第1話救済を知る夜


 神室 桂屠はスーツケースを片手に冬の冷え込む深夜の浜辺を、一人で歩いていた。


 東京湾から望める海から潮の香りが漂う。桂屠は二十歳を越えて手入れが必要になった肌にそれを感じながら家に戻ったら風呂に入ろうと思う。


 白の目立つ西洋風な外見の成町駅からは海に向かって、リニアモーターカー専用のトンネルが一直線に伸びている。


 あたりを見渡しても誰もいない。闇が纏うは静謐。


「ここじゃなかったのか?」


 誰も聞いていないことをいいことに桂屠は独り言をつぶやき、一人に不安を感じたのか何気なく耳の精密端末をいじり、瞼の裏に写った時刻を確認する。午前二時三十二分だった。


 なぜこのような時間帯に一人寂しく浜辺に来ているか。それは仕事の緊急連絡があったからだ。


就寝中に届いた電話で、脱走者がいたから海外行きのリニアモーターカーのある駅を見張ってほしい、と上司の黄骸に言われたためである。


 普通の企業ではほとんどないような話だが、桂屠の勤め先は自衛隊の特殊機関。こんなこともないわけじゃない。


 桂屠は.不安から口の中の粘ついた唾液を飲み込み、駅をもう一度見直すが特に変化はない。


 しかし、その時だった。


 ザバンっと、大きなしぶきをあげて水中から現れた金髪の少女の姿に、桂屠は思わず目を奪われる。


 その姿はまるで御伽話の人魚のよう。碧を基調としたドレスをまとう少女は、圧倒的な存在感をあたりに振りまいていた。


「はあ、ハアハア。……すみませんがそこを通してください。私には行かねばならない場所があるのです」


 こちらを目線でとらえると、激しい息継ぎをしながら毅然として少女は言った。


 桂屠はこの少女が捕縛対象として回ってきた顔と同じことに気付く。たしか、名前はフロウと言った。


「ようやく来たのか、悪いがここを通すわけにはいかない。おとなしく捕縛されろ」


 さらりと桂屠は言い返すと、指をスライドさせ、スーツケースの指紋認証から起動までを流れるように行う。


 半透明の薄い膜が体の形を解析し同時に変形。シャカシャカと不気味な音を立て、なぞるように黒い強化外装が体全体へ這い広がる。武器である棘のついた、ある種原始的な金棒を構えて武装完了。


 時間にしてわずか数秒だが、それを見逃す敵でもない。フロウは不格好な構えながらも腰から抜いた電子銃を数発撃ってくる。しかし、強化外装は電流分解子を含んでいるため着弾しても変化は起きない。


「俺は軍のものだ。これ以上は手荒な真似をすることになる」


 桂屠は冷たく声を張る。顔は外装の一部に覆われているが周囲にはよく響いた。


「っく、すでにここまで追われているとは思いませんでした。でも、私は捕まったらダメなんだ、人として生きるために!」


 フロウは電子銃を海に投げ捨て、さらに腰から蒼い十字剣を正眼に構える。


(桂屠君、私はね。救いたいんだ。たしかに、君の求めているものとは違うけれど。救済のためにそこをどいてくれないかい?)


 突如、キーンと桂屠に頭痛が走る。思い出される、別の黒髪の女性。身長の低い後ろ姿、その声、その……、極限の緊張の中で蓋をしていた妹の記憶が溢れてきて苦しい。


「あ……あっ、はあっ! どうして、おいていった? 俺を、……置いて!」


 放たれた一言に、妹と重ねて見てしまった桂屠の脳は大きすぎる動揺を生んだ。


 だが、そんなことを知る由もないフロウは、壊れた人形のように発狂しだした桂屠に向かって接近。上から十字剣を叩きつける。


「ええい、俺が常にお前を見ていないとでも思ったか!」


 桂屠がギッと目を見開く。義眼に搭載された人工知能が超高速で演算を開始。軌道を予測、金棒で弾き返す。逆にフロウの右足を下段蹴りで折る。


「……似ている。偶然だとしても重ねてしまうな。チッ、俺は、お前のことを傷つけられない。……行くならさっさと行け、俺が迷い終えるのがタイムリミットだぞ」


 クソが、畜生。突き放すように言い、ぱちゃと水面に腰をつける桂屠。救済というモノに突き動かされる人間を見てきた、彼の判断だった。


 フロウは戸惑いつつも頷くと、聞こえるか聞こえないかの声量で礼を言い素早く駅に向かって走り去る。


 桂屠は歪な駆動音が聞こえなくなったのを確認し、海へ倒れ込み天を眺める。背中が冷たい。雲一つなく、吸い込まれるような黒の中で満月が煌々と光っていた。


「ははっ、人類の命運を分けるような選択を放り出しちまった」


 桂屠は自嘲気味に空笑いする。しかしそこに後悔はなく妹のことを覚えていた自分にむしろ安心感を覚えていた。


「確実に怒られそうだな。いつか償いはするとして、今日は早く帰るか。……それにしても『救済』ってなんだろうな」


 奇しくも妹と同じ言葉を放った少女の先に、独り期待を寄せながら。


 桂屠は武装を解除して立ち上がり、帰るかなと気持ちを切り替えた所でメールの着信が鳴った。


『桂屠へ。


 こんばんは、今から皇居まで来てください。お酒はあるなら持ってきてくれると私はとてもとても嬉しいです』


 国家君主、神室 菫(かむろ すみれ)からだった。それに、内容が酷い。もっと言うと神室は未成年である。


 帰る時間が遅くなるのを覚悟する。作戦から一時間程度たったので最初に黄骸に連絡をとる。


「……あ、もしもし。定期報告ですが、今は時間大丈夫ですか?」


「おお、桂屠か、ちょっと待ってくれ、場所を変える。……よし、ここでいいか。で、桂屠。どうだった?」


 場所を変えても聞こえてくる周りの騒音に比べて、ヒソヒソと耳打ちをするような黄骸の声は小さかったがその反面、期待はこもっていた。



「……いや、申し訳ないのですが。人っ子一人きませんでした。毎晩近くを走っている暴走族もいませんでした」


「そうか、おそらくお前がつく前にすでに抜けられていたのだろうな。仕方がない。……いや、今日は真夜中に呼び出して悪かった。……ちょっと待ってくれ、おい、それはそこに配置しておけ! こちらは作戦途中でな、じゃあ、桂屠また明日」


「えっ、明日あるのですか」


 桂屠がふざけて驚いた声音で返す。


「あたりまえだよなあ。明日は特別情報科に新人が入るしな」


「はあ、了解です」


「朝は遅刻しないようにしっかり寝ろよ。……俺は徹夜になりそうだが。取り敢えずお疲れ様」


「わかりました。お疲れ様です」


 最後の方でポロッと愚痴が聞こえたので早めに通話を切ると、続けて自宅へ連絡を入れる。


「もしもし、永久(とわ)?」


「……はい、そうですよ、終わりましたか? もう帰ってこれるのですか? お風呂は沸かしておきましょうか?」


 コールが一度鳴ると同時に繋がった。既に眠っているだろうと予想していた桂屠は思いのほか速かったので少し驚いた。


「あ、いや、悪いけどまだ帰れないんだ。遅くなると思うから先に寝ててもいいよ」


「は? おっと、失礼。桂屠さん何を言ってるのですか? 待たせていただきますよ。なので、ごゆるりと帰ってきてくださいね」


 当たり前じゃないですか、と彼女は気軽に答える。


「了解だ。なるべく早く済ませてくる」


「はーい待ってますね」


 間延びした声が聞こえて連絡が切れた。連絡事項は無くなったので桂屠は皇居に向かうことにした。


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