第15話 夏のはじまりに

 翌日。松浦さんの最終日。放課後は福南が病院でいないので実質昼休みが最後になる。まあ、松浦さん側にも色々あるみたいなので、放課後は図書室に来られるかどうかも怪しいみたいだけど。

「三週間ありがとうございました。色々と、いい経験ができたと思います。学校祭、図書局でも何かするんだよね?」

「はい、何か企画は立てるつもりです」

 福南はそう答える。

「そっか、じゃあ、また学校祭に来るんで、そのときはよろしくね」

「はいっ」

「……あと、そこのメンズ二人、おいでおいで」

 いたずらっぽく手招きした松浦さんは、僕と栃木を近くに呼び寄せる。

「……まあ、色々と大変だろうけど、頑張ってね。彼女、案外鈍そうだから」

「っ──」

「ああ……だってさ、進」

 わかりやすく顔を赤くした栃木は、何も言うことができないまま松浦さんのもとを離れた。僕も、動揺を悟られないように、平静を装う。

「じゃあ、今までありがとね、楽しかったです」

 そう言うと同時に、昼休み終了の予鈴が鳴る。

「あ、じゃあそろそろ教室戻らないと」

 都築先生がそう言い、図書室を閉める準備を始める。

「はい、じゃあ、また学校祭で」

「うん、学校祭で」

 福南と松浦さんはそう言葉を交わした。僕たち三人は図書室を出て、松浦さんとのひとまずの別れを終えた。

 ──彼女、案外鈍そうだから

 ……じゃあ早く告って決着をつけてくれ、栃木。

 並んで教室に戻る間、僕はずっとそんなことを考えていた。


「さて、と……」

 彼は喫茶店のテーブル席に座り、アイスコーヒーを嗜んでいた。窓から見える風景を眺めつつ、

「そろそろ、気付いた頃なんじゃないかな……」

 そんなことをボソッと呟く。

「葉村君、あのとき僕がいたことに気づいてなかったみたいだしね。……まあ、期待通りだよ。君の動きは。……やっぱり、主人公なだけあるね」

 グラスを持ち、また一口、コーヒーを飲む。

「……早いところ、気持ちを受け入れないと。……潰れちゃうよ。葉村洸君」

 かちゃりと青色のフレームの眼鏡を直した彼の呟きを、聞いている人は、どこにもいなかった。


 梅雨も明けた六月末。夏の足音が大きくなるとともに、徐々にセミの鳴き声が主張してくる。制服も冬から夏に切り替わり、身ぐるみ軽くなった通学路の足取りは……軽くはならない。やっぱり暑い。

「いや、まだ六月だよ。暑いって」

 教室で自習しつつ、そう漏らした栃木。左手に持つノートで扇ぎつつ、右手には英単語のノートが開かれている。

「だよね、太陽季節間違えているんじゃないかってくらい暑いよね」

 福南もそれに呼応して、手で自分の顔を扇いでみせる。

 一瞬、前に座る福南の白い肌の奥まで見え隠れして、慌てて視線を逸らした。

 ……駄目だからな。

 ここ最近、考えていたことを再び頭のなかで反芻させる。

 ……ぽっと出の僕よりも、長年連れ添った幼馴染のほうが、いい。僕が描くなら、幼馴染のほうを選ぶ。

「あ、そうそう。今日、学祭の企画決めるよ」

「そっか、もうそんな時期か」

 二人の会話を見守るように、口は出さずに自習を続ける僕。

「だから、今日の間にある程度何したいかは考えておいてね」

「オッケ―」

 学祭か……。そういえば、この図書局、どういう発表をしてきたんだ?

「……あ、ああ。わかった」


 学祭の企画と、福南を巡る話、グルグルと頭のなかを占める二つの話題について考えているうちに、授業は終わり、放課後になった。

「図書室行こっ、進、洸君っ」

 いちはやく教室を駆け出す福南の背中を見つめつつ、僕と栃木もその後を追う。

「なあ、進」

 教室を出る際、僕は隣を歩く彼に、そっと話しかけた。

「何? 洸」

「……多分、早いうちに決着付けたほうがいいと思うから」

「えっ、ど、どういうこと?」

「……つまりは、そういうことだよ」

 僕は足を止めた栃木を置いて、一足先に、図書室に向かった。

 図書室に入り、そのまま司書室奥のいつものテーブルにつく。栃木も少しして到着し、そのまま僕と福南のところに向かう。

「全員揃ったみたいですね。今日は私がカウンター座るんで、学校祭の企画、立てちゃってください」

「はーい。よしっ、じゃあ、進と洸君、みんな揃ったし、早速決めようか。何か案あったりする?」

「…………」

「…………」

 単純に、学校祭でどういうことをするのか、僕は思いつかなかったので、とりあえず沈黙する。

「あ、え、えーっと……もしかして、思いつかなかった?」

 僕と栃木は顔を見合わせて、苦笑する。

「ちょっと、俺らの頭では……」

「えー?」

「ご、ごめん……」

「じゃあ、私しか案ないの?」

「そ、そういうことになるね……」

 福南は、少し不満げに頬を膨らませ、しょうがないなあというようにこう続けた。

「えっと……最近、聖地巡礼って流行ってるよね? 三人でそれやらない?」

 聖地……巡礼。か。

「ここの近所も何本か舞台になったアニメあるし、それだけだとちょっと物足りないところあるから遠出してどこか行って、それをパネルにしてまとめる。まあ、図書館の蔵書にあるのだと更にいいかなーなんて、思ってるんだけど、どうかな?」

「いや……普通にいいんじゃない?」

 第一声、栃木が肯定の意を示した。

「僕も、面白いと思うよ」

 堅くもないし、別に図書局に関係ないものでもない。むしろ、ベストなのではないか、そう思った。

「二人から何か出てこないなら、もうこれで決まりでいい?」

「…………」

「…………」

「うん。わかった。もう決まりにしよう?」

 ごめん。福南。僕は過去の傾向とか知らないからもう対案とか浮かばない。だからもうそれでいいと思うんだ。

 福南は移動できる小型のホワイトボードに「・聖地巡礼」と書き込み、さらに続ける。

「じゃあさ、どこに行くかくらいまではさ、今日決めよう?」

「うーん……まあ、彩実の言う通り、とりあえず、中井の辺りは確定でやるのと……俺はそうだなあ……」

 中井駅近辺は、某有名アニメ映画の──まあ、ありていに言えば時をかける作品の踏切とか家の──聖地となっている。あと有名なのは、四月に嘘をついて始まったピアニストとヴァイオリニストの中学生の恋愛漫画・アニメとか。というかその二つくらいしかないわけだけど。……数少ない舞台が滅茶苦茶凄いビッグタイトルなのはこの際置いておく。

「俺は……練馬かなあ。中井回るなら、練馬も行って聖地巡礼は完結させたほうがいいと思うんだよね」

 補足する。後者のアニメは、中井も舞台になったけど、主な舞台は練馬なんだ。中井が出てくるのはほんのワンシーン。まあ、そのワンシーンが結構大事な場面だったから印象は強いけど。

 栃木の言う通り、練馬を回るのも悪くないと思う。

「練馬かぁ……じゃあ私は聖蹟桜ヶ丘とかいいかなあ……一回行ってみたいんだよね」

 聖蹟桜ヶ丘は、その名も知れた国民的アニメ制作会社のアニメの舞台として有名だ。他にも一週間で記憶が途切れちゃう子を巡る青春漫画や、サッカーを扱った少年漫画の舞台にもなっている。

 ……どうしてそんな舞台に詳しいのかと言われると、取材でしばしば色々なところに行くから。と答えておく。

「洸君は?」

「あー……僕はそうだな……ベタに鎌倉?」

 鎌倉に関しては説明不要だろうから、割愛します。

「鎌倉、いいなあ」

「ああ、鎌倉なあ……俺普通にあの江ノ電の踏切行ってみたいんだよ」

「踏切っ、いいねっ。私は江ノ島回りたいなー」

 僕が「鎌倉」とその名をあげた途端、二人は憧れを含ませる目でそう言う。

「よしっ。じゃあ、中井と、練馬、聖蹟桜ヶ丘に、鎌倉。ここ回ってパネルにして、それを今年の学校祭の発表にしようっか。二人とも」

「オッケ―、いいよ」

「……うん。わかった」

 太陽のように眩しい彼女の笑顔を、僕は複雑な面持ちで眺めていた。

 だめだ。一度気づいてしまったら、もう引き込まれてしまう。彼女の放つ空気が、言葉が、そのひとつひとつが、愛おしく見えてしまう。


 笑っちまうよ。これまで散々人の「恋愛」を描いてきたというのに。

 ライトノベルに恋愛要素は不可欠だ。まあ、あくまで僕の個人的な主観だけど。でも、世に出ているラノベのほとんどは、つまりはそーいう要素がある。ジャンルがラブコメでなくても、バトルものでも、異世界ものでも。つまりは、そういうことで。

 それに倣うように、僕もそんなラノベを描いてきた。

 何人もの恋を描いた。いくつかはゴールインまでいかせた。

 だと言うのに。

 いざ、自分がその場面に遭遇すると、頭が真っ白になってしまう。

 わかっている。福南を好きなのは栃木だってわかっているのに。僕に、そんな権利なんてないって、わかっているはずなのに。

 どうしても、彼女の笑顔を、明るい表情のひとつひとつを、追いかけてしまう。


「……やばい、かもな……」

 ホワイトボードに学校祭の企画を楽しそうにまとめる福南と栃木とは対照的に、僕はテーブルに肘を立てて、ただただその様子を眺めていた。


 一度気づいてしまうと恋心というものは厄介なもので、その相手の一挙手一投足が頭に残ってしまうんだ。つまりは、いつだって考えてしまう。

「……やばいな……」

 夏休みも直前に控えた日曜日の昼。僕はノートパソコンに向かいつつ、頭を抱えてそんなことを呟いた。

 やばいとは勿論原稿の進みではなく、この気持ちの処遇について。

 全くもっておさまらない。

 いや、それもこれも彼女が僕の創作を楽しみにしてくれている、っていうのが原因だとは思うんだけど。

 コップに注いである麦茶を一口呷り、カチャカチャとキーボードを叩いていく。

「うーん……」

 このままだと……栃木の邪魔をしてしまう。それはいけない。栃木を煽っておきながら僕がそれを裏切るわけにはいかない……。

 なら。

 ……一瞬、最終手段が僕の頭のなかに思い浮かんだ。

 ……僕が、あの二人と関わりを持たなくなったら、解決するんだよな……。

 でも、それはあくまで最終手段。できれば、もっと安全かつ穏便にこの気持ちに決着をつけたい。

 だから、一番いいのは、さっさと栃木が福南とくっつけばいいんだけど。……なかなか告白しないからな……栃木。

 口では誰かに取られるかもしれない、と不安がっていながら、結局まだ行動に移していないあたり、悠長だよ……。

 いつ、誰に取られるかわからないって言うのに。

 スマホで流しているラジオからは、最近流行りのJ―POPが流れている。まあ、よくある恋愛を唄った曲だ。しかしまあ、その歌詞が上手いこと僕の今の状況にあてはまるからたちが悪い。

「……っ」

 一瞬、気持ちが入ってむやみにエンターキーを強打してしまう。

 ……でも、さ……。

 栃木、はやく、はやく……はやくするんだ。


 ほろ苦い夏の始まりは、もうすぐそこまでやって来ている。

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