エピローグ 月光の降る夜に

 卒業式から数日が経った。


「かげくにー、晩ごはん春巻きだから冷めないうちに食べちゃいな~」

「わかったー、ありがとー」


 台所に入ると、夜勤に出る前の母さんがエプロンを外していた。


「今日は光ちゃんと会わないの?」

「会うよ。そっち行くから待っててって言われてるんだ」

「ほう? あたしがいなくなったところを狙ってやってくるわけか。つまり――」

「なに考えてるか予想はつくけど、そういうことは起こらないと思うよ?」

「えー」

「がっかりされても……。ていうか、母さんいない時に月海先輩が来たこと何回もあったよね」

「でも卒業式のあとだし、もう大人じゃん」

「3月いっぱいはまだ高校生だから」

「そっかぁ」

「大人だったら速攻でどうこうってこともないでしょ?」

「あたしの友達はそういう感じだったけど」

「一緒にしない! ぼくと先輩はマイペースに行くって決めてるんだから」

「ま、その方があんたたちらしいよね。確実に進みたまえ」


 母さんは出勤用のバッグを持った。


「では行って参る」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

「おう。光ちゃんによろしく言っといてね~」


 家の中が静かになると、ぼくは一人で夕飯を食べた。春巻きとご飯だけだが、小食なのでこれくらいがちょうどいい。


 食べ終わって食器を洗うと、7時を回ったところだった。


 先輩は何時くらいに来るのだろう。先にお風呂に入っておこうか……。


 そう考えた瞬間、インターホンが鳴った。


「景国くーん」

「あ、先輩!」


 ぼくはすぐさま玄関へ飛んでいく。セーターにゆったりしたズボン、ポニーテール。いつもの月海先輩が立っていた。普段通りクールな表情で、感情は読み取れない。


「ど、どうでした?」


 月海先輩は黙って靴を脱いだ。


「――わっ」


 そして、ぼくはいきなり抱きしめられた。


「景国くん、無事に合格してたよ」

「ほんとですか! おめでとうございます!」


 ぼくも先輩の背中に腕を回し、抱きしめた。


 今日は信濃大学の合格者発表日。

 夜になったらぼくも結果を教えてもらえることになっていた。


 ――よかった。


 まさか先輩が落ちるとは思っていなかったけど、こうして聞かされるとやっぱり安心する。


「さすがに緊張したわ。お父さんも結果聞くまですごく怖い顔してたし」

「頼清さんのオーラはすごそうですね……」


 だらしないところはあっても月心流の師範だものね。


「景国くん、外がとっても明るいから出てみない?」

「行きます」


 ぼくらは靴を履いて庭に出た。

 やや欠けた月が夜を明るく照らしている。今夜は雲もなく、空気も透き通っていた。


 降り注ぐような月光に、月海先輩の美しい横顔が浮き上がる。その細い目と長いまつげが、ぼくはとても好きだ。昔から、ずっと。


「貴方に告白されたのも、月が出ていた夜だったわね」

「初めてキスをした日も、こういう空でした」


 顔を見合わせる。お互い、ふっと笑うことができた。


「少し、歩きませんか?」

「そうね。夏の時みたいに。――でも」

「でも?」


 月海先輩がぼくの両肩に手を置いた。


「その前に、いいよね?」

「……はい」


 ぼくは少し上を向いて、目を閉じる。

 先輩の左手が、ぼくの肩から背中に滑ってくる。右手は肩を包むように触れている。


 月光が遮られ、閉じた視界がさらに暗くなる。


 月海先輩の顔が近づいてきて、ぼくらの唇が触れ合った。


 月明かりは、月海光によって塗りつぶされていく……。


「ん……」


 いつになく、月海先輩の声が色っぽく聞こえる。


「好きだよ、景国くん。本当に大好き。これからもずっと……」


 囁いて、また唇を当ててくる。ぼくはされるがままだ。ただ、彼女を受け入れるだけ。


 甘い吐息を漏らして、月海先輩が顔を離す。ぼくの唇は強い熱を帯びていた。


「ふふ……ごめんね。熱くなっちゃった……」

「ぼくもです」

「あっ――」


 今度は、ぼくが月海先輩を引き寄せた。背伸びして、先輩の首に腕を回して、顔を近づける。


 カチッと歯が当たった。少し力を抜いて、優しく唇を重ねる。

 離れると、月海先輩が「ほぅ……」と息を吐いた。


「景国くんが積極的になってくれて嬉しいな」

「熱くしたのは先輩ですよ?」

「そうね。でも、いつかは景国くんが私を熱くさせてね」

「……頑張ります」


 月海先輩は小首をかしげ、微笑んだ。


「今日は自然と勇気が出た気がします。月の夜は特別な雰囲気を感じるんですよね」

「自分の名前にもつながってるし、私も同じよ」


 先輩がぼくの左手を握ってくれた。


「それじゃ、ちょっと歩こうか」

「はい。ぼくたちのペースで」

「ゆっくり、確実にね」


 月海光という憧れた人の背中を追って数年。

 彼女は今や、大好きで大切な人になった。

 ずっと追いかけてきた人と並んで、二人で歩いていくのだ。

 任せっきりにはしない。自分が月海先輩を支えられるように成長していくつもりだ。

 その先にぼくは――甘くて優しい未来を思い描いている。




〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る