第2章 「こんな想い、気づきたくなかった」
第14話 潜り込んだ世界へ、手を差し伸べてくれる君に、
それから、栃木は部活に顔を出すようになったし、今まであった調子の悪さは払拭されていた。
松浦さんの教育実習期間も順調に過ぎていった。最終週は授業も任されるようになるらしい、ということでもともと忙しそうだったのがさらに忙しそうになっていた。
そして、最終日の金曜を目前に控えた木曜日。カウンターに栃木、奥のテーブルに僕と福南という定位置に収まった司書室は以前よりも活気に溢れている。
……やっぱり、栃木のいるいないで福南の元気が段違いに違う。
改めて福南のなかの栃木の存在感の大きさを計り知ることになった。
「洸君、図書だよりの原稿あがったから、今日の夜にラインで送るね」
「お、できたんだ。ありがとう」
「うん」
「俺も今週末までには終わるから、そしたら送る」
「オッケ―、わかった」
「あ、俺、今日帰りに新宿に赤本買いに行きたくて、いい?」
「進、赤本買うの?」
「……うん。ある程度目星はつけたから」
「そっか。私も参考書みたいし、いいよ。洸君は?」
そこまで話して、福南はチラッと僕のほうを窺う。
……ここで僕は行かないって言えば、二人で本屋に向かえるわけなんだけど……。
断れないなあ……。
そんなキラキラした表情向けられたら。本屋行くってだけでそんないきいきしないでよ……。
「い、いいよ。僕も行く」
「よし、じゃあ決まりだね」
放課後、僕ら三人は本屋に寄ることになった。
部活も終わり、学校を出る。梅雨が明けた東京は、夏の支度を着々と整え始め、日々その気温を上げ続けている。
「段々蒸してくるようになってきたね」
校門から、学校に一番近い下落合駅を目指して歩き始める。
「まあ、一番嫌な梅雨が終わったからいいでしょ。本が濡れる梅雨が終わって」
「それもそうだね」
「ほんと、毎年梅雨どきは彩実のうなりすごかったからな」
「そ、それは……」
学校から最寄りの下落合駅はすぐ近くにあり、五分ほど歩くと到着した。改札を抜け、ホームの先端で各駅停車を待つ。
ほどなくして電車はやって来た。座席に並んで座り、他愛無い話を続ける。
通いなれた高田馬場の街並みが窓越しに映りこむ。駅からは、現実世界で僕が通っていた制服を着た生徒が乗り込んで来た。
なんか、変な感じ……。
高田馬場駅を出て、電車は終点の西武新宿に着いた。ホーム端に位置する改札を抜けてそのまま階段を下りる。
「こうやって三人で新宿に行くの、久しぶりだね」
靖国通りを目の前に、ふと福南がそんなことを呟く。
「そうだな、三年になってからはあまり放課後にどこか寄るってことしなかったし、春休み以来じゃない?」
「うん、じゃあ、あまり時間かけてもあれだし、本屋行こ?」
「あっ、ちょ、急がなくても本屋は逃げないって彩実」
早足で本屋に向かう福南を追っていく栃木。ある種微笑ましい光景を目に焼き付けながら、僕は二人の後をついて行った。
そしてたどり着いたのは、全国的にも有名な大型チェーンの書店。エレベーターで本館の七階まで上がり、目当ての赤本と参考書を探し始める。
何も言わずに売り場に散った二人を見て、僕も適当に棚を見て回る。
まあ、あの男性の言うことを聞いていれば、僕はちゃんと現実世界の五月に帰れるわけで、だから今切羽詰まって受験勉強をしなくてもいいわけなんだけど、かといって何も勉強をしないとそれはそれで気持ち悪い。
折角貰ったアディショナルタイム、有効に使わない手はないと思う。
新品の本の香り漂う店内をしばらく回っていると、レジ袋を手に提げた福南と遭遇した。
「あれ? もう買い終わったの?」
「うん。欲しいものはあらかじめ考えていたし」
「進は?」
「もう少し見てるって」
「ふーん」
……でも、さすがにそろそろどこか別のフロアに行きたくなってきたな。
「……ねえ、ちょっと、別館行きたいけど、いい?」
「いいと思うよ。私もついてくよー」
この店舗の別館は、漫画とライトノベルを販売している。久々にそっちの棚を見たくなったので、僕はそう提案した。
「進にラインしておくね」
僕と福南は、エレベーターで一階まで降り、隣の建物にある別館へ向かった。
別館の二階にあるコミック・ライトノベル売り場に足を入れる。エスカレーターで上がったすぐのところにある、コミックの新刊コーナーがまず目に入る。
「あ、そっか、この漫画もうアニメ始まってるもんね。受験じゃなかったら見たんだけどな……」
……あ、この子、アニメも行けるクチなんだ。俗に言う雑読家ってやつなのかな。
僕は漫画のところをスルーして、ライトノベルの新刊コーナーで足を止める。六月の新刊本がずらりと並ぶそこは、僕が目指している場所でもある。
いつか、僕もここに──
「何か気になるのあった? 洸君」
いつの間にか、僕の隣にひょこりと福南が顔を覗かせていた。
「あっ、いやっ……」
僕が答えに詰まっていると、彼女は目の前にあるとある有名タイトルの本を手に取った。
「これ、最新刊出てたんだ……」
「あ、ああ。そうみたいだね」
「……うーん、読みたいけど、今そんなに読書に時間割けないし……うーん……」
面白いくらい悩んでいる福南を見て、少し笑ってしまう。
「いや、我慢しよう。受験終わったら読むんだ」
数分悩んで、彼女はそう結論を出した。
「ところでさ、洸君。小説の進みはどう?」
「え?」
何も躊躇いなしに自然に聞いてきたので、一瞬何のことかわからなかった。
「最近、色々あったから、進みどうなのかなーって。気になっちゃって」
少し苦笑いをしつつそう言った彼女は、更にこう続けた。
「洸君優しいから、他人のこと、いつも優先して、自分のやってること後回しとか考えないようにしちゃうところ、あるから……」
…………。そんなふうに、見えているんだね、君に僕は。
いや、だからと言って何か特別なことがあるわけではないけど。よく見てるなあとは思った。僕が優しいかどうかは一旦置いておいて、他人のことを優先してしまうことは自覚がある。
……実際、「僕」が描いていた小説の進みは、最近芳しくなかった。そもそも「他人」が描いていたものを別にあるプロットのデータだけ貰って引き継いで描くってだけでも難しいのに、進の件があったから、ペースは落ちていた。
「まあ、ボチボチかな」
でも、これで正直にあまりよくないなんて答えると、福南はきっと謝っちゃうだろうから、とりあえず僕はそう答えておいた。
「そう? ……楽しみにしてるね、洸君の小説」
いつもの無邪気な、影一つ入り込むことを許さない純粋な笑みを、僕に向ける。
そして。
ああ。「僕」が創作を続けられたのは、彼女の存在があったからなんだろうな。
って。
「……そういえばさ、いつか聞いてみたいとは思ってたんだけど、どうして洸君は、小説描いているの?」
一瞬、時が止まったような、そんな錯覚に包まれた。
首を少し傾けてそう尋ねた福南の顔を、しばらく見つめてしまう。
「……いや、何て言うか……」
これ、「僕」と僕とで理由が違う、なんてことないよね?
いや、大丈夫。だって、「僕」も一人暮らしをしていた。なら、きっと理由は同じ。
「僕、長いこと一人暮らししているからさ、なんか、寂しくてね。今はもう慣れたけど、そんな気持ちを紛らわせるために始めた、んだよね。自分で世界を作れば、その世界に入り込むことができるわけだし、入り込みさえすれば、一人にならなくて済む」
端的に言えば、それが理由。一種の現実逃避だった。
現実は、そんなに僕に優しくなかったから。
*
例えば、ある昼休みに教室で司と会話していたとき。
「洸、昨日の最終回見たか?」
「ああ。見たよ」
「いやー、あの作画凄かったよな、あんなに力入った絵見せられたらさ、創作意欲沸いちゃって。大変だった」
「あー僕もあの脚本の言葉回しなんか好きでさ。色々とメモっちゃったよ」
「洸ならそう言うと思ったよ、なんか洸が好きそうな言葉多いなあとか見ながら思っていた」
「……さすが司」
「褒められました」
とまあ、そんな感じで昨日の深夜アニメについて司と感想を言い合っていた。
すると。
「あれ? なんで椎名君、あの人と仲良さそうに会話してんの?」
教室の前から、女子のそんな話し声が聞こえてきた。
「椎名君、文芸部所属なんだって。だから、あの隣にいる文芸部の部員と仲良くしてるんだよ」
「え? 文芸部って、あの文芸部?」
「あれ? どうかした?」
「いや、私一回文芸部の部室チラッと見る機会あったんだけど、萌え絵? ってやつなのかなー。大きい紙にそんな絵が描いてあるやつ飾ってたり、なんか色々オタクくさかったんだよね」
「え、椎名君ってオタクだったの?」
「私も意外だよーしかも、文芸部って、そういうのを見るだけじゃなくて、描いてもいるらしいんだよね」
「ってことは、椎名君もそういうの作ってるってこと?」
「そうなんじゃない?」
「へー。……なんか、少し引いちゃうね」
それ以降は、聞くのも嫌になったので彼女たちの話し声はシャットアウトした。
……別にいいだろ。僕たちが何をしたって。誰かに迷惑をかけているわけじゃない。司だって、僕だって。
そんな、外面だけ見て気持ち悪いとか、引くとか、言うんじゃねーよ。
って、本心は思っていた。ふざけんじゃねーよって、思っていた。
でも、仕方ないのかな、なんて思っている僕も、どこかにいたわけで。
そんな交錯した思いが、ますます僕を創作の世界へと引きずり込んだ。自分の描く、ある意味理想の世界に潜り込めば、こんな思いしなくて済むから。
一人にならなくて、済むから。
*
「……そっか、そうだったんだね」
でもさ、と言い彼女は続けた。
「なら、今はそんな理由で描かなくてもいいんだね」
「え……?」
「だって。今は私と進がいるでしょ?」
ほんの僅かな時間だったと思う。鳥肌が立って、全身に毛が逆立つような、そんな感覚に襲われた。
「ね?」
「あ……う、うん。そうだね……」
自分の頬が熱くなっているのを感じた。
あれ? なんで、僕……。
「進も買い物終わったみたい。こっちに来るって」
「そ、そう?」
……なんで、僕……。
葉村洸、十七歳。人生で初めて、誰かを好きになってしまったかもしれない。
できれば、気づきたくない、感情だった。
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