第二章 アナザー探偵事務所

第1話


「あの。ありがとう、ございました……」


 あたしはユウお兄ちゃんの家のリビングでルナを抱いて、お姉さんに頭を下げた。


「えっと……いくらですか? あたし、これだけなら──」

 テーブルの貯金箱を指さしたら、外人のお姉さんはふふっと笑って片手を上げた。

「いいんだよ。その子はこっちが、たまたま見つけて保護してただけだから。首輪だってつけてるし、どこかの迷い猫なのは確かだったし。依頼されたわけじゃないものを勝手に届けに来ただけで、おあしなんざいただけませんわ、お嬢ちゃん?」

「でも──」


 「オアシ」って何かしら。まあ多分、お金のことよね?

 外人だと思ってたけど、すっごく日本語はきれい。どこにもたどたどしいところがない。

 でも、あたしを「お嬢ちゃん」呼ばわりするのはちょっとむかつく。あたし、見た目はこうでも中身はそんなに子供じゃないんだから。失礼しちゃうわ。

 これが「こんな子供からお金なんてとれない」っていう意味なら、それはあたしをバカにしてるってことだし。

 あたしはお姉さんに貯金箱を突き出した。


「そんなのダメ。ちゃんとお金は払います」

「いいって言ってんでしょ? じゃ、あたしはこれで」

「あ、そんな」

 女の人があっと言うまにドアの方へ行きかけて、ユウお兄ちゃんが慌てた声を出した。

「せっかくですから、お茶ぐらいは召し上がっていってください。もう淹れてるので。ちょうど、お茶菓子もありましたし。ね? 少しぐらい、いいでしょう?」


 ユウお兄ちゃんが何回も引き留めて、お姉さんはちょっと困ったようにあたしを見た。けど結局、「仕方がないね。ちょっとだけだよ」と、すすめられるままソファに座った。

 この人は「ギーナさん」っていうらしい。

 八年前に日本にやってきて、日本人の知り合いと一緒に「アナザー探偵事務所」を作って、この仕事を始めたんだって。

 最初は本当になんでも屋みたいな感じで、いろんな雑用とか、今みたいに迷子のペットや人さがしを中心に仕事していたらしい。

 今は一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんが増えているから、「手が届かないのよ」って言うおばあちゃんの代わりに電気をつけかえてあげたり、落ちたブレーカーをもとに戻してあげたり。たくさんの重い買い物をするときには手伝ってあげたり。

 近ごろでは、そんなことさえ立派な仕事になってしまうんだそうだ。


「ま、そんなこんなでさ。幸いすぐに仕事が軌道に乗ってさあ。今じゃ、ちょっと言えないほかの仕事なんかも、色々とね」

 ギーナさんは軽く片目をつぶってみせた。

「所属してる人間も少ないし、それでなんとかやってるってわけ」


 ユウお兄ちゃんの淹れた緑茶をそうっと飲みながらにっこり笑う。

 ほんっとうにキレイな人だ。体じゅうから、色っぽい香りみたいなのがあふれ出してるみたい。

 でも、不思議と危ない感じはしない。つまり、ユウお兄ちゃんを取りあげられそうな感じは、ってことだけど。


(……あ、そうか)


 多分この人、もう大事な人がいるんだわ。

 子供だけど、あたしだって女のカンぐらいは持ってるもの。そのぐらいはわかっちゃう。

 ギーナさんはギーナさんで、ユウお兄ちゃんの隣に座ったあたしをじっと見て、なぜか嬉しそうにちょっと笑った。


「キラちゃん、だったね。ユウちゃんとは仲良しそうだね?」

「え? ……あ、うん」


 思わずそう言っちゃってから、かっと耳のところが熱くなった。

 まったくもう、あたしったら。「うん」だなんて、なんて子どもっぽい返事!


「はい。お隣同士で、ずっと仲良くさせて頂いてて。家族ぐるみでなかよしなんですよ。ね? キラちゃん」


 もうっ! ユウお兄ちゃんまで。

 そういうの、今いらないの。

 あたし、「家族同士で仲がいいです」とか言われたって、ちっともうれしくなんかないんだから。

 思わず頬をふくらませていたら、ギーナさんが「あはっ」と笑った。


「それはそれは。二人が平和で何よりだよ。……どうかそのまま、ご家族みなさんで仲良くね」

「え?」


 何かしら。

 なんとなく、意味ありげな言葉だなあ。

 こっちを見ているピンク色の目も、ものすごーく意味ありげ。

 そう思ってたら、ギーナさんはもう立ち上がっていた。


「それじゃ、お邪魔したね。お茶をありがとう」

「いえ。どうぞいつでもいらしてください」

 ユウお兄ちゃんがにっこり笑うと、ギーナさんはいたずらっぽい顔になった。

「嬉しいけど、遠慮しとくよ。こっちにも妬く人がいるもんでね。……どうやらそちらにも、みたいだけど」

 目線がちらりとこっちにやってきて、あたしは「ええっ?」とあたふたした。

 ちょっとちょっと。いきなり何を言い出すのよ、このオバサン!


「え……? ギーナさん、それって」


 ああ、良かった。ユウお兄ちゃんはきょとんとしてるだけだわ。なんにも分かってないみたい。

 あたしはギーナさんに置いていかれないように、慌ててすぐに立ち上がった。スリッパにじゃれついていたルナを抱き上げて、ギーナさんを追いかける。


「じゃ、あたしも帰る。ルナのこと、おばあちゃんに言わなくちゃ。またね、ユウお兄ちゃん!」


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