第8話 異世界の知見:早朝を制する者たち

 

 ミクルの失踪から一夜明けた早朝。


 ベッドから起き上がり眼鏡を掛ける。

 灰色ジャケットを着込む。

 そしてエヴァンスの傷が治っていて当の本人が呑気に寝ていることに驚愕きょうがくすること三回。


 普段の癖でラッパよりも早く起きてしまったので、ロドニエスへ足を向けてみる事にした。


 部屋をこっそりと出て石製の無骨な廊下へ。

 ブーツを履いていなかったら足裏がひんやりしていたかもしれない。

 暑いのでそれくらいでもよかったか。


 気配を探りながら誰もいない廊下行く。

 すると、ふと俺の知覚範囲内に気配が出現した。

 先ほどまで感じなかった場所に、ポツンと突然だ。


 恐る恐るちかづき曲がり角をのぞき見る。


「なぬぅッ!?」

「あ。この前のお嬢ちゃんか」


 鼻の先で忍び足をしていた少女を発見だ。

 少女はひどく驚いている。


 が、俺が以前会った事がある者だとわかるとすぐに気を取り直したらしい。

 シュッとスマートな顔に切り替わった。


「あなたは以前にも私の気配に気づいていましたね。ただの落ちこぼれかと思っていましたが、もしやその黒髪……もしかしてあなたもしのびなのですか?」

「うん、全然違う」

「ッ! しまった、私はなんて迂闊なことを聞いてしまったのか……」


 なるほど、この子は忍者ごっこをしていたのか。

 気配なく近づいて対象をぶん殴り、撲殺ぼくさつする職業として俺の世界でも結構盛んだったが、まさかこの世界にも忍者の概念があったとは驚きだ。


 一度否定した手前てまえ、仕切り直しづらいがちょっとからかってみても面白そう。

 自分のことは本当に悪い大人だとはわかっているのだが、ついつい若者と接する機会があると、余計に関わりたくなるのは仕方のないことさ。


「んっん。すまんな、実は俺も忍びだ。ニンニン」


 くっ、あんまりうまくいかなかった。

 流石に無理があったか……。


「ッ! やはりそうでしたか。私の気配に気づき、尚且なおかつ私には気配を悟らせない。いやはや感服いたしました」


 少女は瞳に尊敬を宿やどしてぺこりと綺麗なお辞儀をしてくる。


 なんかだませちゃった。


 でも、忍び同士ってそんな友達みたいな感じいいんだろうか?

 忍び設定をちゃんと守れていないぞ、少女。


 忍者とは本来血生臭ちなまぐさい世界の住人だ。

 現実の厳しさを教えてやらねば、ニンニン。


「ふぅ……名も知らぬ若き忍びよ、御免ッ!」


 ぺこりとこうべを垂れる少女の首筋に、殺気を殺した手刀を、ポカリ、と当てる。


「はぐ!? な、なにを!?」

「……って事もあるかも知れぬ。気をつけなければいかんぞ……その、忍びゆえな」

「ッ! 未熟な私にご教示なさったのですね!」


 ん、あれ、余計に尊敬されてない?

 そんなキラキラ眼差し向けられても困るんだけどなぁ。ちょっとふざけてみただけなのに……。


「うむ。まぁそういうことだ。常に油断せず、己の気配なぞなくて当然、うん、目の前を通り過ぎようと気づかれなくて当たり前と心掛けておく事が大事だ。うん、忍びゆえ……」

「いやはや、勉強になります!」


 大分適当なこと言ってる気がするが、まぁ良いだろう……忍びゆえな。


「それじゃ、存分に修練に励みたまえよ。ニンニン」

「はい! 精進します、ハムスタ殿!」


 黒髪の忍者ガールは気持ち良い挨拶をして再び忍び足で向こうへと去っていく。

 たしかに他の騎士学生たちに比べたら気配断ちのレベルは高い気がする。


「本気で遊びに打ち込んでんだなぁ。あれなら本職の忍びでも通用しそうだ」


 去っていく少女の背中が闇に溶け込むさまに感心しながら見送る。


 止めていた足を進め、学生寮から通じるグラウンドへの通路へと出出来た。

 グラウンドに出ると全体的にうっすらと朝焼けに照らされる情緒じょうちょある校庭風景を楽しむ事ができた。


「はっ! はっ! はっ!」


 勇ましい掛け声とともに聞こえる風切り音。


 普通に誰かいるじゃないか。

 見た感じ真剣を持って素振りしているようだ。


 遠目にみてもわかる屈強な肉体をしており汗ばんだ灰色シャツが、もう長いことここで素振りを継続していることを教えてくれる。


 話しかけよう……かとも思ったが、ラッパよりも早く起きたらいけないという罰則事項をさりげなくエヴァンスから聞いていたのでやめておく事にした。


 問題ごとは起こさないに越したことは無い。

 ただでさえ俺という存在は問題だらけなんだから。


 気配を殺してササッと校門に向かう。

 しかし、何がきっかけか、ふと人影がなんの前兆もなくこちらへ振り返った。


 黄金にかがやく瞳と目が合ってしまう。


「うぉ、ぇ、ビックリした……誰か、いる……? んっん、誰だ! そこにいるのは!」


 俺の気配に気づくとはなかなか。

 見つかってしまったなら仕方ない。


 ここはいさぎよくだなーー。


「ふぅ」


 走り抜けるまでさ。


「とうっ!」

「コラ待て貴様ぁ! このシャーロック・ファイアボルトから逃げ……むッ? 馬鹿な、は、速いッ!?」


 容赦なくぐんぐん突き放す。

 校門を飛び越えてしまえば、もはや素振り青年は遥か向こう側で呆然と立ち尽くすだけだ。


 悪いな、勤勉なる若者よ。

 おっさん、捕まってしかられるのは嫌なんだわ。


 彼には悪いが今回は見逃してもらおう。


 青年を振り切り、その後校門を真っ直ぐに進むことしばらく。


 ロドニエス騎士学校の校門が小さくなるくらいに歩いてきたところで、昨日乱闘のあった酒場に到着。


「休業中……ここには悪いことしちまったな」


 昨日こっぴどく怒られ、学校に連絡された事を思い出した。

 店主の忠告通り、今度から喧嘩は表でやろう。


 酒場を通り過ぎたあたりから、いよいよ俺の知らないロドニエスが顔を見せ始める。

 初めて来る通りや公園、店主たちが屋台を広げ一様に品を陳列ちんれつするシンクロ露店街など、俺の目を楽しませてくれる光景がそこにはたくさん広がっていた。


 早朝だと言うのに謎の光る泡を飛ばす老婆がいたりと、この世界では魔法なるモノがたみたちの間にも広く普及していることもよくわかった。


 ところであの老婆は朝から何してたんだろうか。

 感動したはいいが、疑問は残る。


「ほう、やっぱ少し文明が遅れているような印象を受けるな。魔法はみんな使ってんのに、市井しせいの間に半永久光源たる魔力灯まりょくとうが普及していないのか。便利なのになぁ、お、そういえば水路も地表には見ないな……」


 エヴァンスからある程度の常識的知識を得ていたが、やはり質問するだけだと世界を知るには無理がある。俺はしみじみとその事を実感していた。


 街の風景を楽しみつつ、ちらほら人の出歩く通りを進んでいると一際おおきく目立つ建物が見えてきた。


 建物自体がどでかい石レンガを積んで作られており、力強く飾り気のない無骨な空気をまとっている。

 が、ただ唯一の飾りとして、およそ何か巨大生物の骨と思われる物を乗っけていた。


 建物の前には早朝だというのに数十人単位で人が集まっている。

 その人だかりを見れば異世界に明るくない俺でも、ここが街の中で特別な役割を持つ施設なのだと一発わかった。


 早速、近づいてみる事にする。


「おんやぁ〜? その灰色の制服。もしかして騎士学校の生徒さんかなぁ〜?」


 胃もたれしそうな間のびした声。

 腰に幾つもの刃をぶら下げ、モヒカン頭にカラフルで奇特きとくな服を着た男が話しかけてきている。

 声と内容から察するに俺が今ここにいる事が不味いことと知る人間みたいだ。


「ノーコメントで」

「うっふふ。そうだねぇそれが良いだろうね〜。またすぐに会うかもしれないけど、その時は初対面という事でいこうか〜」

「すぐに会うかも? それはどういう事だ?」


 意味深に微笑むトサカ頭に乗せられついつい質問してしまった。


「さぁ〜、教えてくれない生徒さんには、おじさんも教えたくないなぁ〜」

「はいはい、わかった。騎士学生です。で?」

「う〜ん、ヤケクソだねぇ〜」


 どうせバレてるので隠す事もあるまい。

 そんな事で教えてもらえるなら全然教えるわ。


「で、それで? で? で?」

「うーん、なんか苦手なタイプだねぇ〜」

「おい、さっさと教えんかい」

「仕方ないねぇ。苦手だけど、その威勢の良さ、気に入ったねぇ。だから特別に教えてあげようかぁ〜」


 トサカ頭はそう言うと腰に差してある短剣のうち、細長い短剣を一本抜いた。

 2枚の刃が螺旋を描くようにねじれており、実戦で使うにはクセが強そうな短剣だ。


「今日、そして明日にロドニエス騎士学校じゃ、学生さんにとって特別なイベントがあるねぇ?」

「うーん、まぁ、あるな」


 この男が言っているのは期末実技試験の事だろう。

 それ以外にもあるのかもしれないが、まだ在学日数三日目なためうちの学校には詳しくない。


「その試験で短剣持ったおじさんが試験員として派遣されてるんだぁ〜」

「ほう、つまりあんたが試験をすると。一体どんな試験ーー」

「違うよぉ〜」

「いや、違うんかい!」


 トサカ頭は楽しそうに笑い短剣を腰に差し直す。

 どうやらこの男、俺の事をからかいたいだけだったらしい。


「あぁわかったわかった。どっか行っちまえ」


 手をヒラヒラ振っておざなりに挨拶。

 トサカ頭はそれを見て楽しそうに向こうへーー行かない。


「え、まだからかい足りないのか?」

「むぅ? 僕は冒険者ギルドが開くのを待っているだけだよ〜」

「冒険者ギルド? なにそれ」

「……ぇ?」


 トサカ頭はふざけた雰囲気ではなく素の「え?」という顔をしている。


「もしかして、生徒さん冒険者ギルドを知らない?」

「だから聞いてるんだ。ケチらず教えろよ」

「むぅ……なるほどぉ、そういうことになるのかぁ」


 今までとは明らかに異なるトサカ頭の反応。

 それを見て俺はこの世界の常識の一部に触れたのだと確信する。

 冒険者ギルド、これは知っていなければなるまい。


 と、その時だった。


 俺の中で関心が高まったタイミングで、巨大で無骨な建物を閉ざしていた両扉が開いたのだ。


「おまたせしました〜! 本日もよろしくお願いします〜!」


 建物を内側から解放したのは年若い女性だ。

 それこそ俺に言わせれば少女と言っても過言ではない。

 そしてその少女が扉を開け放った途端、建物前の人間たちがなだれ込むように中に入っていく。


「それじゃ物知らずな生徒さんにこの『親不孝おやふこう』のマリックが知恵を授けてあげよう」

「おぉそれは凄くありがたいけど、その二つ名あまり名乗らない方が良いぞ。クソダサいから」

「……手厳しいねぇ〜」


 このマリックやらの為に言ってやってるんだ、他意はない。

 ダサい二つ名モヒカンは苦笑いしつつ人々の入っていく建物を指差した。


「この大きな建物こそがロドニエス冒険者ギルド支部だぁ」

「ほう、支部か。そんじゃ本部もどっかにあるのか?」

「うむ、あるよぉ。例外はあれど冒険者ギルドは各国主要都市にひとつずつギルド本部を設置しているんだぁ。ロドニエスはお世辞にも大きな都市とは言えないねぇ。僕たちの国のギルド本部は知っての通り……と、知らないから説明してるんだったねぇ〜!」

「あーわかったわかった。で、本部はどこに?」

「可愛げがないねぇ〜。まぁ良いかぁ〜本部はもちろんこの国最大の都市、帝都ゲオニエスさぁ〜」


 ペラペラと舌の回る親泣かせ不良トサカ頭ことマリックについていき建物内部へ。


「ん、なんか掲示板に殺到さっとうしてるみたいだが」

「冒険者ギルドでは依頼が受けられるのさ。依頼は様々、個人、村、街、あるいは商会などの組織、はたまた公的機関やギルドそのものに至るまで様々な場所から日々膨大な量の依頼が出されるのさぁ。それらの依頼を解決する者たちが、ぞくに冒険者と呼ばれている」

「ふーん、まぁその俗がわからないんだがな」

「あっはは〜、ごめ〜ん!」


 マリックの説明口調から察するに、やはり冒険者ギルドという存在自体が相当に有名……というかもはや当たり前すぎる事柄として認知されているとみて間違いない。


 冒険者ギルドへの知見を得る。

 その事はこの世界で強くなる以前に、生きていく上で身につける常識ーー必須事項と言えるだろう。


「掲示板の依頼をはがしてあそこのお嬢ちゃんに持っていけば勝手に手続きをしてくれる。そんで依頼達成でお賃金ちんぎんをもらえるって寸法すんぽうさ」

「ふむ、よく出来たシステムじゃないか。が、ギルドは仲介料を貰うだけで危険を侵さない、というのは少し気に食わないが」

「ふふ、まぁ案外そうでもないらしいけどねぇ……それに仲介業ってのはそんなもんだろおぅ、学生さん。『親不孝』のマリックに言わせればギルドは国の為によくやってるなぁ」

「なんど聞いてもダサい二つ名だ。それよりマリック、あんたもそうだが、見たところ冒険者ってのは武器を持ってるわりにたたかいの素人ばかりなんだな」


 率直に思った事を口に出した。

 その瞬間空気がわずかに張り詰めた事に気付いた。


 ギルド本部内を見渡す。

 掲示板やら受付やら、机の置かれた広々とした談話スペースに広がった冒険者たちへ総合的な闘争者としての点数をつけるならばーー。


「せいぜい5点かそこいら。こいつらだったら騎士学生たちの方がまだ強いんじゃないか?」

「おぉ〜これは手厳しい採点だぁ。だが、言っている事はわかるよぉ。学生さん、アレを見てごらん」


 マリックはニヤニヤと楽しそうに笑い、目を細め遠くを指差した。

 張り詰めた空気には気づいていないかのようだ。

 こいつ50点なんだから本当は気づいてんだろに。


 彼の指差す先は受付の年若い娘が冒険者たちと和やかに会話している頭上ーーそこに設置されたコルクボードだ。


「あのボードに書いてある通り、冒険者には等級というものが割り振られているんだぁ。これはギルドが冒険者に依頼を任せる時の信用度を表すぅ。危険な魔物討伐はより高位の冒険者が請け負う、みたいにねぇ」

「見た感じ、下から猫級、熊級、オーガ級、ポルタ級、ドラゴン級……一番上が柴犬級だと?」


 湧き上がってくる衝動的疑問。


 ドラゴンも犬も俺の世界にいたから分かる。

 だからこそどう考えてもドラゴンより犬の方が強いなんてある訳がない。


 この世界狂ってやがる。


「ん? どうしたんだいぃ?」

「いや……なんでもない。続けてくれ」


 あとでエヴァンスに聞いとこう。


「ならいいやぁ。それで現状この冒険者ギルドにいるのは猫級か、せいぜい熊級の冒険者ってところなんだぁ。条件の良い依頼はすぐになくなるから、ねぇ」

「んじゃドラゴンとか、その、柴犬、級ってのはお昼くらいに出勤してくるってのか?」

「いいやぁ〜、ドラゴンや柴犬レベルになると多分長期の依頼や、未開の地の探索なんかをこなしてるだろうから、わざわざ下位依頼を争う必要はないんだぁ〜。彼らは1つの依頼でドカンと稼ぐぅ〜、高位冒険者はそういう存在さぁ〜」

「なるほど。名も知らないファイターの挑戦なんか受けないってことか」

「んぅ、全然違うねぇ〜!」


 マリックの話を聞いた感じ高位冒険者とはなかなか夢のある職業なのかもしれない。

 俺はかつて人の住まない未開の秘境ひきょうに閉じ込められ、修行させられた経験があるために未開の地という物自体に愛着がある。


 どうやら危険な魔物ーーつまり強靭きょうじんな生物の情報も勝手に流れ込んでくるようだし、時間ができたら冒険者をやるのもいいかもしれないな。

 多種多様な生物との死闘が、そして死の間際の攻防に新しい技のアイディアが生まれる余地を作ってくれる。俺の皆伝かいでんした流派「ハムスター竜殺拳闘術りゅうさつけんとうじゅつ」はそうやって発展するんだ。


 それに犬がドラゴンより強い世界なんだろう?

 魔法も存在して、あまつさえ人間は武器を持つなんて原始的な戦いをするーー。


 ふふ、これからが楽しそうだ。

 ハロー異世界、君のことをもっと教えてくれよ。

 代わりに俺は拳で自己紹介してやるから。


 新しい知識を身につけ、俄然がぜんこの世界での求道生活に熱が入る。


 ついでに遠くで高らかなラッパ音が聞こえたのことは、存外に俺の学生生活に焦りの感情を起こさせた。

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