第33話「10月某日③」

 草薙が下を向いたまま声を上げる。「と言いますと。」

「当社の利益は海外に投資されています。国内の従業員達が稼いだ汗と涙が、奥平会長の一存で海外に投下されています。この数年で凄まじい勢いで海外の投資残高が積み上がりました。この投資先の選定は、奥平会長の勘と人脈に依存しています。」

「その通りです。しかし、国内市場が縮小することを見越した先行投資ですよね。」

「確かに、先行投資の側面はあります。しかし、草薙さんは国内外の株主である機関投資家と対峙しているから分かっているはずです。投資家は海外事業で結果を求め始めています。また、奥平会長個人のパーソナリティに、当社の海外事業が依存していることも認識しているでしょう。」

「まあ否定は出来ませんね。」

「私は、奥平会長の功績は高く評価しています。リーマンショックでの赤字を乗り越えて、当社をここまで成長させたのは奥平会長のリーダーシップであり、厳しさです。」

「それで、票集めとは、何を仰りたいんですか。」

「ここ数年は奥平会長の独断専行が目立ってきたとは思いませんか。気に入らない取締役や部下を次々と排除し、誰もが奥平会長に逆らえない空気を作ってきました。大きな案件は、決裁権限とは関係なく、奥平会長の内諾を得ることになっており、会長の機嫌を損ねないように、指示待ち人間が増加しました。この状態では、当社の持続的な成長はありません。」

「では、私に何をして欲しいのですか。」

「ですから取締役会での票集めです。ご承知の通り、取締役は株主総会で解任されない限りは身分は保障されています。私が引き続き代表取締役を務め、次回の株主総会で退任されないように行動して欲しいのです。奥平会長が次回の取締役会で私の代表取締役としての地位を解任しようとするのであれば、反対票を入れてくれませんか。そして、可能であれば反対票を投じるメンバーを増やしてくれませんか。」

「それは自らの保身を望んでいるということですか。そんなことならご協力は出来ません。」

「さすが草薙さんですね。はっきりと言ってくださってありがたいですよ。」

 草薙がビールを口に含む。間をおいて顔を上げ、平野の目をじっと見つめた。

「平野社長。私は、財務屋です。実際には金勘定ぐらいしか出来ない人間です。そんな財務屋にも大事にしているものがあります。大事な判断の際には、王道の選択をするということです。」

「ほう。初めて草薙さんからそのようなお話を聞いた気がします。」

「平野社長が保身に走るだけなら、協力はお断りします。しかし、満水ハウスのために何かお考えがあり、それが平野社長にしか出来ないことで株主にとって利益になるのであれば、株主から経営を付託されている者として行動をすることはあります。」

「なるほど。株主の代理人ですか。」

「そうです。我々取締役は、奥平会長の単なる部下ではありません。従業員ではないのです。サラリーマンすごろくのゴールが役員なのではありません。あくまで株主のために経営を任されているのが取締役です。」

「話が早いですね。そのように仰るような気がしていました。では、私の考えている戦略の全体像をお伝えしましょう。そして他にお伝えしたいことも。」

 飲み会を終えて平野がお店を出た時には20時半を過ぎていた。

 外気が冷えている。

 草薙を部屋に残し、平野が先にお店から出ていく。誰かに見られる可能性もあるため、念には念を入れて草薙は残った。確かに草薙にとっては平野と会うことは奥平から睨まれかねない。時間をとってくれた草薙に平野は心の中で感謝した。

 帰りは、大きな通りまで出てタクシーを拾うつもりだった。自宅まで8,000円ぐらいかかるだろう。妻は無駄遣いだと言うかもしれないが許してもらおう。社長なのだから、たまには無駄遣いをしたって良いじゃないか。

(続く)

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