第四章 運命の人

第1話


 二学期が始まった。

 始業式も、みんなの大問題、夏休みの宿題提出もなんとか終わって、あたしは今、ユウお兄ちゃんといっしょにある場所に向かっている。

 もちろん夏休みの間に、二人でこうすることを約束していたから。


 あたしはあの日から、この日をずうっと待ちこがれていた。本当は、もっと早くこうしたかったのよ? だけど、子供のあたしじゃちょっとムリだったんだもん。

 いくらパパとママがユウお兄ちゃんを信用してるって言っても、そんなにいつも簡単に小学生の女の子をあずけてくれるわけがない。相手は一応、男の人なんだし。ママはそこまで警戒心のないタイプでもないから。


 あのあと、あたしたちはゆっくり話をした。

 あたしの昔の記憶はあちこち穴だらけだし、バラバラでちっともはっきりしない。だけど、ユウお兄ちゃんの記憶はかなりしっかりしていた。

 ユウお兄ちゃんは、その夢の中であたし──っていうか、その奥さんだった人──のことを「キリアカイ」って呼んでるんだって。


 なんか、変な名前だなあ。

 でもあたし、それで思い出したの。

 あの時、ギーナさんがあたしのことを「キリ」なんとかって言いまちがえそうになったのを。


『じゃ、やっぱりギーナさんたちって、あたしたちの昔のことを知ってるんじゃない?』

 そう聞いたら、ユウお兄ちゃんもうなずいた。

『そうなんだ。僕もこれまで、そんなにはっきりと訊いたことがあるわけじゃないんだけど。でも時々、話の中で「あれっ?」て不思議に思うことがあってね。あれこれ考え合わせてみると、やっぱりそうなんじゃないかと思う』


 それで。

 あたしとお兄ちゃんはとうとう、あの「アナザー探偵事務所」に行って、ギーナさんたちから本当のことを聞き出そうっていうことになったの。


 本当なら、子供用のケータイしか持っていないあたしがお兄ちゃんと連絡を取り合うなんて大変なはずだった。

 でも、夏休み中にかなり勉強をがんばったことで、パパとママは二学期になってからもお兄ちゃんに家庭教師をしてもらうことをOKしてくれたのよね。これはとってもラッキーだった。

 それであたしは、「問題集の模擬テストでまた九十点以上をとったら、ユウお兄ちゃんに駅前に新しくできたケーキショップに連れて行ってもらう」っていう約束をしたってことにしたの。

 そんなこんなで、今日はこうやってつれだしてもらうことに成功したわけ。




 

 アナザー探偵事務所は、駅から五分ぐらい歩いたところの、いろんなビルがごちゃごちゃとたちならんだ場所にあった。

 はばのせまい、五階だての古い灰色のビル。大人が二人乗ったらいっぱいみたいな、ものすごくせまいエレベーターに乗って、あたしたちはそこの四階へあがった。

 ちん、と音がして入り口が開くと、目の前にすぐ、ふつうのアパートみたいな鉄のドアがある。見上げると、ちょうどのぞき穴のある場所に「アナザー探偵事務所」って書いた金属のプレートがぺろんとさがっているだけだった。

 本当にここなのかしら。

 なんとなく、ものすごーくテキトーな感じ。

 お兄ちゃんがドア横のインターホンを押すと、すぐに「はあい」って女の人の声が答えた。たぶん、ミサキさんだろう。


「いらっしゃーい。なに飲む? アイスティーがいいかしら。まだまだ外は暑いもんね。キラちゃんはジュースがいい?」


 思った通り、出てきたのはミサキさんだった。今日はブラウスと紺のタイトスカートだ。

 部屋の中は、小さなアパートみたいな感じだった。もとはリビングだったらしい部屋に、事務用の机やいす、たなや観葉植物なんかがぎゅうぎゅうづめに置いてある。たなのガラス戸の中には、いろんなファイルがつめこまれているのが見えた。

 そんなせまい所に、一応お客さん用らしいソファセットが置いてある。


 ソファはなんとなく表面がすりきれて、あんこみたいな変な色。もとは何色だったのかもわかんない。ひょっとして、そこらへんのゴミ置き場から拾ってきたんじゃないかしらって思うような感じ。

 ミサキさんは「まあ、座って座って」ってあたしたちをそこへ座らせ、鼻歌なんか歌いながらグラスに飲み物をいれて持ってきた。向こう側にキッチンがあるらしい。


「ごめんなさいね。さっき、急な仕事が入っちゃって。あとの二人はちょっと出てるの。簡単な仕事だし、すぐに戻ってくるはずだから。食べて、ちょっと待っていて?」


 お盆にのせて一緒に持ってきたフルーツゼリーをスプーンといっしょにあたしたちの前に置きながら、ミサキさんがにこにこ笑う。


「ありがとうございます。いただきます」


 あたしはちゃんとひざで両手をそろえてぺこりとおじぎをし、すぐにいただくことにした。だって、こういうのは冷たいうちがぜったいにおいしいもん。

 さっそくスプーンですくって口に入れると、本物の桃がごろごろ入ったフルーツゼリーが、暑さで悲鳴をあげていたのどの中につるんっとすべりこんでいく。


(あ~、おいしい!)


 そんなにあわてて歩いてきたわけでもなかったけれど、外はだいぶ暑かったから。すっかり汗もかいちゃったし。

 ひんやりとクーラーのきいた部屋の中は、ほんと天国。

 うれしくって、つい足をぱたぱたさせちゃう。

 そんな感じで、あたしがうっかり目的を忘れかかっていた時だった。がちゃりとドアが開く音がして、どやどやと誰かが入ってくる気配がした。


「うひー。あっつ。『九月からは秋』って、あれぜってーウソだし。これじゃ真夏と変わんねえって。ニホン、まじでうぜえ」


 あれっ?

 男の人の声がする。


「大の男が、いちいちごちゃごちゃうるさいんだよ。今日はお客様がいるんだよ? 子供の前で恥ずかしい真似はやめておくれ」


 あ、うん。

 もうひとつはまちがいなくギーナさんの声ね。

 そう思いながら部屋に入って来たふたりを見て、あたしはぎょっとして固まった。

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