第34話「10月某日自宅①」

 平野は妻との二人暮らしだ。子供達はすでに独立している。

 平野は宮城県の生まれで、大学も仙台だった。サラリーマン生活の大部分は東北で暮らしている。

 大阪には縁もゆかりもないが、満水ハウスが大阪本社の会社であるため、現在は大阪で暮らしている。

 大阪に移り住んだのは専務に昇格した時だから10年以上前だ。大阪に来てからの最初の1年間は経営企画部長を兼務し、その後は社長に昇格している。

 社長になってからは、国内の事業のほどんどは平野が所管しているため、国内の会議・視察が多く、東京や地方で宿泊することが多い。また、宴席も多く、大阪にいても自宅に帰るのは遅いのが現状だ。

 妻には寂しい思いをさせているかもしれない。ただ、自分は東北男で寡黙だが、妻は人付き合いが良い。友達も作っており、しゃべらない旦那がいつも自宅にいるよりは楽かもしれない。面と向かって聞いたことは無かったが。

 今日は、久しぶりにまっすぐ自宅に帰ることが出来る日だった。18時に執務室を出た。ビルの車寄せに到着した時には、既に社用車が停まっており、運転手さんがドアを開けてくれていた。いつもの決まりきった光景だ。一切の澱みがない。車に乗り込むと、秘書の成田がドアを素早く、しかし大きな音がならないような絶妙な力加減で閉める。

 すぐに運転手さんが車に乗り込み出発する。

 自宅に向かう道すがら、運転手は無言で運転に集中している。

 このように早く自宅に帰る日がこれからは多くなるのかもしれない。

 先程の奥平とのやり取りを思い出しながら、平野は思う。

 社長を退任するとして、自分は何をするだろう。あの感じだと奥平は平野を関連会社にも残しておかない可能性もある。

 毎日、少しでも自由な時間が欲しいと願ってきた。その願いが、叶う可能性が出てきた。しかし、これは自分が望んだ結果ではない。

 今までなぜ奥平に従ってきたのか。それは満水ハウスを良くしたいという思いだ。そして、奥平が退任し、自分が名実ともにトップになった時に、なすべきことを果たすためだ。もちろん、平野はすでに社長であり、大抵のすべきことは実行してきた。問題も正してきたはずだ。しかし、斬り込めていない領域がある。

 その領域だけは、奥平の在任中は難しいのだ。そもそも奥平が当事者なのだから。


 ・・・・・・どうする。


 自分に何ができる。

 いや、もう無理だろう。

 奥平ははっきりと言ったのだ。責任を取れと。自分には会社での居場所や権限は無くなるのだ。

 取締役であるため、来年の株主総会までは身分は保証されている。あと5ヵ月程度だ。

 その間に少しでも後輩達のために残してあげたい。

 何を優先すべきか。

(続く)

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