第13話 溶けかけのアイスコーヒー

「……で、話って……」

 栃木は、自分の目の前にあるアイスコーヒーの氷を所在なさげにストローでくるくる回しながらそう尋ねる。

「……僕、あまり話をするのが上手くなくてね。軽く前置きとか入れたほうがいいかもしれないんだけど、単刀直入に聞く。……彩実と、何があった?」

 それって、物書き志望としていかがなんだよと思う。けど、実際僕はこういう大事な話をした経験がない。

 ……ガチな話なんて、生きていてそうそうする機会なんてない。ましてや、高校生が、同い年の友達となんて。

 目の前に座る彼は、一瞬目を見開いて口元から息を漏らす。しかし、

「……彩実から、どうせ話聞いてるだろ? その通りだよ」

 半ば投げやりともとれる口調で彼は答えた。ひっきりなしに動く手は、今は自分の頬をこすっている。

「彩実から聞いたことだけじゃ、わからないことがあったからさ、今こうして進に聞いているんだよ」

「……何?」

「彩実にだけは、わかられたくないってさ……つまりは、そういうことだよね?」

 唯一いる他のお客さんが食べているケーキの食器の音がやけに大きく聞こえる。雨音、BGM、食器の音。その三重奏が、僕たちの間に入り込む。

「……進、彩実が原因で、進路悩んでいるじゃないの?」

 瞬間、彼はテーブルの上に両手を添え、俯きながら、こう言った。

「……そうだよ」

 ビンゴ、だった。

「そろそろ……さ。わかってるとは思うけど……彩実が限界なんだ。……僕じゃ彩実を支えてやれない。進じゃないとダメなんだ。……力になれないかもしれない。保証なんてできない。話くらい、聞かせてくれよ……」

「洸には……関係ない──」

「関係ないって、なんだよ」

 間、髪入れずにそう返す。

「え……?」

 僕は、半分残ったアイスコーヒーを一口飲んで、更に続ける。

「関係ないわけ、ないだろ。進の進路は自分で決めるべきものだ。けど、その進路は周りの人間にも影響するんだ。進の親も、僕も、……もちろん、彩実にも。……頼むから、そんな簡単に一人で背負い込むな。進が痛い思いをすることで、誰かが同じ痛みを感じることだってあるんだ。誰かに話すことで、何かが違って見えることもあるかもしれない……話してくれよ。……お願いだから」

 再び、沈黙が流れる。

 そして。

「……わからなくなったんだ……俺が、どうしたいのか」

 彼は、ポツリポツリと、外に降りしきる雨のように、心にしまい込んでいた本心を吐露し始めた。

「……俺、いっつも自分の意思がないって言うのかな……彩実の様子見るのは親に頼まれたからだし、本が好きになったのは彩実に薦められたからだし、この高校入ったのも彩実と同じところ入るためだし、図書局も……全部。俺、最初進路は彩実と同じ目白情報大学にしてたんだ。ただ、この間……洸が遅刻しかけた日に、担任に呼ばれて、こう言われて……『お前の事情もわかるけど、少しは自分のために、福南のこと抜きにして自分の進路考えてみろ』って。そしたら……急に、俺って何になりたいのか、わかんなくなってさ……。仮に、このまま彩実の側にいたって、ずっと側にいられるわけじゃない。就職したら離れ離れになる。それに、もし彩実に好きな人ができて、そいつと付き合うようになったら、俺は、もう彩実にとって必要なくなるかもしれない。そう思うと、急に焦ってきて、慌てて自分が何になりたいのか考えた。でも……何もないんだ。今まで、全部人に言われて、自分の意思なんてなかった。俺に、自分の夢なんてなかった。洸も彩実もすごいなって、自分の夢、ちゃんとあっていいなって思った。……ほんと、俺、今まで彩実に薦められたものしか興味持たなかったから……」

 大体わかった。

 ふと、窓の外の景色を見ると、雨脚が弱まりかけていて、少し晴れ間が覗いていた。

「……ありがとう、話してくれて」

 できるだけ言葉の節々から棘を抜けるだけ抜くような、そんな声色で僕は彼に言った。

 自分の意思が、ない、か。

 ……いや、あるでしょ。自分の意思。でないと──

「……自分の意思がないって言ったけどさ、僕、他人に言われただけで、あんなに真面目に、人の面倒見れないと思うんだ。特に、小学校のときなんて外に遊びに行きたい時期だろ。そんな中、ずっと体が弱い彩実の隣に居続けて、それをずっとやってきた。中学生のときなんて女子といるだけでからかわれるだろ? それでもやってきた。僕には絶対できない。どこかで必ず、無理が起きて、今のような関係、できていない。ずっと、幼馴染を笑顔にし続けるなんて、できない。それが例え、彼女だとしても、できない。仮に、その幼馴染が好きだとしても、そこまでできない。……進だから、できたんだ」

 幼馴染、のところで少し進の肩が揺れた。

「そこまでやって、自分の意思がないわけないだろ」

 そして、この一言が、きっと彼に刺さった。

「…………」

「そこまでやれる奴に、意思がないはずない」

 カラン、と、氷が揺れる音が響いた。いや。それは。

「ぁ、ぇっと……」

 目の前に座る一途で真面目な彼の心をも溶かした。

「……大丈夫だよ。進は」

 小雨のなか、道にある木の葉から零れる滴が、目の前に座る彼の「それ」と重なって見えて。

「ないはず、ない」

「……ぁ、ぁぁ……」

 進は、右手で零れた涙を拭う。

「……この間、松浦さんが言ってたけど。……慌てて決める未来に、いいことはないって」

「……ぇ?」

「……慌てなくてもいいよ」

「…………」

「いつかさ、そんな経験が、役に立つって……」

「…………」

 一通り、言いたいことを言い切った僕は、残ったアイスコーヒーを一気に呷った。

「……っていうかさ」

 僕は半分笑みを浮かべる。

「……誰かに彩実取られるのが心配なら、早くくっつけばいいのに」

「ぇっ、い、いやっ……は?」

 わかりやすく表情が忙しなくなる栃木。

「……僕が気付かないとでも思った? 進」

「こっ、洸それって……」

「だから、進と彩実がくっつけば万事解決だろ」

 きっと今の僕の表情ニヤついてんだろうなー。

「ほら、少しは気分楽になったろ? コーヒー少し飲みなよ、氷結構溶けてるよ」

「あ、ああ……」

「まあ、のんびり行こうよ。今決めたってさ……焦った決めた道だから、後悔が残ると思う、って、松浦さんが言ってた」

 ふと、窓の外を見ると、さっきまで降っていた雨が、止んでいた。

「進が飲み切ったら、帰ろう? っていうか、ちゃんと、彩実に話をしないとな」

「……うん、そうだな」

「お会計ですねー、ありがとうございますー」

 他にいた唯一の、若い男性のお客さんが会計を済ませて店の外に出る。

「……で、話を戻そう。どこに惚れた? 性格か? 髪型か?」

「なっ、なんで俺がそれを洸に言わないといけないんだよ」

「小説描くのに参考になるんだよー。実際の恋バナはやっぱり役に立つし。で? どこに惚れた? 体? 顔?」

 栃木は顔を紅潮させて、答えた。

「い、いや……なんか、守ってあげたくなるだろ……それに、笑顔も可愛いし……」

「はい可愛い頂きましたー」

「なんか洸のテンションいつもより高くないか?」

 そりゃあ恋バナなんてテンション上げないとやってられないよ。人の惚気聞くんだからさ。

「そこは気にしないでいいよ。で、好きになったきっかけは?」

「……俺が貸した本の感想が、一致して話が合ったとき。……なんか、話していて楽しいなって……で、そこから。え? なんて俺こんなことまで話しているんだ?」

「まあまあ。さ、コーヒー飲んで」

「……もう飲み切るからさ、帰ろう?」

「えっ……そうか、残念だなあ」

「本当に残念そうに言わないでくれよ」

 会計を済ませ、僕は栃木の家までついて行くことにした。福南に話をするのは、早いうちがいいと思い、週をまたぐのはよくないと判断したから。

 雨上がりの濡れたアスファルト、ところどころに浮かぶ水たまりをよけつつ、僕と栃木は道を歩き始めた。


 西武線の脇を歩き続けて少し。ある家の前で栃木はその足を止めた。

「あ、彩実……?」

 柵に体を預けて立っている一人の少女を見て、彼はそう呟いた。僕もつられて視線を向ける。

「進……それに、洸君も……珍しいね、洸君が来ているって」

 福南は、僕の姿を認めると少し不思議そうな表情をしつつそう言う。僕は何も答えることなく、栃木の背中をポンと押し、福南のもとへと向かわせる。

 彼は初めこそ困惑した顔をしたけど、すぐに覚悟を決めたのか、後ろから前を向いて、きちんと目の前に立っている福南と向かい合った。

「……洸と、少し話をしてきて……彩実にも話さないといけないこと、あるから……ついてきてもらった」

「うん……」

 もうすぐ沈む夕陽が、道端に生い茂る草の露を照らし、反射する。小さなそのいくつものきらめきが目に届く。

 一瞬、眩しさで目を逸らしてしまいそうになる。しかし、きちんとこの目で彼の話を見届けないといけない、聞かないといけない、そう思い、視線を曲げることはしない。

「……俺、最初は彩実と同じ大学を受験するつもりでいたんだ。でも、この間先生に、彩実のことは考えずに進路を考えてみろって言われてさ。それで色々考えてみたけど、何もなくて。……段々焦ってきて」

 すぐそばを通過する電車にはためかされる二人の髪。それに合わせるように揺らめく草々。

「……俺、いっつもなんでも彩実に選ばせてきたからさ。いざ自分で決めるとなったときに何も決まらなくなって。……それでずるずるずるずる迷って迷って。……この間、彩実に酷いこと言った」

「あっ、いやっ、それは……」

「いいって。違わない、俺の八つ当たりだから。……ごめん、酷いこと言って」

 彼はそこまで言うと、ばっと頭を下げた。

「あっ、いいよいいよ、別にそこまで気にしてた……わけ……じゃないから」

 ……福南。それ、気にしていた子が言う台詞。

 思わず、僕は苦笑いしてしまう。

「……決めたよ。もう、迷わないって」

「……?」

「考えてもわからないから……これから自分のやりたいこと、探すことにする」

 はっきりとした声で告げたその意思は、今まで開いていた彼と彼女の距離を詰めるのには充分だった。

「す、進……」

「戻るよ、部活」

 そのページをめくった瞬間、彼女の表情は、パッと花が咲き乱れるように、明るくなりそして、花はさっきまで受けていた雨粒を地面に零した。

「よ、よかった……このままもう戻ってこないんじゃないかって……思って……」

「ぁ……いや……」

「ほんと……よかったよぉ……」

 彼の肩を両手でつかみながら、視線を落としながら、思いを吐露する彼女。

 笑っているほうが、いいよ。福南は。

 そんな感想を抱きながら、二人の様子を眺めた。

 夕焼け染まる線路沿い、涙が枯れるのに、それほど時間は必要としなかった。


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