第6話 笑わないよ。笑えるわけ、ないよって君は言った。


 帰り道。僕は中井駅、福南と栃木は中井駅の近くに家があるということなので、方向は同じだった。三人連れ添って歩いていく、春の夕方。

 少し広い通りから、コンビニの脇を通って細い路地へ入る。住宅が立ち並ぶこの道は、恐ろしいほど家しかなく、目印になるものがあまりない。

「そういえばさ、みんなってもう進路希望調査って出した?」

 おもむろに、福南がそう尋ねる。

 ……出した、よな? 知らないけど、クリアファイルの中にはそんなプリントなかったから。

「うん、出したよ」

「進は?」

 栃木は何か考え込むように間を持たせてから、

「ああ、出したよ」

 と答える。

「彩実は決めた?」

「うん。やっぱり私は図書館の司書さんになりたから、その資格が取れる大学に進学かなあ」

「やっぱり彩実は昔っから変わらないよな」

「えへへー」

 隣を歩く栃木に、少し緩み切った頬を映す。それを後ろから眺める僕。

 あれ? もしかして二人って、そういう関係?

「洸君は?」

 そんなことに考えを巡らせていると、無邪気な笑みを浮かべた福南が今度は僕にそう聞いてきた。

「えっ?」

 ……こっちの僕って、進路希望何出したんだ? ……わかんない。でも、それなりに、というかかなりこの二人とは親密何だろうと思い、何も答えないのはまずいと判断した。

「えっと……」

 僕がそう答えに言い淀んでいると。

「やっぱり、迷ってるの?」

 前を歩いていた彼女が、足を止めて僕のほうを振り向いてそう言った。

「洸君、しっかりしてるからね、迷っちゃうよね」

 納得したように紡がれる彼女の言葉に、僕は困惑していた。

 え? 何? どういうこと?

「でも、洸君の小説、私好きなんだけどなあ……」

 一瞬、彼女の言ったことに理解するのに時間がかかった。けど、次第に僕の頭にその言葉は溶け込んでいって、そして。

 僕は、この世界でも、小説を描いていることを改めて理解した。そして、その作品を彼女に読んでもらっていることにも。

「洸君は、作家、ならないの?」

 目の前に立っている福南の声に、どうしようもない現実が突きつけられる。

「あ……いや、なれたら嬉しいけど……僕は、まだまだだし……」

 なりたいと思って、なれるものではない。ずっと、僕はそれを頭の片隅に置いて創作活動に勤しんでいた。それでお金を稼ぐことですら難しい、一握の砂をつかみ取るような可能性だ。ましてや、それで生きていくなんて、どれだけの人ができることだろうか。

「……普通に、大学には行くよ。……大学卒業までに、芽が出なかったら、諦めて就職するつもり」

 現実世界で考えていた思いの丈を、ここで彼女にぶつけた。

「……そっか、洸君らしいね」

 左右に降りる髪を小さく揺らし、福南は柔らかい笑みを浮かべた。

「……頑張って、だけじゃ無責任な気もするけど……、洸君がそこまで考えるような人だから、なんか安心しちゃうよ」

「うん。洸はそういう奴だからな」

 ……笑わない、んだ……。

 いや、別に笑って欲しいわけじゃない。むしろ嬉しい。でも、司は絵を描いていることを親に反対されているみたいだし、それでしばしば喧嘩になっているみたいだ。僕も、別に親から何か言われているわけではないけど、担任から進路指導とかでちょっと釘を刺されることはしばしばある。

 人と違うことをしようと思うと、それだけで何か嫌な思いをするのは往々にしてあること。

 でも、この二人は違った。

 否定もせず、無関心でもなく。

 ……こっちの僕、いい友達作ったんだな。

「笑わないよ。笑えるわけ、ないよ」

 僕の心の声が漏れていたのか、顔にわかりやすく出ていたのか。どっちかは僕にはわからない。正直、どっちでもいい。

 福南は、さっきの柔らかい表情から一転、真面目な表情を浮かべた。

「……洸君が真剣に小説描いてるのは、よくわかってるから。……そんな人を笑うなんてできるはず、ない」

 細い小道と、駅前通りが交差するところ、郵便局の前で、彼女はそう続けた。

「ね? 進」

「……ああ、当然だろ?」

 駅前通りを進んで、地下鉄の中井駅に到着した。

 ここで、僕と二人は別れることになるみたいだ。

「なんか、真面目な話で終わっちゃったね」

「そう、だね」

「じゃあ、洸君、また明日、ね」

「うん、また明日」

「じゃあな」

 そうして、僕と二人は、それぞれの家路へとついた。


 地下鉄に揺られて、一つ隣、家の最寄り駅に着いた。陽が沈むのが遅くなってきた最近は、六時を回ってもまだ明るい陽射しが道行く人々を照らしている。僕は駅のすぐ近くにあるスーパーで買い物を済ませ、そのまま神田川沿いにある家へと歩き出す。

 右手に買ったものを詰め込んだマイバッグを提げ、夕暮れ間近の街を眺めていく。行きのときは遅刻すれすれだったからあまりちゃんと意識して見ていなかったけど、やはり家の周りも現実世界とほぼ同じような建物の配置になっている。一部、細かいところがずれている、なんてことはあったけど。まあ、せいぜいコンビニのチェーンが違うとか、ラーメン屋があったところに牛丼屋が入っているとか、その程度。なんか意味ありげな空き地だとか廃墟とかはない。

 家に入り、僕はお米を炊くだけ炊いてすぐに自分の部屋に戻った。

 机に向かい、カバンに入っていたノートパソコンを起動させる。

 真っ暗だったディスプレイに、明かりが灯る。顔認証でログインも済ませ、一つのUSBメモリを差し込む。少しして、ファイルが開かれた。そこには。

 この世界の「僕」が描き上げてきた数々の作品が眠っていた。

「2017年CAノベル大賞応募作品……中学館ライトノベル大賞応募作品……ファクトリー文庫ライトノベル新人賞第三期応募作品……って、『僕』も僕と同じくらい応募してたんだな……」

 その数、二十は超えていた。

「……ネットにも上げてるし……まあ、やっぱりウケはよくない、か」

 ……僕には、司と一緒に出した漫画で一定の結果を出した。ある意味、その結果を心の支えにして今まで創作をしてきた。

 また、あのときのようなモノをもう一度作りたい、って。

 でも、「僕」には司がいない。僕が持っている過去を「僕」は持っていない。

 なのに、「僕」は、僕と同じくらい結果が出ていないのに、こうして小説を描き続けている。今の今まで描いていたのであろう進行中のワードのファイルも見たけど、最終更新日は昨日──すなわち僕がこの世界に来る直前──だった。

 つまり、「僕」は僕と違ってきっちり詰まることなく原稿を進めていたわけで。

「……なんで、自分に嫉妬しているんだよ、僕は」

 ふつふつと湧き上がる黒い感情が、今の僕の情けなさをわかりやすく示していた。

 過去の跳ねた実績が無くたって、「僕」は創作をやれている。なのに、僕は……。

「……笑ってくれたほうが、いっそよかったのかもな」

 だって、凄いのは僕じゃなくて、「僕」のほうだから。

 結局、炊飯器からご飯が炊けたというアラームが鳴るまで、僕はパソコンに向き合って「僕」の作品を読み漁っていた。


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