第8話 心ここにあらず
週をまたいで、月曜日。変化は、はじめは些細なものだった。
いつもは朝から勉強をするか、本を読むかの二択だった栃木は(いつもと言っても、僕は二日間しか見ていないけど)進路の雑誌とにらめっこしていた。
「お、おはよう、二人とも」
その変化に戸惑いつつ、僕は福南と栃木に挨拶する。
「うん、おはよう洸君」
「おはよう、洸」
「……進、何かあったの?」
机にカバンを置きつつ、僕は福南の耳元でそっと尋ねた。
「うーん。わからない。なんか思うところがあったんじゃないかなーって思うけど」
栃木に聞こえないくらいの大きさの声で、そう返す。首も左右に動かし、わからないということを伝えてくれる。ふと、揺れたツインテールから微かに甘い香りが広がった。
──いや、至近距離に顔を見合わせたからか。
「っ、そ、そっか、まあ、そうだよね」
慣れない感覚に、僕は言葉を詰まらせてしまう。……いや、ほんとオタク全開だなあおい。女の子と近い距離で話すだけでこうなるなんて。……この先が思いやられるよ。
昼休みの当番を挟んで、放課後の部活の時間。三人揃って司書室のドアを通ると、都築先生の隣にスーツを着た見慣れない女性が立って話していた。
「あっ、みんな来ましたね」
先生は僕らが入ってきたことを確認すると、
「こちらが、今日から教育実習で情報高校に来られた、
そうその人を紹介した。
「はじめまして。隣の目白情報大学四年の、松浦紬と言います。司書の先生の資格を取るために、ここの図書局にも参加させていただくことになりました。三週間ですが、よろしくお願いします」
ウェーブのかかったロングヘア―を縦に揺らして、松浦さんは僕らに挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
福南がそう返したのを機に、僕と栃木も続けて挨拶をする。
「あの、松浦先生はここの卒業生なんですか?」
「うん、そうだよ。図書局にも所属していたから三人の先輩になるのかな。顧問の先生は今の都築先生と違う先生だったけど」
同性だからか、福南が人懐っこく松浦さんに話しかけている。残された男二人はそれを尻目に仕事に移った。栃木は例のごとくカウンターに、僕も隅のテーブルで私物のノートパソコンを開いて図書だよりの原稿を書き始めた。
「へぇー、今は三年生三人だけになっちゃったんだね。結構受験と活動を維持させるの大変じゃない?」
「はい、それなりには」
「じゃあ、先生ちょっと職員室に用事あるので、福南さん、松浦先生にざっとでいいから図書局のこと説明しておいてくれます?」
「わかりましたー」
そして、先生は司書室を後にした。
「とりあえず、局員の紹介だけ先にしちゃいますね」
と言って、福南は僕のもとに松浦さんを連れて来てこう続けた。
「彼が三年の葉村洸君。主に毎月の図書だよりの発行をやってもらってます」
「……葉村洸です。よろしくお願いします」
とりあえず、名乗りだけはしておく。
「今の発行者は葉村君なんだね、先月号は読んだんだ。面白い記事だったと思うよ」
穏やかな笑みを浮かべつつ、松浦さんはそう言ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
と、言うものの、先月の発行をしたのは「僕」なんですけどね。
福南は僕の紹介を終えると、カウンターで仕事をしている栃木のもとへと向かった。
「で、彼が主にパソコンの業務をこなしてくれている栃木進君です」
「よろしくお願いします」
「うん、よろしくね、栃木君」
とまあ、局内の紹介もしていった福南は、人懐っこい性格を活かして気さくに松浦さんとコミュニケーションを取り続けていた。生憎、僕と栃木にそこまでする能力はないのである意味助かったと言えば助かった。
ただ、一つ気になったのは、栃木の手元に朝読んでいた進路の雑誌が置かれていた。部活の時間はきっちり部活のことをする(まあこれも二日間での印象だけど)彼が、時間を惜しんで進路のことを考えている。それが、どうにも気になった。
といったふうに、栃木が隙間の時間を惜しんで進路のことを考え出し始めたのは、それからすぐのことだった。朝や放課後だけでなく、昼休み、あるいは授業間の十分休みのときでさえ。
次第に、栃木自身のなかでも余裕がなくなってきたのだろうか、帰り道でも会話も上の空になったり、授業中もどこか集中力を欠くような場面がチラホラ見られてきた。
その姿は、僕と被るような、そんな印象を抱かせた。「僕」ではなく、僕と。
「……最近、進、ボーっとしてること多くない? 洸君」
だからだろうか、彼と一番近い距離感でいる福南がそう言いだすのも時間の問題だった。
放課後、返却された本を僕と福南で棚に戻しているとき。
彼女は司書室に残っている栃木のほうをチラッと窺いつつ、僕にそう言った。
「色々、考えることがあるんじゃないのかな。進にも」
本を戻す手は止めずに、僕は福南にそう返す。
「うーん……朝、学校一緒に行くときもなんか心ここにあらずって感じだし、私が話しかけても生返事だけっていうのもよくあるし……」
……朝も一緒に登校? もしかして、二人は幼馴染とかですか? ……思考が単純で申し訳ないけど。
「今まで、そんなことあった?」
自然に会話を繋げつつ、僕は二人が幼馴染なのかどうかの確認のために、そう聞いた。
「今まで……うーん……そうだね……幼稚園のときからの進との仲だけど、進がそういうふうにボーっとしていることなんて、ほとんどなかったかな」
はい、幼稚園から、の文言頂きました。幼馴染ですね。
……ほとんど、なかった、か。
「進は、いつも隣で私の話を聞いてくれたし、やることなすことにもつきあってくれたしで、こんなこと、今までなかったから、なんか心配で……」
「とりあえず、ちょっと様子見よう? 進も進路で色々悩んでるらしいし」
ここにいるのが、「僕」だったら、もう少しまともなことを言ってあげられたのかもしれない。でも、今いるのは僕だ。
僕には、こんなことしか言えない。
それが少し空しくて、無力なのが、申し訳なくて。
本の香りが僅かに漂う図書室に、僕は自分が今何もできないことを不甲斐なく思うことしか、できなかった。
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