彼氏からの贈りもの
夢をみることがある。
あの鏡と話す夢。
日常の、些細な、どうでもいい、例えば昨日の雨で水たまりができていたとかその程度の話を、すごく楽しそうに話す私の夢。
絶対に、途中で怒る夢。
彼らにボロクソに言われて、言い返して、こてんぱんに叩きのめされて、腹が立って腹が立って、目が覚める。
そして、鏡のない鏡台の存在を思い出す。
その日もそんな夢を見て、ため息を落としながら出社した。
仕事をしているうちに気持ちは切り替えられる。ありがたいことに、さらにその日は彼氏からメールが来て、気持ちが一気に上昇した。
“夕飯一緒に食べない?”
土日に会うことはよくあるが、平日の誘いは久しぶりだ。
すぐに了承の返事をして、うきうきしながら仕事を終わらせた。
入ったのは、少しだけ高級なレストラン。
控えめな照明の店内はほどよく混んでいて、浮き島のように壁から離れた場所にある丸テーブルに案内された。
注文を済ませ一息ついたところで、
「珍しいね、平日に誘ってくれるなんて」
と言ったら、彼氏は照れ臭そうに頭を掻いた。
「昨日まで出張でさ、」
そう言いながら鞄を開き、小さな平たい包みを取り出す。
「これ、おみやげ。早く渡したかったんだ」
二人で旅行に行くことはあったが、おみやげを貰うのは初めてだ。
予想外のことに驚きながら受け取り、「開けていい?」と訊いた。
「どうぞ、どうぞ」
照れ臭そうなままの彼氏から許可を貰い、紺色のシールを剥がす。
割れものなのか、紙の包みの下にさらに緩衝材が巻いてあった。
くるくると回しながら開いていくと、突然、光沢を帯びた黄緑色と黄色が目に飛び込んできた。
つるを伸ばした植物と、飛び交う蝶。
手より少し小さな長方形いっぱいに、それらが刺繍されていた。
「きれい……」
細部まで丁寧に施された刺繍は芸術作品のようだ。
裏側にも続くその刺繍に見入っていると、彼氏の声が聞こえてきた。
「鏡が苦手っていうのは知ってるんだけどさ、すごくきれいだったから……」
その単語が聞こえた瞬間、顔が強張るのがわかった。
――鏡。
「あ……、鏡なんだ、これ」
「うん、中に――」
平静を装いながらよく見ると、確かに指を引っかけて開く構造になっていた。
美しい刺繍の裏にある銀色の板に、オレンジ色の照明と私の顔が映り込む。
彼らがさんざん「たいしたことない」と評した、私の顔。
反応を待つ前に、視線を正面にいる彼氏に向けた。
「――ありがとう。すごくきれい」
「大丈夫だった?」
「うん! 嬉しいよ!」
彼氏のほっとした顔で、きちんと笑えていることを確認した。
「でも汚れちゃうといけないから」と、元通りに包み直し、鞄に入れた。
そのあとのことは、正直、まともに覚えていない。意識は完全に貰った鏡に向かっていた。
あの鏡には蔦の装飾がついていた。これだけ丁寧に装飾の施された鏡ならもしかしたら――
そう思う気持ちもないわけではなかった。
だがどちらかというと「この鏡でもダメだろうな」という諦めのほうが強かった。
鏡という鏡を見つけるたびに裏切られた年月が、私に期待を抱かせないようにしていた。
~*~*~*~
いつもより速いペースで飲んだのか、ふらつきながら帰ったのは覚えている。
「ちゃんとシャワー浴びてから寝るんだよ!」
と、彼氏が釘を刺してから帰ったことも。
その釘に従ってとりあえずシャワーを浴びたが、酔いをさますには至らなかったらしい。
少しだけはっきりした頭で鞄から貰った鏡を取り出し、机代わりに使っている元鏡台の上で包みを開いた。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」
別れたときより数段ふくよかになった顔に「それはあなたです」なんて答えが返ってくるはずがない。しかも、酔っ払って眼もとろんとしていれば口も締まりがないというオプション付きだ。
そうでもなくとも「たいしたことない」のだから、彼らに繋がればけちょんけちょんにけなされる。――彼らに、繋がれば。
「――なーんて、ね」
話しだす気配のない鏡に見切りをつけ、ベッドへと移動する。
大丈夫。期待なんてしてなかった。どうせ繋がらないって思ってた。ちょっと試してみただけだ。だから、大丈夫――
そう思うのに涙が溢れて止まらなくて、しがみついた枕がどんどん濡れていった。
頭の中ではずっと、彼らの声が聞こえていた。
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