服を買いましょう
年が明けて十日ほどが過ぎた頃だろうか。
会社から帰ってきた私は、暖房をつけて服を着替えてから、刺繍の施された鏡を取り出した。
いつもなら「ただいま」と告げて鏡台の上に置き、夕飯を作り始める。
しかしその日は、鏡を開くと同時にレオナが話しかけてきた。
「和花。次の休みに服を買いに行きましょう」
「次の休み? なんで?
彼氏とデートだと告げると、小さく舌を打つ音が聞こえた。レオナだとしたら珍しい。
「行き先は決まってないから、買いに行ってもいいけど……」
なんだか機嫌が悪くなったようなのでそう言ったが、「それでは意味がありません」と返ってきた。こっちは意味がわからない。
「空いている休みはありませんか? この先一ヶ月以内で」
「そんなこと言われても……休みの日は基本的に達馬に会うし……」
平日には連絡が来ることさえ滅多にないが、その代わりに土日は必ずと言っていいほど会っている。
それはレオナたちも知っているはずなのだが、なぜだか空気中のイライラ感が増した。
「用事があるって言えば空けられるよ……?」
一日くらい、と思ったのだが、レオナの声は尖ったままだった。
「それでは意味がありません」
先ほどと同じ台詞だ。そしてやっぱり意味がわからない。
「あのさ、さっきから“意味がない”って、なんなの? だいたいなんで服がいるの?」
いいかげんこちらもイライラしてきて訊いてみたが、返答はなかった。
ただ空気中のイライラ感は、すぅーっと消えていった。
「……すみません。和花に不快な想いをさせては本末転倒ですね」
何故ここで本末転倒という言葉が出てくるのだろう。
何故こうも簡単にレオナは謝ったのだろう。
そもそも――
「不快な想いなら、いつもしてるけど……」
それを何故、今回に限って謝るのか。
そう突っ込むと、「それはさておき」と流された。
「服については少し考えてみます。どうぞ夕食の準備をなさってください」
だからなんで服がいるの!?
投げた質問には「内緒です」としか返ってこなかった。
~*~*~*~
金曜日、帰って来るなり「服を出してください」と言われた。
「疲れてるんだけど」
「ですから金曜日まで待ちました」
一応は気を遣ったと主張され、諦めて従うことにした。
「部屋着はいりません。外出用のものだけで……あぁ、その服はサイズが合っていないので出さなくていいです」
クローゼットから出そうとしたら止められたが、レオナはわかっているのだろうか。
「サイズの合っている外出着なんて三着くらいしかないんだけど……」
なにしろレオナたちと話せなくなってから増えた体重が、再会してから減っていった。ストレスや物足りなさで口にしていた菓子類を食べなくなったからだ。
標準体重を少し超える辺りで落ち着きはしたが、それでもスカートのウエスト部分には腕一本が軽く入るくらいの隙間ができる。
体型をカバーできる、という売り文句のチュニックでさえ、ぶかぶかすぎてみっともなくなってしまった。
仕方なく買い足したのが、上三着、下二着。
スーツも買い直さなくてはいけない状況で、それ以上買う気にはなれなかった。
つまり、レオナの条件に合う服はそれだけだ。
探すほどのこともなく、すべてを鏡の前に広げると、うなり声のような音が鏡から聞こえてきた。
「……やっぱ、買わないとだめじゃないか?」
「そうなんですが……いつ、買いに行かせれば……」
会社帰りにどこかに寄るくらいできるよ。
そう言ってみたが、すぐさま「いけませんよ」と止められた。
「夏ならばまだしも、今は会社が終わる時間には暗くなっているじゃないですか。買いに行って、もしなにかあったらどうするんですか」
思いがけず過保護な台詞に呆気にとられた。
親かあんたは――いや、親でもこんなに過保護じゃない。
「そんなに心配しなくても……」
呆れたままそう言ったら、叱られた。「するに決まってるじゃないですか!」
「私たちは和花になにかあっても助けられないんですよ!」
――ああ、そうか。この人たちは私が襲われているとわかっても、警察を呼ぶことすらできないんだ。
「……ごめん」
「わかればいいんです」
しかし問題は残ったままだ。
休みの日は彼氏と会う。仕事帰りに服を選んで買っていると遅くなってしまう。
どうして服が必要なのかは聞いていないが、レオナの様子からすると、じっくりしっかり選んだほうがいいのだろう。
どうしようかな――と考えていたら、意外にもジルが解決策を提示してくれた。
「俺たちが探しておいて、和花に買いに行ってもらうのはどうだ?」
その言葉にファルクがすぐに「お、それいいかもな」と反応した。
「そう、ですね……それなら、そんなには遅くならずにすみますね……」
「いや、でも、みんなにそんな手間をかけさせるわけには……」
遠慮しようとしたが、「問題ありません」と返された。
「どうせ和花が働いている間は暇なんです。そのくらいさせてください」
「そうだな、たまには甘えろ」
「まったくだ」
三人ともにそう言われて、反対する理由がなくなった。
「じゃあ……お願いします」
頭を下げると、
「かしこまりました」
「おう」
「まかせろ」
と、少し嬉しそうな声が聞こえてきた。
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