夢か現か

 目の前に、見知らぬ人が立っていた。

 見覚えはないのに、私はその人たちを知っていた。

 ――あぁ、癖っ毛って、くるくるパーマのことだったのか――なんて思いながら、ぼんやりとその三人を見つめていた。


「――和花」


 耳にかかるくらいの黒髪を額の真ん中で分けた人が、私の名前を呼んだ。


「まだあなたは、私たちに会いたいですか?」


 なにを言っているんだと思った。私がこの六年間、どんな想いで過ごしてきたか、あんたたちはどうせ一方的に見てたんでしょう?


「……あたり前じゃん」


 悔しくてそれだけ返すと、くるくるパーマの金髪が驚いたような声を上げた。


「マジか! 俺たちにボロクソに言われるってわかってんのによ!」


「変わった性癖に育ったもんだな」

 ため息まじりの声に顔を向けると、丸眼鏡をかけた短髪が「仕方ないな」とでも言うかのように笑っていた。


「勘違いしないでよ。ボロクソに言われるのが好きなわけないじゃない。あと性癖って。おとなしくMって言えばいいじゃん」


 言い返すと、一瞬だけ間があいた。

 そして三人同時に、ぶはっと噴き出された。


「……いや、強くなりましたね」

「俺たちに従順な和花ちゃんはどこにいったんだろうなぁ」

「そんなものは初めから存在していなかったと思うが」

「わぁーってるよ。気分だ、気分」


 さっそく始まった彼らのやりとりに、がっくりしながら、泣きそうになった。

 楽しそうな顔。優しい眼差し。

 わかっていた。顔なんか見えなくても。

 どんな表情かおで彼らが私を見守ってくれていたか、私はずっと知っていた。


「戻ってきてよ……」


 呟いた声は、随分と湿っぽくなっていた。

 こらえたと思っていた涙が、頬を流れていった。


「また、ボロクソに言いますよ」

「知ってる」

「彼氏がいるんでしょう?」

「いるけど、別だから」

「浮気になりませんか?」

「浮気じゃない。そういう関係になりたいんじゃないもの」

「それで納得してくれますかね」

「そもそも、レオナたちのことは内緒にするつもりだし」


 レオナの声が、そこで数秒止まった。

 なにかを考えるように視線を外して、また静かに戻してきた。


「ばれたら、どうするんですか?」


 彼氏を選ぶのか、自分たちを選ぶのか。

 そう訊かれているように聞こえた。

 だから「彼氏次第」と答えた。


「レオナたちを受け入れてくれれば、そのまま付き合うし、受け入れてもらえなかったら、別れる」


 はっきりきっぱり言い切った。だが、ファルクが茶々を入れてきた。


「へえー。和花に告白してくるような希少な存在を捨てるのか」


 正直、ぐさりときた。

 告白されたのは、これまでの人生で一度だけだ。次があるとも思えない。

 嫌いになったわけでもない。予想外の誘いにテンションが上がるくらいには好きだ。

 だけど、それでも。


「レオナたちを受け入れてもらえないんだったら、どうせ長続きしないよ。レオナたちはもう、私の一部になってるんだから」


 言った瞬間、ふわりと空気が柔らかくなった気がした。


「困りましたね。私たちのせいで和花は一生独身ですか」

「後味わりぃなぁ、そりゃ」

「馬鹿とは思っていたが、想像以上だな」


 嬉しそうに笑いながら言うな、馬鹿。

 これで「やっぱり戻れません」とか言ったら、本気で泣くぞ。


「仮定の話でボロクソに言わないでよ。そもそも、ばれなきゃいいんでしょ?」

「まぁ、そうなんですが。――言わないんですか?」


 他の人には言わないように頼んできた人が、なにを今さら。


「言わないよ」

「彼氏を信じてねぇのか?」

「そういう問題じゃない」


 この件に関して信じているかいないかと訊かれたら、信じていない。

 そもそも、こんな世間一般にはあり得ない話を受け入れてくれるかどうかなんて、なにをもって根拠とすればいいのか。

 四歳の私だって、母に言えなかったのだ。彼氏だろうと夫だろうと、言えるわけがない。


「だいたい、言って欲しいわけじゃないでしょう?」


 問うと、「まぁ、そうですね」とあっさり認めた。

「リスクを考えると、どうしてもな」

「じゃあ、言わなくていいじゃない」

「まぁ、そうなんですが」


 認めながらも、なにか言いたげだ。

 なんなんだ、いったい――と思いながらレオナを見つめていたら、ジルが口を開いた。


「和花はそれでいいのか?」


 なにを言われているのかわからなくて「は?」と返した。

 きっと、ものすごく怪訝な顔をしていただろう。機嫌も悪くなってきていたから、目つきも悪かったはずだ。

 しかしジルは表情をまったく変えずに、ゆっくりと穏やかに補足した。


「俺たちのことを墓場まで持っていくつもりか?」


 まだ二十代の若い女に墓場までとは大袈裟な、と一瞬思ったが、考えてみればそのとおりだ。

 親にも結婚を考えている彼氏にも言わないのなら、他の誰に言うというのだろう。子どもに話したら、夫にも伝わるだろうし。


「考えたことなかったけど、そのつもりだよ。誰にも言う気はない」


 そう答えたら、「言いたいと思わないのか?」と訊かれた。


「言いたいよ。他の誰ともみんなの話ができないのは寂しいよ」


 特にこの六年間、誰にも相談できなくて苦しんだ。

 あてもないのに一人で探すしかなかった。何度期待を裏切られても、一人で飲み込むしかなかった。

 誰か一人でも分かち合える人がいれば、もっとずっと楽だったろう。


「――でも、レオナたちを否定されるのは絶対に嫌」


 自分が頭のおかしい人だと思われても、変な目で見られても構わない。

 だけど、私の大切な人たちを否定されるのは耐えられない。

 だから、言わない。

 言わなければ、否定されることもない。


 それは結局、否定されると思っているからではあるのだが――仕方ないじゃない。私だって、レオナたちに出会わなければ信じなかった。鏡の中に人がいるなんて。


「変わりませんね」


 唐突な台詞に顔を向けると、レオナが目を細めていた。


「あぁ、変わらないな」

「成長がないとも言う」


 そこまで聞いてようやく、私が昔から変わっていないという意味だと理解した。


「――では、異存はありませんね」


 その言葉は私ではなく、ファルクとジルに向けられていた。


「ない」

「あぁ」


 二つの声が重なって、レオナが微笑んだ。

 ちょっと、なんの話?

 三人に向かって発した言葉は、見事に無視された。


「では、和花――」


 三人とも私に向き直ってはくれたが、こちらの話を聞きもせず、先ほどの説明もしてくれなかった。


「また、のちほど」


 彼らの後ろから光が近づいてきて、彼らを飲み込んだ。

 あっ――と思ったときには、私もその光に飲み込まれていた。

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