終章

エピローグ


 それから。

 あたしは必死で勉強した。

 そして三年後、目標にしていた私立中学校に合格し、晴れて中学生になった。

 もちろん、ユウお兄ちゃんが──ううん、佑真ゆうまさんが家庭教師をしてサポートし続けてくれたことが大きい。

 パパとママはもちろん大喜びだったけど、佑真さんもすっごく喜んでくれていた。


 そして、今。

 あたしはそこの高等部にあがり、次の受験に備えて猛勉強中。

 恋? そんなの、してるヒマない。

 まあ、そもそも学校が女子高っていうのもあるけど。

 それでも周りの友達は、なんだかんだと機会を見つけて他校の男友達と遊ぶことに余念がなかったんだけどね。最初のうち、誘われることも多かったけど、あたしは基本、全部スルー。


(……だって)


 あたしには、ずうっと前から心に決めた人がいるもの。

 よそ見なんか、してる暇があるもんですか。

 それに、今はちょっとしたバイトもあるしね。


「ねえキラ。この間の案件のファイルなんだけど。あの、山本さんとこのワンちゃん探し。あれってどこにやっちゃったかしら」


 アナザー探偵事務所の所長、御崎さんが、軽く度のはいった眼鏡のブリッジを押し上げて言う。


「あー、あの青いファイルですよね。たしかここに……」


 あたしは事務所の中に積みあがったファイルの山から、そのひとつを引っ張りだす。おっと、あぶない。もう少しで雪崩なだれを起こすところだった。

 高校生が現場に出るわけには行かないけど、ここでちょっとした書類の整理とかパソコン作業なんかをするのが、今のあたしのバイトなのだ。もちろん、依頼主クライアントのプライバシーに関することにはノータッチ。

 ペット探しや買い物の代行ぐらいなら関わらせてもらえることもあるけど、基本、ここで知り得たことは守秘義務を課せられる。

 ギーナさんとガイアさんは、相変わらずパソコンこっち方面では使い物にならない。それに、ギーナさんはそろそろ現場から離れないといけないし。今のうちに、あたしがちゃんと色々できるようになっておかなきゃ。


「あ、ありがと。これこれ」


 ファイルを受け取った御崎さんの薬指には、銀色のマリッジ・リング。

 この人が正式にあのガイアさんとご結婚して、もうずいぶん経つ。仕事上だけ、名前はそのままにしているってわけ。なんだか知らないけど、御崎さんて下の名前が嫌いみたいで。実はいまだに、あたしも本名を教えてもらってないのよね。

 ガイアさんたら、あのはがねみたいな胸板を真っ白なタキシードにつつんで、「ちっくしょう、俺もとうとう年貢の納めどきかよ!」なんて言いながら、めちゃくちゃいい笑顔で軽々と御崎さんを抱き上げていたっけ。

 よくあのサイズのタキシードがあったわねー、と今でも思う。


「そろそろ、ギーナさんたちもお戻りですか? お茶の用意でもしましょうか」

「あ、そうねえ。お願いできる?」

「らじゃ」


 ちょっとおどけて額のところでぴしっと敬礼するマネをすると、あたしは小さなキッチンスペースへ。

 お湯を沸かす準備をしながら、少し大きな声でたずねる。


「あ、ギーナさんのですけど。コーヒーじゃまずいですよね? 妊娠中って、あんまりカフェインは良くなかったんじゃありませんでした?」

「あ~、そうねえ。別に煙草やアルコールほどじゃないけど。一応、冷蔵庫にノンカフェインのが入ってるはず。探してみて? もしなかったら、緑茶でもオーケー。一杯ぐらいなら大丈夫よ」

「了解でーす」


 まあ、この御崎さんがそう言うなら大丈夫かな。

 なにしろこの人、すでに二児の母だもの。男の子と女の子、ひとりずつ。子供たちはもう小学校にあがっていて、この時間は学童保育のお世話になってる。

 あたしはかちゃかちゃと、人数分の湯飲みやカップを準備した。


「そういえば、まだわかんないんでしたっけ?」

「なにがー?」

 目では書類の表面を追い、パソコンに素早く何かを打ち込みながら御崎さんが答える。

「男の子か、女の子か。いま、何か月でしたっけ」

「確か五か月。女の子よ」

「は?」


 あんまりきっぱりした答えに面食らって、あたしはキッチンスペースから顔を出した。


「もう分かったんです? お医者さんが?」

「ううん。そうじゃないけど」

「ええ? じゃ、なんで──」


 あたしの変な顔を見て、御崎さんが眼鏡の奥でいたずらっぽくふふっと笑った。


「……わ・か・る・の。訊いてごらんなさい? あの二人も、きっとおんなじことを言うわよ」

「へ、へえ……?」


 なるほど。

 要するに、これもこの探偵社の名前の由来でもある「アナザーワールド」つながりってことね。あのギーナさんのことだから、子供の性別ぐらい魔法でささっとわかっちゃうのかな。

 あたしはこれまでで、結構あっちの世界の話を詳しく教えてもらってる。とはいえ、全部ってことじゃないみたいだけど。


 御崎さんとガイアさんの結婚式は、実は二組合同で行われた。

 ギーナさんととある男性──つまり、「もと魔王様」──が、その日一緒に、同じ教会で式を挙げたの。


 とっても素敵な式だった。ギーナさんたら、珍しく大泣きしちゃって大変だったな。

 ウェディングドレス姿のギーナさん、ほんっと綺麗で可愛かった。

 もと魔王様も、とても男らしくてカッコよかったわ。

 一見とっつきにくい感じだけど、あの人、ギーナさんだけにはめちゃくちゃ優しい顔で笑う。

 そういうの、素敵だな。あの人も間違いなくイケメンよね。

 ……ま、佑真さんほどじゃないけど。当然でしょ?


 ああ。

 あたしも早く、佑真さんとそうなりたいなー。


 そう。

 今でもちゃんと、彼はあたしを待ってくれてる。

 つまり、あんな小生意気な小学生の女の子とした「ゆびきり」を、ちゃんと守ってくれているってこと。


 あの時はそれが当然って思ってたけど、佑真さんってほんと、すごすぎるわ。

 高校生になって、それなりに世間一般の男がどういう生き物かわかってきたら、余計にそう思うようになった。

 佑真さんは並みいる「肉食女」たちを斬っては捨て斬っては捨て……っていうと語弊があるけど、とにかくモーションをかけまくってくる女性たちを片っ端から断り倒してくれている。

 商社勤めをするようになって、けっこうな年収もあって。それでもって、あの見た目。女たちが放っておくわけがないのに。

 

 一度なんて、佑真さん、もう少しで上司の娘と見合いまでさせられそうになったらしい。

 あの時はほんと、気をもんだわ。あたし、まだ中学生だったし。自分じゃなんにもできなくて。

 だけど、どうにかこうにかその結婚は回避した。しかもうま~く、上司の顔も相手のお嬢さんの気持ちも潰さずに。

 実はそれ、この御崎さんたち「アナザー探偵事務所」の皆さんのお手柄でもあるのよね。


(ほんとにもう、佑真さんったら)


 ぜんっぜん、安心できないわ。

 あの日は「どうせ僕なんか、おじさんになっちゃうし」とか、「君はきっとがっかりするよ」な~んて言ってたけど。

 なに言ってるんだか!

 逆にどんどん、さらに男ぶりが上がっちゃってるんじゃない!

 そんなの、周りの女たちから虎視眈々と狙われて当然よ。

 もうちょっと自覚を持ってくれなくっちゃ。


「や~だキラちゃんたら、すごい顔。にやけて崩れまくりよ~?」


 真横からいきなり御崎さんの声がして、あたしは「ぴゃっ!?」て跳びあがった。

 あやうくカップを取り落としそうになる。


「なっ……なな、なんですか──!!」

「ユウちゃんのこと、考えてたわね~? まったく、女子高生ったらわっかりやすーい」


 あたしの手元からコーヒーの入った自分のカップをひょいと取り上げて、御崎さんがけたけたと高笑いをしながら自分の机に戻っていく。


「まったくもう……」


 油断も隙もないんだから。

 からかわれるのはいつものことだけど、ちょっといい加減にして欲しい。ほんとあたしたち、この探偵事務所ではいい玩具おもちゃにされちゃってるのよね。

 でもこれも、ちゃんとあたしたちを思いやってしてくれてること。それはあたしだってちゃんと分かってる。

 と、いつものようにドアが開く音がした。


「おう。戻ったぜー」

「おかえりなさーい」


 あたしは飲み物とお茶菓子をお盆に乗せ、二人をいそいそと迎えに出る。

 とっくに見慣れた事務所のみんながあたしを見て笑っている。

 元魔王さまも弁護士としてときどき来てくれてるけれど、まだ先輩弁護士の事務所預かりの身だ。だから基本的にこの事務所はこの面子ってことになってる。


 みんな、この人たちのお陰。

 前世も含めて色んないろんなことがあったけど、この人たちのお陰できっと、あたしたちにももうすぐ、ハッピーがやってくる。

 素敵なすてきな、ユウお兄ちゃんとのハッピーが。


 だけど。


──それはまた、別のお話。


                      了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アナザー探偵事務所~黒猫ルナとお隣のお兄さん~ つづれ しういち @marumariko508312

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ