⑥天使の舞

 窓から見下ろすと、町や村が燃えていた。悪魔の魂になった人たちが、暴れているのだ。

「世界中が同じようになってしまうのかしら」

 エレナの言葉に、恐怖でみんなの顔があおざめる。

「マイヤー、急いで!」

 コハクは胸が痛んだ。平和のためだけれど、おじいちゃんにも、責任の一端があるのだ。

 数分後、コハクたちのエア・カーの前に、太陽を反射して、鏡のように輝く、コーパル湖があらわれた。

「きれいね」

 イーライが思わずため息をもらす。

「地上から見るのと全く違うや」

 アルウも息をのむ。

「何度もエア・カーでここに来たわ……」

 コハクは、空間の異変を感じていた。

「次元の扉が開いてるにゃ。大天使ベルがぼくらを導いてるにゃ」

 ダイアンがまっすぐ前をみる。

「あの光の筋が入り口にゃ」

「急いで!」

 コハクが運転席に顔をのりだした。

「カシコマリマシタ」

 マイヤーが、アクセルを思いっきり踏んだ。

 その瞬間、ピンクゴールドに輝く、光の世界がひろがった。

「ワアッ!」

 あまりの美しさに車内が歓声であふれる。

「あそこよ!」

 いつも冷静なイーライが興奮しながら遠くを指さす。

 エア・カーの前に、大きな大きな光の雲が広がっていた。その雲の最も高いところに、金色に光りかがやく、巨大な神殿があった。

「あそこに直進するにゃ」

「ハイ!」

 マイヤーがアクセルをギュウと踏む。

 エア・カーがグンと加速した。いく本もの光の粒子が、流れ星のようにむかってくる。

「わぁ、きれい」

 コハクの胸は高鳴り、頬がほてる。

「天使の王国って、こんなに美しいのね」

 大人しいイーライも、珍しく頬を赤らめ、うわずった声を上げる。

「エジポン博士は、地球をこんな世界にしたかったのよ」

 エレナの言葉にみんなは何度もうなずく。

 やがてエア・カーは、バターのように、光に溶け、天使の神殿に吸い込まれていった。


 エアカーが着陸したのは、巨大な神殿の正門だった。

「黄金の扉だわ」

「すごく大きい。巨人が住んでるのかしら」

 エレナが門の最も高い所を見上げ、目を見はる。

「どうやったら、開くんだろう」

 アルウが用心深く扉を触る。

「おいらにまかせるにゃ」

 ダイアンは、扉の前に立ち、

「開け、ごにゃ」

 と、思いっきり叫んだ。

 だが、扉はぴくりともしない。

「開け、ごみゃ」

 もう一度叫んだが、だめだった。

「もう、ダイアン、本当に開くの」

 あせるコハクは、きつくダイアンを見る。

「コハクちゃん、ダイアンは一生懸命なのよ」

 イーライが、ダイアンを抱きかかえ、労るように頭をなでる。

「もしかして、発音が悪いのかしら」

 アルウはエレナの言葉にピンときたのか、

「開け、ゴマ!」

 と、ゴマにメリハリつけた。

 すると、巨大な金の扉が、音もなくすっと開いたのだ。

「やったぁ!」

 コハクは飛び上がり、はしゃぎながら神殿にかけ込んだ。

「コハクちゃん、危ないわ用心して!」

「心配ないわ、だって、天使の神殿なのよ」

 コハクは、イーライの心配をよそに、神殿の光の通路を、奥へ奥へとかけていった。

 何もかもが巨大だった。通路は、馬が百頭並んでも、楽に走れる幅広く、通路の両脇に立つ、無数の巨大な金の列柱は、まるで天まで届きそうなほど高かった。しかも、最も高いところは、目を開けていられないほど金色に輝いているのだ。

「あ、また大きな扉だわ」

 コハクの足が止まった。

「開け、ゴマ!」

 メリハリつけて、アルウは声を上げたが、今度は反応がない。

「どうしたら開くのかしら」

 イーライが腕をまっすぐ伸ばし、巨大な扉を両手で押す。

「開くわけないよ」

 アルウは扉もたれ、鼻でわらう。

「あたしも押すわ」

 コハクとエリナも、イーライの横に並んで、ググッと押した。

 すると、どうだろう。扉がふわっと音もなく開いたのだった。

「痛ててて」

 アルウは、扉に寄りかかっていたので、いきおいよく、尻もちをついた。

「天使さまの扉に寄りかかるなんて、ばち当たりするからよ」

 コハクがクスッと笑い、アルウの手を引く。

「神殿の中庭に着いたにゃ」

 庭には、赤や紫、黄色、ピンク、ブルー、色とりどりの花が咲き乱れ、見上げると、天井はなく、青い空と、ふわふわの雲が、のんびり漂っていた。

「あの建物が天使さまのお家なのかしら」

 コハクの見つめる方に、太いヒノキの鳥居があり、その先に、まるで神社のような造りの、木で出来た大きな建物があった。

「さ、入るにゃ」

 ダイアンが小さく頭を下げ、鳥居をくぐりぬける。コハク達も同じようにしてダイアンに続く。

「ここで手を洗うのね」

 エレナが、水盤にあふれる、よく冷えた水で手を洗い口をすすぐ。

 みんなもエレナと並び、作法をまねる。

「先にいくにゃ」

 ダイアンが、スタスタと、中に入っていく。

「ダイアン、手を洗わないの?」

 コハクが呼び止める。

「おいらは天使猫だから、フリーパスにゃ」

 水が苦手なダイアンは、ニタッと笑い、先を急いだ。

「行きましょう」

 コハクたちもすぐにダイアンをおう。

 建物の中は、全てが、鏡のように磨かれた、幅広のヒノキ材で出来ていた。天井は高く、明るく、音もなく、外の見かけから、想像できないほど広く静かだった。

「何だか、とってもいい匂い」

 コハクは木の香りを胸一杯にすう。

 どこからくるのか、春の日だまりに吹く風のような、少しひんやりして、柔らかな風が、頬を優しくなでてくれる。

「ほんとね」

 エレナも背をのばし、大きく深呼吸する。

 イーライもアルウも、両手を広げて胸いっぱい息をした。

「お清めの風にゃ。大天使ベルは、みんなを歓迎してるにゃ」

「あそこが天使様の部屋ね」

 エレナが部屋の奥にある、五枚の白い暖簾で仕切られた入り口を見る。

「やった! 大天使ベルに会える」

 コハクは、声を上げ、奥へと走る。

「コハクちゃん、走っちゃだめよ」

 イーライが早足でコハクをおう。

「ここから先は、はいれないにゃ」

「どうして?」

 おじいちゃんを早く助けたいコハクは、とたんに、肩を落とす。

「大天使ベルが現れるのを待つしかないにゃ」

「でも、ハイマンが中にいるかもしれないわ」

 エレナの気が焦る。

「大天使ベルの部屋に、ハイマンは入れないにゃ」

「じゃ、どうして、おじいちゃんとハイマンさんは、大天使ベルの像から、ローズクォーツを持ち帰ることが出来たの?」

「きっとその時は、ハイマンさんも、地球を天使の国にするという純粋な心と、けがれない魂を持っていたからよ」

 エレナの言葉が、胸にすとんと落ちる。コハクは何度もうなずいた。

 その時だった。

 突然、金色の光の玉が現れ、拝殿の全てを、目がくらむほどの金の光で満たした。

「よくきてくれましたね」

 光の中から優しい声がした。

 コハクたちは、うっすらと目を開ける。

 大天使ベルは、純白の羽を広げ、みんなに優しく微笑んだ。

「おじいちゃんとハイマンさんが、悪いことをして、ごめんなさい」

 コハクは思わず声を上げ、ベルの前にひざまずく。

「コハクちゃん、立つのです。あなたが謝ることはありません。おじいちゃんもハイマンも誰も悪くありません」

 ベルは優しくコハクの頭をさすった。

「でもエンジェルランドは、悪魔の国になってしまいました」

「わかってます。でも心配はいりません。もうじきハイマンが、わたしのローズクォーツを返しに来るでしょう。それで全てが元通りになります」

 大天使ベルが話し終えると、

「やっとお姿をあらわしましたね」

 ハイマンの冷たい声がした。

「ハイマンさん、大天使さまに、ローズクォーツを返して!」

 コハクは、あの優しかったハイマンが、どうしておじいちゃんを裏切ったのか、信じることが出来ない。

「もちろん返すさ。ただし、このブラッククォーツをね」

 ハイマンは背広のポケットから、黒い玉を取り出した。

「どうしておじいちゃんを裏切ったの」

 コハクがきつい目でハイマンを見上げる。

「天使フィルターは、おれとエジポンが発明した。おれがいたから、この発明は世に出たんだ! だが、世界はエジポンだけを天才だと褒め称えてやがる!」

 コハクの目頭に涙が浮かんだ。

「博士は、あなたを世界に紹介したわ」

 エレナは、世界が喜びにわいた、あの記者会見をリアルに思い出した。

「だまれ!」

 ハイマンはヒステリックに叫び、デビル銃をかまえた。

「ハイマンさん、やめて」

 コハクが両腕を大きく広げ、大天使ベルを守るように立つ。

 ダイアンが、コハクの肩に乗り、羽を目一杯広げる。

 みんなコハクの両脇に立ち、横に並んで手をつないだ。

「おまえら、一人ずつ地獄に落としてやる。まずは、コハク、おまえからだ」

 ハイマンの氷のような冷たい目が光った。

「ハイマンさん、やめて」

 コハクは、恐怖に震えながらも、ハイマンから目を逸らさなかった。

「黙れ、ガキ」

 ハイマンは大きく目を見開き、銃のトリガーを引いた。

「あっ」

 コハクの目の前が真っ白になった。時間が止まったように感じる。

 次の瞬間、体がふわっと浮いた。しかもどこからともなく、心がはずむ、ポップなメロディが聞こえてくる。

 コハクは、怖々と目をあけた。

 拝殿の全てが、ピンクゴールドの光で満たされていた。

「天使さま」

 コハクの大きな目に、純白の羽を広げた、大天使ベルの姿が、飛び込んできた。しかもベルは、拝殿をステージに、楽しく軽快に踊っている。さらにダイアンまでもが、ベルの周りをぐるぐる飛びながら愉快に踊っているのだ。

「ハイマンさんが……」

 イーライが指さす方にコハクが目をむけると、何と、ハイマンまでもが、ベルの周りを、楽しそうに踊っていた。

「いったい何が起こったの」

 エレナも呆気にとられ、口をぽかぁんと開けたままだ。

「ダイアンもハイマンさんも、楽しそう」

 イーライの口から笑い声がはじける。

「どうなっちまったんだ」

 アルウも楽しくなって、手を広げ、ベルの周りをぐるぐる駆けだした。

「さ、あなたたちも、一緒に踊りましょう」

 ベルが大きな瞳でウインクした。

「わーい」

 コハクがすぐに、踊りの輪に飛び込んだ。

 つられてエレナもイーライも、マイヤーまでもが、踊りの輪に入った。

 軽快な音楽が耳に心地よく、心が弾み、手も足も、リズムに合わせて勝手に動く。幸せの笑いが、おなかの底から、こみあげてくる。

「楽しい」

 コハクは、ベルの顔を見た。

 ベルはまるで我が子を見つめる母のように目を細め微笑む。

 いつのまにか、ハイマンもみんなと手をつなぎ、白い歯を見せて笑っている。

 天使の舞は、舞えば舞うほど、光の輪が広がり、太く厚くなった。光の輪は拝殿からあふれ、天使の神殿も越えてしまい、エンジェルランドを島ごとおおい尽くした。

 コハクはベルに手を引かれ、空高く舞いがった。コハクが怖がっていると、ベルが優しく微笑んだ。コハクはまるで母の腕の中にいるように安らぎ、意識が遠のいた。

 

 ……むかしむかし、今から一万年ほど前の、ある日のこと、天国にいたある天使が、地上を見たくなって、雲の上からダイブした。

 天使は純白の翼をひろげ、青く広がる空を自由気ままに飛んだ。

 翼が風を切り、耳もとで、ビュンビュンうなる。

 天使は、風の音に魔法をかけ、ノリノリの音楽に変えた。すぐに、メリハリの利いたリズムが耳にはじけ、心は踊った。

 天使は、リズムに乗って、どこまでも高く、どこまでも遠くへ飛んだ。

 やがて、エメラルドのような海と、ミルクパンみたいな、ふわふわの雲があらわれた。

 南の海だった。

 天使は翼をかたむけ、大きく弧をえがくように飛んだ。すると、海のほくろみたいな、小さな島が見えてきた。

 天使はその島でひと休みすることにした。

 その島は、みわたすかぎり、岩と砂ばかりで、木や草も、コケすらない殺風景な島だった。

 天使は、人間がいないのを確かめると、翼をたたみ、足を伸ばして砂浜に横たわった。

 潮騒の音、海風、磯の匂い。くりかえす波と泡が、足に心地よく。うっかり、ひとねむりした。

 気がつくと、太陽が傾きはじめ、空と海が金色にそまっていた。天国に帰る時間が迫っていたのだ。

 天使は、慌てて立ち、白い翼を広げて、今にも飛び立とうとした。

 そのときだった。

 岩かげから、何かがとびだし、天使の足にキバのようなもので噛みついたのだ。

 天使は驚き、慌てて空に飛んだ。

 空高くまで来て、天使は足の方を見た。すると、何と十一歳くらいの少女が、必死で足にしがみついていた。しかもキバと思ったものは、少女の骨のように痩せた五本の指だった。

 少女は天使と目が合うと、真っ直ぐみつめ、

「わたしたちの島には、わずかな水と食べもしかありません。それでも、みんなで分かち合ってきました。けれど、水も食べ物も、あとわずかです。このままだと、みんな死んでしまいます。

 天使さま、どうか、わたしたちを助けてください! 助けてください!」

 涙を浮かべながらうったえた。

 天使は、少女の命がけの勇気と、やさしさに心を強くうたれ、

「あなたの望みをかなえてあげましょう」

 そういって、やさしく微笑んだ。

 少女は安心したのか、気をうしない、そのまま落ちていった。

 天使は急いで、少女をおいかけ、手をとり、ふたたび空に舞いあがった。

 天使は少女の意識がもどると、もっと空高く飛び、海のほくろのような、小さな島を見せた。少女の島だった。

「島の人間たちに、天使の心があるかぎり、神のめぐみあれ!」

 天使が、やわらかく、しかし、よく通る声で、祝いの言葉を口にした。

 すると、島がどんどん大きくなって、天使が翼を大きく広げたような姿になった。しかも、島の全てが緑でおおわれ、山々から水があふれ、何本もの川ができた。人々は救われたのだ。

 島の人たちは、大喜びし、天使に感謝した。そして、天使を祭る大きな神殿を小高い山の湖に建てると、島はエンジェルランドと呼ばれるようになった。

 それからのち、島の人たちは、おたがいを思いやり、温かな言葉をかけあって、助けあいながら、魂を磨き続けたのでした……。

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