第2話 立花貴登喜の回想 後編★
私は今、立花本宅らしきものの前に来ている。
来ているのだが…コレを家というのだとしたら私の今までの常識を少し改めなければならないだろう。
右を見ても左を見ても延々と続く白い壁、所々に通用門らしき扉は見えるが果たしてどこが正面なのかもわからない。
駅前のコンビニで立花家を聞いてバスに乗り、降りた先がこの場所だった。
バス停の名前は「立花本宅東詰」……
名前から察するに西詰もありそうだ。
私はとりあえず壁沿いに西側に向かって歩いていく。
駅前のコンビニもだがバスの運転手に聞いても「行けばわかる」と言っていたが確かに迷う方が難しい。
歩きながら私は、あの日彼女に言われたことを頭の中で反芻していた。
「男性としてはお慕い申し上げております」か…
その前のパートナー云々はあえて考えないようにしている。思い出すだけでも背筋が寒くなる。
今時「お慕い申し上げております」もないと思うがそんないい回しも彼女らしいと思ってしまう。
正直なところは私は彼女のことを好きなのかと問われると"否"と答えるだろう。
女性として見ようとしても、その美しさよりあの氷のような威圧感のほうが先にきてしまいどうしても萎縮してしまう。
故に私はこうして彼女の彼女たる部分を確かめために立花本宅を訪れたのだ。
しばらくていうには長い時間を歩きようやく正面入口らしき門──正に門というのが相応しい威容だった──辿りついた。
「あの…真田と申します。立花和さんはいらっしゃいますでしょうか?」
私は門の横の守衛室にいた青年に声を掛ける。
「真田様….でございますか。和様にどういった御用件でございますでしょうか?」
柔らかい雰囲気のその青年はそう私に問いかける。
何と答えるべきか…少し躊躇した私は青年に答える。
「先日お会い致しまして、興味があればこちらを訪ねるように、と」
「…興味があれば…でございますか?」
「はい」
青年は訝しむように私を見てから部屋の中の電話をとった。
「是蔵でございます。…はい…和様にお客様で……はい…真田様と…はい、かしこまりました」
是蔵という青年は受話器を置くと守衛室から出て来て私に深々と頭を下げた。
「和様の大切なお方とは存じ上げず誠に申し訳ございません。平にご容赦のほど何卒お願い致します」
「えっ?いや…あの、頭を上げてください。それに大切なお方って?」
是蔵青年はそれでも尚しばらく頭を下げていたがゆっくりと頭を上げ私に向き直り真っ直ぐと私を見つめた。
「和様から大切な方であるから失礼のないように本宅まで案内するように仰せつかってございます」
さぁどうぞ、と言われ私は訳もわからずに巨大な門をくぐって中に入った。
「……何コレ?」
そこは美しく刈りそろえられた芝生が広がり西側には竹林があり小川が流れ東屋が何軒かありまるで大きな公園のようだった。
是蔵青年は私についてくるように頼み、遠くに見える建物に向かい歩きだした。
私は理解が全く追いつかずにただただ後をついていくだけだった。
途中、何人かの人とすれ違ったが皆どこか独特の雰囲気を持った人ばかりで何か違う世界に迷い込んだ感覚さえ覚えた。
やがて眼前に現れた本宅は私の想像の遥か上をいくものだった。
"屋敷"とはこういうときに使う言葉なのだろう。
屋敷に入り通されたやけに落ち着かないリビングで私はソファに一人で座って彼女を待つ。
高々20年程の人生だが、これほど緊張したのは後にも先にもこの時だっただろう。
「お久しぶりですね。貴登喜さん」
そう言ってリビングに入ってきた彼女はいつものように着物を隙なく着こなしている。
「お久しぶりです。立花さん」
「和です」
「は?」
「私の名前は和です。和と呼んで頂いて結構です」
「えっと…和……さん」
「…まぁいいでしょう」
僅かに肩をすくめて彼女──和さんは改めて私に向き直り向き直り少しだけ頭を下げた。
「貴登喜さん、私を選んで頂けたと思ってよろしいのでしょうか?」
「ええ、そのつもりですが少しお話を聞かせて頂けないかと思いまして」
「話ですか?」
私と和さんが話し始めるタイミングでリビングの扉から入ってきた初老の女性がコーヒーを私に紅茶を和さんの前に置き静かに出て行く。
「それでお話というのは?」
「はい、単刀直入に伺います。和さんは私のことが好きなのですか?」
「ええ、そう申し上げましたが?」
「それは何故です?はっきり言って私と貴女には接点も同級生だということくらいしかありません。それも話したことなど数えるくらいしかないのでは?」
「そうですね」
「それではいったいどうして?」
私と和さんは確かに小学校の同級生ではあるが、本当に数えるほどしか会話をしたことがない。
まして、先日の再会が10年ぶりくらいだ。
「…一目惚れでしょうか…」
「一目惚れですか…?」
「俗っぽい言い方をするなら、私の中にある感情をあえて表現するとそうなりますね」
和さんは白くしなやか指でほつれた髪を直しつつそう言って微かに微笑んだ。
この瞬間、彼女のその微かな微笑みを見た瞬間に私の人生は決まったと言っても過言ではないだろう。
こうして私と和さんは晴れて恋人同士になった。
それからの卒業までの一年は激動の一年だった。
私は少しでも和さんの力になりたくこれまで以上に経営学を学んだ。それは必死に。彼女のためだけに。
そんな私に彼女は特に感謝の言葉をかけるわけでもなく飄々としたものだった。
大学を卒業した私は周囲の冷たい視線に晒されながらも彼女と結婚し立花家に婿養子に入った。
それから5年、長男の皐月が生まれるまで私はがむしゃらに立花の家長として以前にも増して働きに働いた。
働きが認められたのかその頃には、周囲の人々も私を和さんの婿ではなく、立花貴登喜と認識してくれるようになっていた。
◇◇◇
そんなある日。
私と和さんは初めて2人きりで一泊2日の旅行に出かけた。
行き先は九州のとある有名な離島だった。
「初めてですね、こうして2人で出かけるのは」
「ええ、そうですわね」
広大な森の中を歩いていく。季節はもう秋に近くなっており少しひんやりとした空気が気持ちよかった。
さすがに和さんも普段の着物姿ではなく真っ白なワンピースを着てつばの広い帽子をかぶっている。
「和さんはそういう服装も似合うと思いますよ」
「そうですか?ほとんどこういった服は着たことがありませんから」
そよそよと風が吹いて彼女の綺麗な黒髪を流してゆく。
しばらく歩いていくと見晴らしのいい展望台にたどり着いた。
展望台のベンチに座って穏やか風に身をまかせる。
ふと気づくと私の右手を彼女がしっかりと握っていることに気がついた。
「和さん?」
「貴登喜さん…今から言うことは私の独り言だと思ってください。そしてこの旅から帰ったら忘れてください」
「……はい」
和さんはそう言うとゆっくりと話しだした。
「私は幼い頃から立花の家を守り継ぐことだけを教えられて生きてきました。幸いなことに自分で言うのもおかしいですが私には数え切れないほどの才能がありました」
「ええ」
「本当に小さな頃から私は家と立花宗家を継ぐものとして…沢山のものを犠牲にしてあるいは捨ててきました」
「………」
「その犠牲にしてしまったものや捨ててしまったものの中にはきっと大切にするべきものもあったのかもしれません」
でも…と和さんは言葉を区切り。
「後悔はしていません。そしてこれからもしないでしょう。代々受け継がれてきた立場を継ぐものとして当然だと思っています」
和さんは、ふぅと息を吐いて私を見つめる。
「私は今までずっと自分を律して生きてきました」
私を見つめる和さんの瞳にはいまにもこぼれ落ちそうな程涙がたまっていた。
「ですが…でも…わたしも!わたしだって……」
彼女はポロポロと涙を零して私にすがりついて泣きじゃくった。
きっと辛かったんだろう、今まで誰にも言えずにただ1人。
あの立花宗家という巨大な遺物をこの細くて折れてしまいそうな肩に担いで……
堰を切ったように咽び泣く和さんの頭を撫でてあげながら私もそれに気づいてあげれなかったことを悔やんだ。
しばらくして落ちいた和さんは珍しく照れたように顔を背けた。
「ねぇ和さん…いや和」
和さんがハッとして振り返る。
「和は無理をしすぎなんだよ。私はね…確かに頼りないかもしれないけどキミの夫なんだ。ちょっとは頼ってくれてもいいんだよ」
「……貴登喜さん」
「まぁ私に出来ることなんかたかが知れてるけど、そうだね……2人でいるときだけは今の和でいてくれると私は嬉しいね」
私はあえておどけた口調で話し彼女を抱き締める。
「貴登喜さん……」
「試しにその堅苦しい話し方を今日はやめてみないかい?私も友人達と話すように話すからさ」
「え…でも…私ずっとこうやってきましたので」
「ほらほら、頑張って」
「あの、えっと、は……うん?」
「ははは、うん。その調子だ」
私と和はそうして今まで何となくあった2人の心の距離を縮めていった。
初めて付き合いだした恋人のように。
「なぁ和。記念に写真を撮らないか?」
「写真?」
「うん、ほら丁度登山者の方が登ってきてるし頼んでみようよ」
「は…うん。私も撮りたい」
「よし、じゃあ〜和、頼んできて?」
「ええっ!私が?」
「そう、僕が頼むより綺麗な女性が頼んだほうがいいだろ?」
「………うん。頑張ってくる!」
そう言って登山者の方に駆け寄っていく彼女は幼い少女のようにキラキラとして眩しかった。
きっとあれが本来の"立花和"なんだろう。
「ねぇ!貴登喜!写真撮ってくれるって!」
「ははは、そっか」
太陽のような笑顔で私に手を振る彼女は今までの彼女とはまるで別人のように輝いていた。
「いやぁ〜羨ましいですね〜こんな綺麗な彼女さんがいて」
「ははは、ありがとうございます」
年配の登山者にカメラを渡してお願いする。
「じゃあ撮りますよ〜ハイチーズ!」
◇◇◇
あれからもうすぐ20年か……
私は竹林の中の茶室で小さな額に入った写真を眺めていた。
「ふふふ、いつ見てもステキな笑顔だ」
写真の中の妻に向かって話しかける。
「そろそろ出ないと遅れるわよ?貴登喜」
「ああ、ごめんごめん。すぐに行くよ」
「何見て……あの時の写真?」
「うん、ここは僕の茶室だからね。こうして飾っているんだよ」
「恥ずかしいわ…」
「ははは、大丈夫だって。ここには僕か和、それに皐月くらいしかこないだろ?」
「ちょ、ちょっと!皐月に見られたらどうするのよ!」
「さぁ?」
「さぁ?って!貴登喜!待ちなさいって!もう!」
茶室の出口で私は妻と軽く口付けを交わしてから竹林にでる。
「じゃあ行ってくるよ。和さん」
「ええ、いってらっしゃい。私は今日も遅くなりますから先に寝ていて下さい」
「ああ、わかりました。じゃあ」
私と和さんは本宅の前で別れる。
私を見送る和さんは、もういつもの宗家立花和の顔をしていた。
彼女の、立花和の素顔を知っているのは私だけでいい。
何故なら彼女のあの笑顔は私だけに向けられたものなのだから……
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