②ストレス

 八月も終わりに近づいていた。やっと夏休み最後の登校日が終わる。

 コハクは、ピンクの四角いリュックをコトコト揺らしながら、逃げるように教室を出た。

 相変わらず、小学校では、天使フィルターの話題でもちっきりだったからだ。

「おじいちゃんのせいよ」

 コハクは小さく呟き、廊下を駆ける。

 エジポン博士が一躍有名になったので、コハクは博士の孫ということで、メディアの注目を浴び、毎日のように、見知らぬ人から声をかけられ、心が参っていたのだ。

「コハクちゃん、まって」

 リュックを軽く引っ張られた。振り向くとイーライが肩で息をしている。

「一緒に帰ろうって声をかけたのに、どんどん走るからびっくりしたわ」

「ごめん」

 コハクは小さく頭を下げた。

「急いでた?」

 イーライが横に並んで歩く。

「おじいちゃんの発明のことで、みんなから、あれこれ聞かれるのが嫌なの」

「エジポン博士、有名人になったからね」

「知らない人にあとをつけられたり、しつこい電話がかかってきたり、もう、うんざりよ」

「コハクちゃん、呼び止めて迷惑だった?」

 イーライが、申し訳なさそうにいう。

「そんなことないよ。イーライちゃんは友達だから」

 コハクは笑ってみせた。

「よかった」

 イーライは、安心し、にっこりする。

 校門が見えてきた。アルウが二人に大きく手を振る。

「あれ、アルウくん、早いわね」

 コハクは少し驚く。

「今日は、夏の課題してたから、残されなかったよ」

 アルウは嬉しそうに顔全部で笑った。

「今日は遊べないよ」

 コハクがそっけなくいう。

「コハクの周囲、騒がしいもんな」

 アルウは気の毒そうに見た。

「みんな、おじいちゃんのせいよ」

 最近のコハクは、いつもピリピリしている。

「変な奴にからかわれた?」

「毎日、毎日、どこにいっても知らない人に待ちぶせされたり、声をかけられたり……」

「有名になるのも辛いわね」

 イーライが、肩を落とす。

 コハクは、無言でうなずく。

「あたし帰る」

 校門を出ると、コハクは走りだした。

「待って!」

 慌ててイーライとアルウが、おいかける。

 しばらく歩いていると、草原の坂道に、真っ赤なエア・カーが駐車していた。

 コハクたちが、車の横を通り過ぎようとすると、エア・カーからシニヨンの若い女の人が降りてきて、

「エジポン博士のお孫さんね」

 と、コハクを呼び止めた。

「ちがいます!」

 コハクは強い口調で否定し、歩き続ける。

「君も博士のお孫さん?」

 今度はアルウが呼び止められた。

「ち、ちがいます」

「じゃ、コハクちゃんのボーイフレンドかな」

「そんなんじゃありません」

「アルウ、何してるのよ!」

 コハクが振り返り、きつく見る。

「だってこの女の人が」

 ためらっているとコハクが血相変えてやって来て、アルウと女の人の間に立った。

「もういいかげんにしてください」

「コハクちゃんね」

「そうですが」

「はじめまして、天使新聞のエレナです」

「知ってます」

「どこかでお会いした?」

「記者会見でおじいちゃんに質問してた記者の人でしょう。あたし、人の顔を一度で覚えられるんです」

「さすが博士のお孫さんね」

「おじいちゃんに用があるなら、直接研究所に行って下さい。あたしに発明のこときかれても、何もわかりませんから」

 コハクは背の高いエレナを見上げた。

 エレナは、ヒールを履かなくても一七〇センチはありそうだ。モデルのように手足も長く、艶のある亜麻色の髪を、シニヨンに綺麗にまとめている。

「ごめんね」

 エレナは、コハクの目の高さまですっと屈み、名刺を手渡してやさしく微笑んだ。

「何の用ですか?」

 コハクは名刺をちらとみる。

「コハクちゃんに、会いたかったの」

 もういちどエレナが微笑む。

「会えたから、もういいですよね」

「引き留めてごめんなさい」

「あたし帰ります」

「お家まで送るわ」

「けっこうです」

 コハクは、ずんずん、歩き出した。

「ど、どうも」

 アルウとイーライもエレナに小さく挨拶し、急いで走り出す。

「コハクちゃん」

 エレナがもう一度呼びかける。

 コハクが振りかえる。

「あたしエジポン博士を尊敬しているの。だから博士の発明が世界中で認められることを祈ってるわ」

 コハクは黙ってエレナをみつめた。

「だから」

 エレナは続けた。

「だから、コハクちゃん、これから大変なことが沢山あるかもしれない。もし何か困ったことがあったら、遠慮なくあたしに連絡して。あたしはあなたの味方よ」

 エレナは小さくコハクに手をふり、真っ赤なエア・カーで飛び去った。

「……」

 三人の前から赤いエア・カーが遠ざかる。

「コハクちゃん、大変ね」

 イーライがあきれ顔でいう。

「毎日、色んな人が声をかけてくるの」

 コハクは大きくため息をつき、あごをつきだした。

 三人は緩やかな草原の坂道をのぼる。ブドウやオリーブ畑に、夏のあたたかな風が吹き、緑の草が、海のようにざわめき波うつ。

 いつのまにかイーライの家の前だった。

「コハクちゃん、アルウくん、おやつ食べていかない?」

 イーライはいつも優しい。

「あたしはだめ。また誰か家に来てるかもしれないから、早くお家に帰らないと」

 コハクはまっすぐイーライを見つめる。

「アルウくんは?」

 イーライがアルウの顔をのぞき込む。

「あ、ぼくも用事があるから帰らないと」

 アルウが頭を掻きながら返事する。

 イーライは残念そうに微笑み、

「あした、遊ぼうね」

 手を振りながら、玄関のドアを開けた。

「うん、またあした!」

 コハクとアルウが笑顔で大きく手を振る。

 イーライが家に入ると、二人は横に並んで歩き出す。

「ほんとは用事ないんでしょ。せっかく誘われたんだから、おやつ食べればよかったのに」

 コハクが横目でアルウをみる。

「やっぱり三人のほうが楽しいから」

 アルウは後ろ首をぼりぼり掻いた。

「くふっ」

 コハクはちょっぴり笑う。

「また誰か待ち伏せしてるかも」

 アルウは、心配そうにコハクの横顔を見る。

「ありがとう」

 コハクは笑顔で瞳を輝かせた。

 やっぱり一人は心細いのだ。

 二人は歩き続ける。

「あの人、悪い人じゃないわ」

「あの人って?」

「さっきの記者の人」

「そ、そうだね」

 アルウは両手を頭の後ろに組んで気のない返事をする。

「アルウ、あのお姉さん好きでしょう」

「わぁ!」

 コハクの思わぬ言葉に、アルウは足を滑らせそうになる。

「やっぱり、そうね!」

「ち、ちがうよ」

「だって美人だし、声をかけられて嬉しそうだったじゃない」

 コハクは悪戯っぽい目をして微笑み、走り出す。

 アルウもすぐに、おいかける。

 やがて小高い丘に、白いレンガで造られた、コハクの家が見えてきた。

「じゃ」

 アルウが、にっこり笑い、手を上げる。

「またね」

 コハクも微笑み、手を振る。

 アルウが行ってしまうと、コハクは肩ヒモを両手でグイと引き、ピンクのリュックを持ちあげた。それからいっきに家までの坂を駆けのぼった。

 家の玄関が見えた。すると、濃い茶色のねこが、走ってきた。

「ダイアン、ただいま」

「おかえりにゃ」

 ダイアンは、コハクに遠慮なく飛びつき、リュックによじ登る。

「もう、リュックが、ぼろぼろよ」

 いつものことながら、コハクはダイアンのこのクセに、どうも慣れない。

「かつお節、食べたいにゃ」

 さっそくおやつのリクエストだ。

「マイヤーに頼んでたはずよ」

「マイヤーは、カロリーオーバーとかいって、おやつくれないにゃ」

 ダイアンは、ふんがいする。

「そりゃ、そうよ。最近、太ってるよ」

「いまがベスト体重にゃ」

「その大きなお腹が?」

 コハクはダイアンを抱きかかた。両腕にズッシリ体重がかかる。

「やっぱり重いわ」

「ばれたにゃ」

 ダイアンは、がっかりして、うなだれる。 コハクは、ダイアンを抱いたまま、玄関のドアを開け家に入った。

「コハクか」

 まだ午後の二時だというのに、珍しくおじいちゃんの声がする。

「ただいま」

 ダイアンがコハクから飛び降りる。

「おじいちゃんに買ってもらった、新品の四角いリュック、泥で汚れてしまったの」

 コハクはピンクのリュックを床に降ろす。

「ルッチョラで洗えばすぐに新品同様になるよ」

 ルッチョラは、直径六十センチぐらいの透明な球体で、洗い物を中に放り込めば、特殊な菌が、瞬速で汚れを分解する洗濯ロボだ。

「やった!」

 コハクは大喜びして跳び上がり、さっそくリュックをルッチョラの中に放り込んだ。 

「これでよし!」

 コハクがフタを軽くぽんぽんと叩く。

 ルッチョラの円い透明のフタが閉まる。

「アライマス」

 ルッチョラはホタルの光のような、やや緑がかった黄色い光を発し、部屋の中をゆっくり転がりはじめた。

「そのままほっとけば洗濯から乾燥まで自動でしてくれるよ」

 エジポン博士は両手をズボンのポッケにつっこみ、微笑んだ。

「おじいちゃん、いつもすごいね」

 コハクは尊敬の眼差しで、目を輝かせた。

「ジュース飲むか」

「うん」

「マイヤー、すまないが、ジュースを頼む」

「モギタテノ、ブドウモアリマス」

 マイヤーが冷蔵庫のよく冷えたブドウのホログラムを空間に浮き上がらせた。

「ブドウか、美味しそうだ。一緒に頼むよ」

「ハイ」

 マイヤーは、ジュースとブドウを、すぐに冷蔵庫から持ってきた。

「ありがとう! マイヤーも一緒にジュース飲もうよ!」

 コハクが呼ぶと、

「アリガトウ、ゴザイマス」

 マイヤーが、コハクの左側に座る。

 コハクはおじいちゃんとマイヤーに挟まれ、満面の笑顔をみせた。

 その時、ダイアンが、マイヤーの肩に飛び乗った。好奇心旺盛なダイアンにとって、マイヤーは格好の遊び相手だ。

 ところがマイヤーは、

「ハクション、ハクション」

 突然、咳き込んで、くしゃみが止まらない。

 ダイアンは、遊び相手にならなくて、つまらなさそうに、後ろ足で耳の裏を掻いた。

「今日ね、シニヨンの女の人に声をかけられたよ」

 コハクはジュースをゴクリと飲んだ。

「シニヨンの女の人?」

 おじいちゃんはキョトンとしている。

「記者会見の時に、おじいちゃんの発明をロマンチックな発明っていった女の人」

「ああ……あのお嬢さんか」

 ようやく思い出したのか、博士は、ゆっくり二、三度、うなずいた。

「エレナさん、おじいちゃんのこと尊敬してますって」

 コハクはブドウを一つ摘まみ、口に放りこんだ。

「それはありがたいな」

 おじいちゃんは、コハクの話を聞くのが嬉しくて、顔全部で笑った。

「おじいちゃん、今日はめずらしいね」

「そうか」

「だって昼間なのに家にいるんだもの」

「たまには休まないとな」

「じゃ、今日は、ずっとお家にいるの?」

 コハクは目を輝かせ、瞬きする。

「そうだよ」

 おじいちゃんは微笑みながら、うなずく。

「やった!」

 コハクはソファの上に立ち上がり、繰り返しジャンプした。

「コ、コハク」

 小柄なエジポン博士が上下する。

 ダイアンもコハクと一緒にジャンプする。

 しばらく笑顔だった博士も、揺れて気分が悪くなったのか、

「コハク、そろそろ座りなさい」

 さすがにコハクをとめた。

「はーい」

 コハクがちょこんと腰かける。

 おじいちゃんは、柔らかなえがおで、左手をのばしコハクの頭をくしゃとなでた。

「今日はずっと家にいるから」

「やった!」

 コハクは、幸せそうに笑った。

 今日は家族団らん、楽しい一日になりそうだ。

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