第4話 めくられ始めたページ
「ありがとうございました、か」
ふふっと穏やかに笑みを零しつつ、そう漏らす彼。
「……頑張れ、葉村洸君」
まるで我が子を見つめるような温かい瞳を、遠ざかっていく一枚の制服に彼は向けていた。
定期券の指示通り、僕は一つ隣の駅、中井駅で下車し、同じ制服を着た人たちの後をついて行った。
ギリギリ間に合いそうだ……。まだ歩いている人がいるってことは、遅刻はせずに済むってことだな、安心安心。
隣の駅ということもあり、以前にも中井駅の近くを歩くことはあった。けど、土地勘はないし、そもそも住宅が多い街にわざわざ歩きに行くことなんてそうそうないから、新鮮と言えば新鮮だった。
いや、まあ、世界観が違うから、っていうのはあるかもしれないけど。
と言うか、恐ろしいほど現実に似た世界ですね……ここ。
なんて思ったけど、僕が知っている中井の高校とは反対方向に歩いていくので、少しばかり現実とずれているのかもしれない。
確か、現実ではこの辺に高校は坂の上にある私大付属だけのはずだから……。
住宅が立ち並ぶ細い道を歩き続ける。通り道に小学校もあったからか、ランドセルを背負った無邪気な子供たちが追い抜く、なんて場面も多くあった。
十分ほど歩くと、車一台がなんとか通れるくらいの細い道を抜けて、二車線ある道路に出た。それと同時に、この近辺ではひときわ目立つ建物が目に入った。
「あれが……僕の通う高校か……」
前を歩いていた生徒たちは、吸い込まれるように校舎内に入って行く。僕もそれに続いて校門をくぐって敷地に入ると同時に、恐らく朝のホームルームが始まる予鈴が鳴り響いた。
「やばっ」
みんな少し早足になっていたのは時間がないからだったのかっ。
下駄箱でなんとか自分の上靴を探し当て、三年四組の教室を探すのに少し苦労したものの、遅刻はせずに教室に入ることができた。
「おはよー洸君。こんな時間に来るなんて珍しいね」
さっき男性に言われたように窓際一番後ろの隅に座ると、前に座る一人の女子生徒に話しかけられた。
「お、おはよう。ちょっと色々あって……」
えーっと、この子が……福南彩実、なのかな?
優しく包み込むような笑顔を向けつつ、どこか子供っぽさも窺わせる外見。少し茶色がかった髪に、花柄のシュシュでまとめられたツインテールが伸びている。
「ひょっとして、朝から原稿でもやってたの? それに夢中になってたとか?」
……ん? 色々確認したいことはあるけど。
僕、こっちの世界でも創作活動してるの?
で、彼女はそれを知っている……と。
僕はあまり他人にベラベラと小説描いてますとは言わない性格(現実では)だから、もしそのキャラがここでは同じだとすると、かなり彼女とは仲が良いんだろうなあと思える。
僕はこちらに振り向いている彼女の髪越しに、机の上に乗っているノートの記名を見ようとする。
見え、た。間違いない。彼女が福南彩実だ。
「悪い悪い、ちょっと先生に呼ばれてて、お、洸、今日は遅かったんだな」
「あ、進も戻って来た」
で、今僕の斜め前に座ったのが栃木進、と。
とりあえず、仲が良い友達が誰なのか、ということは把握した。じゃあ、次に僕がやるべきことは、距離感の把握か……。
「あ、あと洸、今日の数学の課題、やってるか?」
「え? あーっとちょっと待って」
いきなり危ういこと言わないでくれよぉぉ……。数学の課題って何? プリント? ノートにやるの? そんな恨み節を脳内で再生しつつ、僕はカバンの中にそれっぽいものがないか探した。……あった、プリントだ。
「ああ、やってるよ」
「まじ? ……後で見せてくれない?」
「……いい、けど」
「やった、サンキュな、洸」
「また課題やってないのー? 進は」
「いやっ、昨日は色々と忙しくて」
「そんなんだと自分のためになんないよー?」
「……ぐうの音も出ません」
そんなふうに会話が進んでいると、ホームルームの本鈴が鳴る。それとともに担任が教室に入り、朝のホームルームが始まった。
変わった先での、きっと、いつもの一日が幕を開けた。
僕がもともと通っていた高校と、ここの目白情報高校の授業のレベルにはそれほど差がなく、授業の範囲にもズレはなかったので、それほど影響はなかった。
そして、この世界での友達である、福南、栃木とは、休み時間のたびに話しかけられるくらいの仲みたいだ。ちょくちょくその授業その授業のわからなかったことを僕に聞いたり栃木が僕に聞いたりしてくる。「ここの長文、何で答えここから引っ張ってきてるの」とか、「立体ベクトルの問題解けない、教えてくれ洸……」とか。ほとんど栃木から僕じゃないか。いや、まあ福南から僕に話しかけてくることもあった。あったよ。うん。昼休みに三人で机を合わせてお昼を食べているときとか、「洸君この間の尾瀬さんの新作読んだ?」って。
尾瀬さんは今年のブック大賞で最終ノミネート作品に入った有名な作家さんで、僕もしばしば読む。どうやらこういった芸能の部分は同じようだ。
「あー、読みたいのはやまやまだけど、受験もあるし、単行本はさすがに手が出ないかな……図書館に入ったら、読もうかな、くらいの気持ち」
僕は単行本では本を買わないタイプで、文庫化してから、もしくは図書館でもう借りて読んでしまう、ってことが大体だ。今日の朝、自分の部屋の本棚も一緒に眺めたけど、やはり文庫本、もといライトノベルがほとんどで、単行本の文芸書は数えるくらいしかなかった。
「まあ、そうだよね、私も同じ感じ。三年生なってから読書量減っちゃって……」
「さすがの彩実も受験になると読書の量は減るんだな……」
頬を掻きながら微笑みを浮かべて話す福南に対し、感心するように栃木がそう頷いた。
「もー、まるで私が本の虫みたいに言わないでよ、進」
「いや、事実彩実は本の虫でしょ。年に何冊読んでるんだっけ」
「え? えっと……去年は二百冊くらいかな」
「それで本の虫じゃないって言える彩実の感性凄くね……?」
今日初めて出会ったばかりの僕が言うのもあれだけど、激しく同意する。
「まあ、今日の新刊本の選定で尾瀬さんの本選んじゃえば、図書館に入るからね、役得だよ」
「そっか、今日はその日か」
「そーだよ? 進、忘れないでね」
ああ、そういえば図書局の仲間だとも言っていたな……。
といったように、ありきたりな、と言ってはあれだけど、ごく普通の一日を過ごして、その日の授業は終わった。
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