たとえ姿が見えなくても

 ある日、私は鏡の前で絵を描いていた。


「なにを描いていらっしゃるのですか?」


 ほぼ描き終わったタイミングで聞こえてきた声に、えへへ、と顔を上げた。

「みんなの顔! ほら!」

 自信満々で見せたのに、やっぱり反応はいつも通りだった。


「……似てませんね」

「俺はもっと男前だ」

「おまえら、そう言うな。無い想像力を絞りだして描いてくれたんだぞ」


 鏡に彼らの姿は映らない。話すときに映っているのはいつも、彼らが「たいしたことない」と評する、私の顔だ。

 だから、声や口調や話す内容から想像して描いた。


 いつも真っ先に話してくれるレオナは、少し長い金髪に切れ長の瞳。

 口の悪いファルクは、茶髪で笑うと八重歯が見える。

 あんまり喋らないジルは、短めの黒髪で、むすっとしてる……。


「……似てないの?」

「似てませんね。――あぁ、ジルの口の形だけはとてもよく似ています」

 そんな“へ”の字に曲げた口だけ似ていても。


「じゃあ、どんな顔か教えてよ」

「そうですね……ファルクはもっと癖っ毛です」

「もっと立ってるの?」

 私の描いたファルクは、ゲームの登場人物みたいに髪があちこちに尖っていた。

「いえ、天然パーマという意味です」

 その言葉に、耳にかかるくらいの長さのウェーブのかかった髪を思い浮かべていると、ファルクの声がした。


「その前に髪の色だろ。レオナは黒髪だ。俺のが金髪に近い」

「八重歯はありませんね、三人とも」

「レオナはもっと目つきが悪い」

「ファルクはもっと頭が弱そうです」


「あの、さっきからレオナとファルクばっかりなんだけど、ジルは?」

 互いの悪口大会になりそうで、そう訊くと、

「口の形がそっくりなので、問題ありません」

 と言い切られてしまった。

 悪口大会が回避できそうなのはよかったが、納得できる返答ではない。


「勝手に問題ないとか決めないでよ。ジルが言うならいいけどさ」

 私の言葉に、今まで黙っていたジルがぼそりと反応した。

「……問題ない」

 ないのか。

「……一つだけ言うなら、俺は眼鏡をかけている」

「問題なくないじゃん……」


 他に出てこなさそうだったので、それまでの情報を統合して描き直したが、やはり「似ていない」と言われた。


「ジルの口はそっくりですよ」

 それじゃ初めと同じだ。


「さっきよりは似てるな。髪の色とか」

 色だけですか。


「ジルの眼鏡もつきましたしね」

 …………。


「けなすなら、もっと教えてよ」

 文句を言うと、

「褒めてるじゃないですか」

 と返ってきた。

「全然嬉しくないよ」

 さらに文句を言うと、

「まぁ、そうでしょうね」

 と悪びれる様子もなく返された。


「……そもそも、俺たちの顔なんか描いてどうするんだ?」


 憮然としていたら、ジルが言った。

「気になるじゃん」

「なるのか?」

「なるよ」


 いつも話している人が、どんな顔をしているのか。どんな顔で話すのか。

 私はずっと気になっているのに、彼らにはそれがわからないらしい。


外見そとみなんかどうでもいいだろう」


 ジルが続けた言葉で、そういえば、と思いだした。

 はじめに「大事なのは心ですよ」と言ったのは、この人だった。

 あれは、本心でもあったのか――


 少しばかり感心したのだが、私の外見をけなされる日々は変わらなかった。


  ~*~*~*~


 学校で喧嘩をした日、私が部屋に入ると三人はすぐに話しかけてくれた。


「どうかされたのですか? いつも以上に顔がつぶれてますよ」

「その顔なら下から数えた方がはるかに早いな」

「せめて笑っていた方がいいと思うが」


 いつもなら、私が鏡の前に来るまで彼らは口を開かない。

 言い方はアレだが、心配してくれたのだろう。言い方はアレだが。


「……喧嘩した」


 ふてくされたまま鏡の横に腰を下ろすと、「珍しいですね」という声が聞こえてきた。


「怪我はないか?」

「……ない。大丈夫」

 殴り合いになったので、そのときは痛かったが傷にはならなかった。


「大丈夫、って顔じゃないだろう」

 映らないよう横に座ったが、帰ってきたときにしっかり見られていたようだ。確信している声だった。

 その声を無視する、という選択肢は選ぶ気になれなかった。


「……お母さんに、喧嘩両成敗だって言われた……」

 学校から連絡があったのだろう。帰ってくるなり、叱られた。

「なにがあっても喧嘩はダメだって、先に手を出すのはもっとダメだって……」

 悔しさで溢れそうな涙をこらえながらだったから、呟くような小さな声だったと思う。

 それでも、ちゃんと三人は聞いてくれていた。


「先に手を出したのですか?」

 レオナの問いに無言で頷いた。声を出すのは怖かった。

 見えなかったはずだが、気配で察したのか、否定しなかったから肯定だと思ったのか。レオナは訊き直したりはせずに、事実を述べるだけのような声でこう言った。


「それはよほど腹に据えかねたのでしょうね」


 当たり前のように信じてくれたその言葉に、ぼろりと涙が零れた。

 慌てて目元を拭っていると、ファルクの声も聞こえてきた。


「そうだよなぁ。和花がそう簡単に手を出すわけないもんな」

「簡単に手を出す人間なら、とっくの昔にこの鏡は割られています」

「俺たちが毎日ボロクソに言ってるからな」


 ――自覚、あったんだ。

 思わず噴き出して、小さな声でそう呟いた。

 笑ったからか、涙がぼろぼろと溢れて止まらなくなった。

 それなのに彼らが慰めてくれるような気配は一切ない。それどころか、私の小さな突っ込みに平然と「ありますよ」と返してきた。


「あるなら、やめてよ」

「悪いとは思っていませんので」

「思ってよ」


 本当に、なんで泣きながらこんなやりとりをしているのか。

 泣きながら笑って。

 笑いながら泣いて。

 気が済むまで涙を流して。

 泣かせてくれたことに感謝した。


 抱きしめてもくれない。慰めてもくれない。

 涙を拭いてくれるわけでも、頭を撫でてくれるわけでもない。

 鏡の向こうの、姿もわからない人たち。

 それでも彼らは――誰よりも私の近くにいた。

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