第6話 琥珀のロック
「親父、同じのくれ。ロックだ」
「おいおい、ガキが飲み過ぎんなよ」
気の良いハゲジジイは
「どうも」
「にいちゃん、ロドニエスの学生さんだろう? そんなしょぼくれた顔して、なんだ、斬り納め大会で負けたのかい?」
ーーカランッ
店主はもう一本開けると手際よくロックグラスを五分目まで満たしてくれた。
「いや、それは関係ないんだ……ちょっと娘の事とか自分の事とか……いろいろ悩んでてな」
「げっ、にいちゃん子供いんのかよ。育児放り出してこんなところで飲んでちゃダメだろうが」
勘違いの加速する店主に
「耳が痛いねぇ。是非とも二十年前の俺に言ってくれや」
「……? そりゃどういうーー」
ーーガチャッ
店主の言葉を遮る扉の開閉音が静かな店内に響く。
「アダム! お前こんなところにいたのか」
「む、エヴァンスか。いいのか? 彼女とお楽しみするんだろ?」
「ッ、馬鹿野郎、出来るわけないだろうが。こんなお前を置いてなんて」
エヴァンスは足早によってくると、どかっと隣のカウンター席に腰を下ろした。
「俺といると悪い噂が立つぞ」
「もう散々色々やらかしただろうが。今更なにしたって一緒だろ」
「はは、具体的に俺たち何したのか教えてくれねぇか? ちょっと頭ぼぅーとしちまって思い出せねぇや」
手に持った空のグラスを振って見せる。
エヴァンスはそれに気づくと脱力した笑みを浮かべ、俺と同じモノを注文した。
微妙な顔してグラスを用意する店主。
「うわッ!? なんだこれ、くそまじィッ!?」
「かぁーこれだから酒のわからない若いのは」
「まったくだな。飲めないなら無理すんなって、はは」
舌を出してえづき出したエヴァンスをみて、ついつい笑みがこぼれる。
「エヴァンス……良い奴だな。ほらもっと飲めよ」
「やめ、馬鹿、殺す気か!?」
俺は自身の中でエヴァンスへの好感度が上がるのを感じながら、上質なウィスキーを波波とグラスへ注ぐのだった。
あぁ本当悪い大人だよなぁ、俺って……。
ーーガチャ
俺が自分の性の悪さを自覚していると再び、扉の開閉音が店内に響いた。
咳き込むエヴァンスからそちらへ首を向ければ細い影が視界の中に入ってくる。
「あんた……」
「エヴァンスだ! こんなところで飲んでたのね」
キャピキャピした声を発するのは金髪の可愛い女の子。
つい最近見たような既視感を覚える顔だ。
エヴァンスは気分悪そうな顔をして振り返る。
「チェスカか……うぇ……」
「ちょっとー! 私の顔見てえづくとか失礼すぎなんですけどー!」
「いや、これはごめん、ちょっと今構ってやれない」
「えぇ〜なでなでしてよエヴァンス〜」
イチャつき出したエヴァンスとその彼女チェスカ。
俺は何となく居心地が悪くなり席を立った。
「アダム、気にしなくていいぞ……うぇ」
「いや、いいさ。おふたりで楽しんでてくれ。ちょっと風に当たってくる」
それだけ言い残し俺はカウンター席に背を向けた。
そしてチェスカと同時に入って来たもえひとりの人物へと向き直る。
「……なんだ?」
「いや、別に大したことじゃないんだけど、ちょっと付き合ってくれない?」
チェスカと共に入ってきた灰色髪の少女は、その緑色の瞳でまっすぐこちらを見つめてきている。
はぁ……頑固で意思のかたそうなところもヘレンにそっくりだなぁ。
愛らしいその顔に娘の姿を重ねずにいられない。
めちゃめちゃ似てるとは言え、これはどうなのかと自分でも思いながら、俺は今朝会って以来の少女、ミクル・アゴンバースの背を追った。
店の入り口とは逆側に設置された吹き抜けの出口をくぐると、夜風の感じられる気持ち良いテラスが出現ーーその瞬間、息を飲む。
まさかこんな酒場にな……。
凡百なバーの雰囲気には似合わない展開に気づいた時には苦笑いを浮かべていた。
なぜなら、テラスでは谷あいに建設されたロドニエスを一望できる絶景が待っていたからだ。
「凄く綺麗だ。酔いも覚めそうな程に」
「そう」
心の底から湧き出た言葉。
山の向こう側から微かにのぞく夕日の残り香ーー
「ゲオニエス帝国。人間の業の誇り高きこと」
ミクルは手すりに肘をついて谷底に身を乗り出すようにして寄りかかる。
俺はなんとなくその姿に近寄りがたいものを感じ……距離を保った。
「大陸からやってきた魔人族の軍勢。屈辱的支配から逃れ3000年……ついに人はここまで発展した。ほら、凄いでしょこの都市」
自慢げなミクルは
たしかにこのロドニエスと呼ばれる都市は凄い。
高低差がどれほどあるかもわからないほど深い谷にたくさんの橋を架け、高層建築物ところせましと谷の傾斜に、そして谷底からつき上がるように建っているのだ。
さらに背の高い建築物どうしには、これまたたくさんの橋が架かり、計画的な建築がされているにも関わらず難解さを感じざるをえない複雑性がそこにある。
だが、そんな都市ロドニエスの素晴らしさを理解できる一方で、俺はミクルの言う言葉の意味は半分もわかっていなかった。
「けれどね……もう長く持たないかもしれない」
ミクルは小さな声で呟いた。
その震える小さな背中に眉をひそめる。
「もうじきこの世界は悪夢に包まれる」
わずかな震えを含むその声音は、待ち受ける運命を拒み何かにすがりたがっていた。
俺にはその恐怖する声に聞き覚えがあり、どことなく懐かしくもあった。
が、依然として話が見えない。
一体何が言いたいのだろうか。
魔人族? 悪夢に包まれる?
うちの娘に似てるこのミクルとかいう嬢ちゃんはそういう年頃なのかな?
ヘレンはそういう事なく健やかに育ってくれたが、大半の若者はみな闇を抱える時期があるって言うし……。
半眼になってミクルを見つめる。
「ねぇ、ちょっと話聞いてるの? 今すごく、すっごぉーく大事な話してるんだけど?」
悩ましいジレンマから逃れ微かに瞳を開ける。
すると目の前には大きな緑瞳で険しくこちらを睨みつけるミクルが立っている事に気づいた。
腕を組んで薄い胸をさらに平たくしている。これならば世界で一番可愛くとも飢えた狼どもにいやらしい視線を向けられることはないだろう。
「はぁーこんなんで本当に大丈夫なのかなぁ……」
「悪いな、少し考え事してて」
眉間を押さえ疲れた顔をするミクルはつかつかと歩き、勢いよくテラスの手すりに腰かけ足を投げ出した。健康的な白い足が宙ぶらりんの状態になる。
「ッ! ヘレン! 降りなさい! 危ないだろ!」
口走りすかさず駆け寄ろうとする。
が、すぐに自分がやらかしてしまったことに気づき意気消沈。
「な、何? すごく怖いんだけど……」
「あぁその、ごめん、ちょっと酔っててさ」
ガチでドン引きするミクルにゴミを見るような眼差しを向けられ、ショックのあまり後ずさる。
親としてはーーではなく、俺としては谷底に落ちるんじゃないかと危険に思った次第だが、相手にとっちゃそんな事は関係ない。
酔っていなければミクルは俺のことを狂人か何かだと勘違いしたかもしれない所だった。
危ない危ない、ふぅ。
「頭イカれてそうだけど、まぁいいや。どうせ
ぁ、ごまかせてなくね?
「アダム・ハムスタ」
やっちまった事実に打ちひしがれる俺の耳へ厳格な声音が侵入する。
幼くも覚悟を決めた者の声だ。首をもたげミクルの見上げてくる瞳を正面から見据えた。
「まず確認したい事はあなたは転生者ね?」
「ッ、なんでそれを?」
いきなり心臓を突かれたような感覚を覚え、とっさに聞き返す。冗談じゃなくマジで酔いが覚めた。
「なんで、ね。それはあなたを呼んだのは私の仲間たちだからってところかな」
ミクルは視線を外さずに淡々と言葉を紡いでいく。
俺もまたそんな少女に目線を合わせ続けた。
なぜならばこの少女、ミクル・アゴンバースが昨日から始まった不思議な出来事について知っているーーそんな確信に近い予感を覚えたからだ。
「そうか呼び出したか。噂に聞く怪しい魔法ならば、もしかしたら可能なのかもな」
「ふーん、あなたの世界には魔法はあったのね。不思議なお話が早くて助かるよ」
ミクルは嬉しそうに微笑むと足をパタパタと動かし始めた。可愛い。
「もしかしたら察してるかもしれないけど、ここはあなたの生まれた世界とは違う世界なの」
えぇ……マジでそうなの?
「ふっ、だろうな」
が、外側くらいは格好つけとこ。
「あなたを見つけられて本当に良かった」
「俺のことを探してたのか?」
「えぇ探していたわ、ずっとずっと、それはもう気が遠くなるくらいの長い時間」
ミクルは目を細め薄っすらと現れだした星空を見上げた。
「なんで探してたんだ? 呼び出したならわかるもんじゃないのか?」
「こっちにもいろいろ事情があるってこと」
そういうものなのだろうか。
俺には世界とか、魔法とかそういうものには詳しくないのでいまいちぴんとこない話だ。
これもずっと拳を鍛え続けてきた
「まぁいいだろう。それで何の目的があってこのネオボクシング20階級制覇、ネオ柔道ガラパゴス国際大会15連覇、MME総合格闘技28連覇を成し遂げ、さらに地元のネオポークしばき合い大会無差別級では126ーー」
「あーそういうのいいから。あとで履歴書にでも書いておいて。絶対読まないけど」
「冷たいッ……!?」
元の世界なら腰を抜かして驚かれる俺の伝説的武勇伝の経歴を足蹴にするなんて!
ん、もしやこの世界にはネオポークしばき合い大会が無い……?
俺は真理のような何かに辿り着いたような気がして血の気が引いてくのを感じた。
「あんたは、とある敵を倒すために呼ばれたの」
「ある敵を? 一体何を倒せって言うんだ?」
「それはね……
少女が核心に触れ、ニコりと笑みを深めたその時。
店内から野蛮な暴力の香りがしはじめたーー。
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