秘密の友人

 その鏡は、母の鏡台についていた。

 縦長の楕円形で、蔦を模した装飾が周りに施されていて、見るからに年季が入っていた。

 この世に魔法の鏡があるのなら、それはこれだろう。

 そう思えるくらいに雰囲気のある鏡ではあった。


 白雪姫の話をはじめて知ったのは、幼稚園でのこと。保育士の先生が絵本を読んでくれた。

 ただし私が聞いていたのは、冒頭部分――魔女が話しかけて鏡が答える、という場面までだ。

 そこから先は、あの鏡に話しかけることしか考えていなかった。

 早く帰って試したい。返事はしてくれるだろうか。なんて言ってくれるだろう……と、先生が熱心に読んでくださっている物語とは関係のないところで、どきどきわくわくと胸を躍らせていた。

 はやくおかあさんがむかえにこないかなぁ。

 一日中そわそわしながら過ごし、ようやく家に着くと、手洗いもそこそこに両親の部屋に飛び込んだ。


「かがみよ、かがみ。このよでいちばんうつくしいのは、だあれ?」


 それはあなたです、なんて答えを期待していたわけではない。

 そのフレーズすべてが、鏡を目覚めさせる呪文のように思っていただけだ。 

 だからどんな返事でもよかった。

 私は、“鏡が話す”という不思議に出会いたかっただけなのだから――


  ~*~*~*~


 ――それにしたって……。


「髪がはねていますよ。せめて身だしなみくらいきちんとしないと」

「馬鹿だな、おまえ。はねさせた髪に視線を向けさせて、たいしたことない顔を目立たせない作戦なんだよ」

「……その顔で注目を集めたいなら別だが、直した方がいいと思うぞ」


 なんだこの毒舌集団。

 髪がちょっとはねていただけで何故こうも顔をけなされるのだろう。


「……普通に教えてくれればいいよ」

「これが私たちの“普通”ですが?」

 そうでした、ごめんなさい。

 溜め息を落としつつ、ブラシを持ち上げる。


「なんだ、直すのか? 濡らしてきたほうがいいぞ」

「そうですね。それは梳かすだけでは直らないと思います」


 これも彼らの“普通”だ。口は悪いがわりと親切で、なにかやろうとすると助言をくれる。


「――これでいいかな?」

 助言通り、濡らして乾かしながら直した髪を鏡に映すと、

「前髪を左に流したほうが良さそうですね」

 と返ってきた。

「……あ、本当だ」

 いつもと違う癖がついていたらしい。言われたとおりに流すと、ぴたりと決まった。


「ありがとう! いってきます!」

 お気をつけて、と、こけるなよ。

 いつもの声が重なった。

 もう一人の声が聞こえなかったということは、今日は忘れものをしていないようだ。


 カチャリと扉を開けると同時に、鏡から物音が消える。

 静かになった鏡を振り返り、彼らに見えるように微笑んでから部屋を出た。


 彼らの存在は私だけの秘密。

 誰にも言えない、私だけの友人。

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