出会い、めぐり、今となり

「はあ……らのちゃん、緊張する。お、おはらのー……ううん、違うかな。もうちょっと明るめに。おはらのー!」

 私、軽野鈴かるのべるは、今とても緊張している。

 今日はらのちゃんとオフラインコラボをする日だ。

 本山らの。ここ、バーチャル世界でYouTuberをやっていて、狐で、とっても可愛くて、そして。


「私の、大切な……」


 ふと、待ち合わせにしているバーチャル書店を見上げると、数年前の記憶が自然と甦ってくる。

 らのちゃんと初めて出会った、あの日……。


 * * *


 その日、私は学校帰りにバーチャル書店に来ていた。

「今月の新刊は……あった。良かった、入荷してた」

 この春、高校に入学した私はライトノベルにどっぷりとハマっていた。

 私のライトノベルとの出会いは、友達が読んでいた一冊の本だった。

 パッと見だと、まるで漫画のような表紙。しかし少し読ませてもらった中身は時々挿絵があるものの基本的に文字だけで、小説そのものだった。

 漫画と小説。両者の良いとこが合わさったようなライトノベルという本は、私をラノベ読みへと一気に引きずり込んだ。

 今では自分で新刊の情報を調べて買ったり、好きな作品を周りの友人に薦めたりもしている。

 ライトノベルは基本的に若者向けな作品が多いため、普段はゲームで遊んだり漫画を読んだりする子でも、ライトノベルを薦めれば読んでくれる子はいた。

 そう、読んでもらえる。裏を返せば、積極的にラノベを読む子はほとんどいなかった。


 ラノベを読んでくれる友達はいるけれど、ラノベ読みの友達はいない。


「薦めれば読んでくれるのはもちろん嬉しいけれど……やっぱりラノベ読みのお友達も欲しいな」

 そんなちょっとした悩みを抱えつつ、私は新刊コーナーに並ぶ色鮮やかな表紙を眺めていた。

「うーん、あらかじめ買う本は決めてきたけど……こうして表紙を見ているとどれも欲しくなっちゃう」

 そうして私が予定外の購入に財布の紐を緩めるか緩めまいかを悩んでいると、横から細くて白くい腕が伸びて、私が買おうか悩んでいた本をひょいっと手に取っていった。

 隣を見ると、そこにはランドセルを背負った女の子がいた。

 肩よりちょっと下くらいで綺麗に切り揃えた綺麗な黒髪に、大きな丸眼鏡を掛けた女の子。

 彼女の腕の中には先ほど手に取った本以外にも、二、三冊のライトノベルが抱えられている。

 この子も、ライトノベルを読むのかな?

 いや、ひょっとしたら漫画と間違えて買おうとしているのかもしれない。

 その可能性もあることを考えて、私は親切心で注意をしてあげた。

「あの、その本……ライトノベルと言って、漫画じゃないですよ」

 すると女の子は、こちらをちらりと見て私に言った。

「えっ、と。はい、大丈夫です。わかってます。私はライトノベルを読みたいので」

 ライトノベルを読む小学生の女の子。もちろん世の中にはいないことはないだろうけど、いざ目の前にするとちょっと驚く。

 女の子は困った顔で「あの、もういいですか?」と聞いてきたので、買い物の邪魔をしてしまったことを謝ると、女の子はレジへと向かっていった。


 ライトノベル一冊は、大体安くても六百円前後はする。

 なので、それを一度に数冊買うというのは、高校生の私にとっては結構手痛い出費なわけで。小学生ならばなおのこと大金である。

 もっと他に使い道があるお小遣いを、あえてライトノベルに使う。それはきっと、彼女が他の何よりもライトノベルが好きだからなのかもしれない。

 ライトノベルを読む女の子。

 ううん、違う、きっとあの子はだ。

 お話がしたい。

 そう思うと居ても立っても居られなくなった。

 店内を軽く見渡すと、女の子はちょうど会計を終えてお店を出て行くところだった。

「あっ、待って!」

 私も急いで購入予定だったラノベを買い、お店を出た。


 右を見て、いない。

 左を見て……いたっ! 声が届かないぐらい遠くに行ってしまったけれど、走ればまだ間に合う。

 私は筆記用具とライトノベルが数冊入った通学用のカバンを脇に抱え、全力で彼女を追いかけた。

 ここで彼女とお話をしなければきっと後悔する。なんの根拠もないけど、直感がそう告げていた。

 時間にすればほんの数秒だったけど、女の子に追いつくために全力で走った私は、不審者よろしくはあはあと息を切らしながら女の子に話しかける。

「あっ、あのっ! はあ……ちょっと、まっ、待って……もらえ、ますか? ふう……」

「あ、さっきのお姉さん」

 女の子は私に気づいて振り返った。

 息を荒くして女子小学生に近づく女子高校生という図は、それはそれはとても怪しかったのだろう。気づけば周囲の視線を少しだけ集めてしまっていた。

「大丈夫ですか? この先に公園があるので、そこのベンチで休みながら話しますか?」

「そう、してもらえると……助かり、ます……ふう」

 普段からもっと運動しておかないとなあ。


 公園のベンチで並んで座った私と女の子は、改めて自己紹介をした。

「急に引き止めちゃってごめんね。私、軽野鈴と言います」

「いえ、大丈夫ですよ。あっ、私は本山らのと申します」

 女の子、らのちゃんは嫌そうな顔一つせずに名前を教えてくれた。

 いきなり知らない人に名前を教えるという無警戒っぷりを注意した方がいいのか、信頼してくれたと受け取って良いのか複雑な気持ちだった。

「えっと……らのちゃんは、ライトノベルが好きなんですか?」

「はい、大好きです」

 即答だった。悩むことなく。

 まるで「あなたは人間ですか?」「はい、人間です」という問答をしたかのようだった。

 らのちゃんも「何故、そんな当然なことを訊くの?」という顔をしている。

「さっきちらっと見ちゃったけど、ライトノベルを何冊か買ってましたよね? それ、結構高かったんじゃないですか?」

「そうですね。今月はなかなかに手痛い出費でした。でも、今月にどうしても読みたい作品の続きが出るとわかっていたので、お小遣いを貯めてなんとか買うことができました」

 そう言ってらのちゃんは、先ほど購入したライトノベルが入っている袋を大事そうに抱えた。

 今のちょっとしたやりとりだけでもわかる。この子は、本当にライトノベルが好きなんだ。

 私は彼女ともっとライトノベルについてお話がしたかった。

 私が求めていたラノベ読みの友人。彼女となら、その関係になれるだろうか?

「あの、らのちゃん。よかったら、私と……っ!」


 ――友達になってください。


 その一言が、私の口からは出てこなかった。

 ラノベ読みの友達が欲しくて、小学生に友達になって欲しいとお願いする高校生。

 周りから見たらどう思うだろうか。いや、周りの目なんてこの際どうでもいい。

 よりも。

 見ず知らずの高校生に呼び止められて、いきなり「友達になって欲しい」などと言われて、らのちゃんを困らせたりしないだろうか。

 もし拒まれでもしたら……。

 そう考えると、言いたかった言葉は自然とお腹の中へと戻っていった。

「ううん、なんでもないです。引き止めちゃってごめんなさい。お話はそれだけです。ありがとう。それじゃ」

「あ、はい。それじゃあ、失礼します」

 ぺこりとお辞儀をして、公園を出て行くらのちゃん。

 私も彼女の後を追うように公園を出て、らのちゃんとは逆方向に歩き始めようとする。


『おはらの! 本山らのです!』

『こんばんはー! 軽野鈴です!』


 ふと、誰かの声が聞こえた。

「……?」

 そっと後ろを振り返ってみたが、そこには家に向かって『とぽとぽ』と歩くらのちゃんの姿があった。

「あれ? なんか今、声がしたような……」

 気のせいだろうか。

 そう思って首を傾げていると、今度は声だけはなく、見たことのない光景が頭の中に広がった。

「――っ!」

 その光景の中では、大人になった私と長い黒髪の女性が、先ほどの書店で仲良さそうにライトノベルを買っていた。

「これは、私と……らのちゃん?」

 私はもう一度振り返ってみたが、既にそこにらのちゃんの姿はなかった。

「……」

 もし、今見えた光景が私の妄想などではなく、このバーチャル世界における未来予知のようなものであるならば。

「また、逢えるよね」

 もし、私とらのちゃんが大人になっても一緒にいるのであれば。

「そのときは――」


 ――私とお友達になってもらえますか?


 * * *


 あれから季節はめぐり、私は社会人となり、らのちゃんは大学生となった。

 ひょんなことからYouTuberとして活動するらのちゃんの存在を知り、Twitterでお話しさせてもらったり、コラボ配信を行ったりしてきた。でも直接会うのはあの日以来だ。

 お互いに自撮り画像をアイコンにしているため、大きくなった姿を見て驚くと言うことはないだろうが、いざ会うとなるとやはり緊張してしまう。

「前髪、変じゃないかな……」

 昨日、気象庁が梅雨入りしたことを宣言していた。この時期になると髪がうまくまとまらなかったりあっちこっちに撥ねたりするため本当に嫌になる。

 私は書店の窓ガラスに映る自分を見て、身だしなみをチェックする。

 昨日は早く寝たけど、目の下にクマはできてないよね。

 服は変じゃないかな。もうちょっと大人っぽい格好をしてきても良かったかも。

 このアクセサリーももうちょっと控えめなのにしたほうが――


「べーるちゃんっ!」


 聞き慣れた声で名前を呼ばれた。

「お待たせしました。えへへっ」

「らのちゃん……っ!」

 振り返ると、らのちゃんがいた。

 肩より辺りで切り揃えた黒い髪に、チャームポイントの大きな丸眼鏡。

 Twitterにあげている画像よりも迫力のある胸。

 年上の私よりも身長が10cmほど高いと聞いていたのでちょっとヒールの高い靴を履いてきたけれど、らのちゃんの履物もそれなりに高さがあったため、やはり身長差はある。でも、これぐらいの差が落ち着いてちょうどいい。

 人の姿に化けているため、耳や尻尾が見られないのはちょっぴり残念だ。

「今日はオフラインコラボということですが、配信までまだ時間がありますよね。せっかくですし、ちょっと覗いていきませんか?」

 そう言ってらのちゃんは、目の前の書店へと目をやる。

「いいですね、そうしましょうか!」

「それではいざ、参りましょう! なんて言ったって、今日は電撃の発売日ですもんね。鈴ちゃんは何を買いますか? 私はですね、ポストアポカリプス百合グルメに、シコルスキに、モン嫁に……」

 そんな話をしながら二人で書店へと入っていった。


 あの日言えなかった願いを、改めて口にしなくてもこうして叶えてくれる。


 ありがとう、らのちゃん。


 ありがとう、私の大切大好きな友達。

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