この場にいたくなくて、今すぐにでも離れたくて、僕はそう切り出し歩き出そうとした。でも。

「そうやって」

 動こうとした足は、福南のその一言で止まってしまう。

「……そうやって、すぐ私と進の二人にしようとする」

「──っ」

 気づかれてる……?

「……私たちのこと、嫌いになった……の?」

「なにも、ないって……」

「何もないじゃわかんないよ! 洸君!」

 瞬間、彼女の声が、湘南の海に響き渡った。

「これまでずっと、三人でいるのが普通だった。なのに、急によそよそしくされたらそうなのかなって思うよ。それで、何もないよって言われても、わかんないよ」

「お、おい彩実、少し落ち着かないと」

「進も進だよ! なんで洸君おかしくなってるのに何も言わないの? 二人は友達じゃないの?」

 ああ、違う。違う違う。僕はこんな喧嘩をさせたかったわけじゃない。

「友達だよ。……そんな言い方しなくたって……」

「……じゃあなんで洸君のこと気づかないの?」

「そっ、それは……」

 ああ、まずい。これ以上やると、二人と一人ではなく、一人と一人と一人になってしまう。それは嫌だ。

 だから。

「もう、いいって。放っておいて、彩実」

 僕は、投げやりな口調でそう放つ。

「でっ、でもっ」

「だから、もういいって彩実」

 その声色が、多分今までで一番低くて重いものになった。

 普段そんな声を僕は出さないからか、福南は一瞬怯えるような顔つきになる。

「……ごめんね、せっかくの江ノ島だったのに」

 僕はそれだけ言い残し、二人の側から立ち去ろうとした。

「え……、こ、洸君……?」

 肩越しに、彼女の呼び止める声が聞こえる。

「ま、待って、どこ行くの……、洸君っ」

 構わず、僕は来た道を戻り、駅に向かおうとする。

「洸君!」

「ちょ、ちょっと洸」

 僕の肩に手をかけて引き留める進。僕は、彼に目一杯悲しい表情を見せつけてから、

「進。頼むから早くケリをつけてくれよ。……このままだと、もう駄目なんだ」

「何が……なんだよ」

 栃木、鈍すぎる。察してくれ。気づいてくれ。

 福南を好きなのは栃木だけじゃないってことに。

「……ごめん、じゃあ、後は頼んだ」

 そして、僕は彼の手を振り払い、また駅へと向かいだす。

 栃木、自分が今、どれだけ恵まれているか考えたこと、あるか? あんな可愛いし保護欲駆り立てる幼馴染が隣にいて、学校もそれなりに充実してる。あんな青春の一ページみたいなこともやれて、進路の問題もとりあえず解決させた。

 僕から見たら、十分すぎるほど恵まれているんだ。でも、栃木はきっとそれを自覚していない。だから、僕が発破をかけても福南に告白しない。

 ……なら、僕が今ここを去る理由にだって気づいてないんだ。

「俺は……何もできないのかよ、洸」

 何もできないんじゃない。何でもできるんだよ。その「何か」を早くやってくれ。でないと、でないと。

 僕が二人の関係をぶち壊してしまう。

 一人トボトボと向かう帰り道、やはり海水を被ったことで少しべたついてしまう。服自体は夏、ということもあり駅に向かっているうちに乾いてくれたけど、どうしてもそこだけが気になってしまう。

 ……とりあえず、家帰ったらシャワー浴びないとな……。


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