新しい服を着て

 ワンピースを着るように言われたのは、買ってから二週間後のことだった。

 やっと着られる、と喜んだのも束の間。


「今日はきちんとお化粧をしていくんですよ」


 いつもなら言われない台詞に眉を寄せた。そもそも私に「似合わない」と言ったのはレオナたちだ。


「今日は事情が違うんです」

「だいたい俺たちが“似合わない”って言ってから、何年経ったと思ってんだ」

「今日はやれ」


 例によって理由は教えてもらえそうにない。

 ……まぁ、いいか。

 べつに化粧が嫌なわけではない。似合わないと言われていたからプライベートのときはしなかっただけだ。


「毛穴をしっかり隠すんですよ。もういい年なんですから」

「……わかったよ」


 ぐさりとくる言葉を受け、会社に行くときより丁寧に下地を塗る。


「あとは睫毛を上げて……、口紅はオレンジのがいいですね」

「そうだな。あと、髪はしっかり梳かしていけ」


 マスカラは止められた。チークは薄く乗せるだけにしろと言われた。

「化粧はしろ。気合いは入れるな」とでも言われているかのような指示に疑問を覚えないわけではないが、例によって理由は教えてもらえそうにない。

 言われるままに身なりを整え、なんとか約束の時間に遅れないように家を出た。


  ~*~*~*~


「ごめん。待った?」


 約束の時間には間に合ったが、すでに彼氏の姿があった。


「ううん。今来たとこ。――そんなに焦らなくても」


 姿を見つけてから走ってきたので、軽く息が上がっていた。

 彼氏が苦笑しながら、労るように私の背中を叩く。

 その優しい刺激に甘えながら呼吸を整えていると、ふと、彼氏の足が目に入った。


「――あれ? もしかして新しいズボン?」


 コートで隠れているので確信はなかったが、彼氏は少し照れ臭そうに、

「うん、そう」

 と言った。

 私が新しいワンピースを着てきた日に彼氏も新しい服を着ているなんて、凄い偶然だ。

 ――いや、もしかしたらレオナたちが様子を探って合わせたのかも。

 そう考えればワンピースを着る日を指定してきたことも納得でき…………ない、な。わざわざそんなことをする理由はない。

 かといって、ただの偶然ではないような気がする。


 なんだろう……。


 小さな引っかかりを感じたが、ここで鏡を開くわけにもいかない。それに、教えてはくれないだろう。


「行こっか」


 彼氏の言葉に促され、小さな引っかかりはとりあえず忘れることにした。


  ~*~*~*~


 やはり、なにかおかしい。

 しばらく一緒に歩いていて、そう思った。

 服のこととは別に、彼氏がおかしい。

 どこか上の空というか、そわそわしているというか……。


「どうかした?」

「え!? いや、なんでもないよ!?」


 ならば何故、声がうわずっているのだろう。


「やー、今日は天気がいいね」

「そうだね」


 そんな会話もすでに三回している。

 まだ会ってから二時間も経っていない。しかも今は建物の中だ。


 繋いだ手も、気のせいか湿っている。暑いわけでもないのに。

 ショッピングモールを歩いているというのに、店に顔を向けるだけで品物には意識が向いていない。

 このお店を見たい、と私が言っても、反応がワンテンポ遅れる。

 こんなことなかった。それなりに長い付き合いだが、一度もなかった。



「――なにか知ってる?」


 トイレの個室でそっと鏡を開いたが、教えてもらえなかった。


「もうすぐ、わかりますよ」

「今日は大目に見てやりな」

「嫌われたわけじゃないから安心しろ」


 ファルクとジルの言葉は意味すらわからない。


「もしかして、この服と関係ある?」

「もうすぐ、わかりますよ」


 同じ言葉を繰り返された。

 あまり長く個室に留まるわけにもいかない。ため息を落としながら、鏡を閉じた。


  ~*~*~*~


 昼食のために入ったお店でコートを脱ぐと、何故か慌てられた。


「……どうかした?」

「え!? いや、可愛いの着てるな、と思って」

「……ありがとう」


 嘘だ。そんな驚き方じゃなかった。一瞬だけど、顔色が変わった。どんな反応するかな、と思って見てたから間違いない。


「あの……誰かになにか聞いた?」


 こちらを窺うような質問も引っかかった。


「なにかって?」

「いやっ、聞いてないならいいんだ。ただ、今日はお化粧もしてるし可愛い服着てるから……」


 確かに、いつもよりはお洒落をしているとは思う。

 だが、それがどうして「なにか聞いた?」に繋がるのだろう。

 私はなにも聞いていない。ただ、説明の一切ない助言に従っただけだ。


 不思議に思いながらも、追求は避けた。

 今日は大目に見てやりな、というファルクの言葉を思い出したからだ。

 なにかあるのだろう。なにか。なにかはわからないけど、きっともうすぐわかる――


「……達馬も、かっこいいの着てるね」


 下だけでなく上も新しいシャツであることに気づき、話を逸らすためもあって、そう言った。

 いつも着ている服より幾分物が良さそうだが、どうしたのだろう。


「あ、うん。ありがとう。今日はちゃんとしなくちゃと思って」

「……今日“は”?」


 訊き返すと、明らかに「しまった」という顔で口を押さえた。

 十数秒、そのままの格好で固まったあと、諦めたように口から手を離す。


「食後にしようと思ってたんだけど……。

 とりあえず、注文だけ済まそうか? お店の人に迷惑だし……」


 こちらを窺いながらの言葉に頷いてメニューを開く。

 気にはなるし、すぐにでも教えて欲しいのだが、確かに注文もせずに話していては迷惑だ。

 ざっと目を通しただけで注文を済ませ、再度彼氏に向き直る。

 同じパスタにした彼氏は目が合うなり「ごめん」と頭を下げた。


「もっとかっこよくきめようと思ったんだけど……」


 言いながら、鞄から小箱を取り出し、ぱかっと開く。

 小さなダイヤが三つ、きらきらと輝いていた。


「――僕と、結婚してください」


 深呼吸の音に顔を上げると、緊張した声と真摯な瞳が真っ直ぐに向かってきた。

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